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君は「今」をどれだけ味わえてるか

入社2年目が終わる時、上司から「今回は、忙しそうなカカに読んでほしい内容だったので、転送します」といって、あるメルマガが転送されてきた。

------原文ママ一部抜粋------

【非生産的なことをすればするほど自愛が増す】

出版前後の昨年12月から今年の春先まで
私は多忙を極めておりました。

はじめての出版にまつわる
慣れないタスクがじゃんじゃん溢れ
しかも想定外のタスクもじゃんじゃん降ってきて
どうしようもない多忙&多忙感。

優先順位を決め、スピードを上げ
時間に追われ、せっせと目の前の仕事をこなしていました。

が、さすがにこれでは身が持たないと
4月下旬からあえて仕事をセーブするようにしました。

空けた時間は何をしていたかというと

ジムに行ってすっきりしたり
ゆっくりと小説を読んで泣いたり
その小説に出てくる指揮者の曲を
ネットでたくさん探して何時間も聴いて感動していたり

夕方の早い時間からビール片手に料理を始めたり
美容院で読んだ雑誌に乗っていた
珍しいおつまみのレシピを試したり

家族で古い映画を観たり
明るいうちからオフロに入ったり
ぶらぶらとデパートを歩いてみたり…。

仕事の役にも将来の役にもたたない
生産性のない時間をすごしていました。

この生産性のない時間が
なんともいえず…もう、本当に豊かでした。
得も言われぬ深い安心感につつまれるのです。

こうして久しぶりに多忙から開放された私。
「はあ…将来のためでも
誰かのためでもない時間、
優先順位の低いことをやっている時間っていいなあ」
なんてうっとりとつぶやいて……ハッとしました。

これってつまり、
今のための時間
私のための時間
追われていない時間ということじゃない?
と。

他の何ものより
自分を大事にしている時間になる。

ひとは
自分勝手→自己犠牲→自愛→慈愛
の順に意識が成長します。

まさにこれは
他者や未来や多忙のために「自己犠牲」を払っていた自分から
「自愛」の自分へシフトしている時間。

「非生産的だけどやりたいこと」は
自分への愛が詰まっているのです。

非生産的な時間にくつろぎ
心に愛情が満ちると

ひとは必ず、必ず、必ず(3回も重ねるほど必ず)
他者へ愛を流したくなります。

自愛が慈愛になるのです。
自分で自分を大事にして愛があふれちゃうから
誰かにあげたくなるんです。

創造性があふれる瞬間はこのときです。
愛は創造の泉なのです。

自愛から生まれる創造性で
慈愛なる仕事をしよう、
としみじみ決意。

非生産的な時間を意図的に作り
その時間を愛していこうと思いました。

みなさんが後回しにしている
「非生産的だけどやりたいこと」はなんですか?

優先順位という言葉を出しましたが、
いわゆる「緊急重要マトリックス」(←ググってね)の
第2領域も、自愛の意識を感じる
我が身を満たしやすい領域だなあと感じています。

つまり
多忙こそ自分を愛し忘れている行為
ということでしょうか。

今年も半分が過ぎようとしています。
この上半期に忙しかった方は、
ちょっとスピードを落とした半年を過ごしてみるのも
いいかもしれませんね。

------ココマデ------

これは有冬さんという方のメルマガで成人発達理論がとても分かりやすく語られている「リーダーシップに出会う瞬間」という本の著者でもある。

当時、私はこれを読んで「ああ、程遠い道のりだ、多忙な私だってかっこいい!」くらいに思っていたけど、それはむしろ自分を守るために、守ろうとして、逆に自分を傷つけていたんだと思う。

間も無く入社7年目が終わる、今。
この文章の意味がちょっとずつわかってきた気がする。

どうしても、先へ先へ、未来へ、次なる成長へ、というマインドが強い私は常にマンイドフルで生きてきた。

一方でマインドフル「ネス」な時間を取らず、むしろそこからは目を向けず先ばかり見て、それが私のため、自分を奮い立たせて愛せるようにするために、と思っていたが、それは逆行していたのだ。

この7年、「今この時」をどのくらい感じてきただろう。
この7年、どのくらい「自分」を愛してきただろう。

少しずつではあるものの、このメルマガの言葉を私の身体が拒否反応を示さなくなってきた。

自分勝手→自己犠牲→自愛→慈愛

どのフェーズも大事だし、どれも一足飛びにはいかない。
そう思えば「今」を思う存分味わえるはずだ。

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