【小説】 自分
絶望した世界の淵から下を見ると、落ちていくだけの穴がある。
上を見ても、何もなくて、ただ下に大きな黒々とした穴が空いているようにそこは見えた。
自分の視野が狭くなればなるほど、下しか見えなくなっていき、次第にそれが答えかのように私を飲み込もうとする。
「足元」を見ていたはずなのに、足元より奥の深淵が深く、闇の如く押し寄せる感覚が、消えない。
きっと、誰しもが向き合うことになる絶望のような心の暗闇。
そういったものが今、蔓延り過ぎている。
「誰かが言ったから良いと思った」
と思う人たちが大勢いて、角居う私もそのひとり。誰々が言っていたから、良いと思っていた節があった。だって、問題ないって聞いたから。それなのに。
「ねえ聞いた?あのニュース」
「見たみた。判断能力がないから、そうなるのよ」
「あの子のお家とか大丈夫かしら?」
「噂じゃ、そこの子もあまり出来が良くないみたいよ」
そういう、噂話が、消えない。
何度火消しに回っても、一向に消える見込みのない灯火が、あちらこちらに散っている。永遠に眠らない街の如く、明るいままで、誰かの妄想と憶測だけで広がって、消えない。
他人が自分の責任を取ってくれるわけでもないとわかっているからこそ、私は「良いと思った」から、行かないという選択をしたというのに。それなのに。
高校全体で進学する人は必ず参加しなさいと言われていた相談会を欠席した私はひどく両親に咎められた。担任にも怒られて、進路指導の先生にもなぜこなかったのかと問い詰められた。別に、行かなかったからと言って、どうってことないと判断したのに。それなのに。
「え?行かなかったの?まじで?」
「うん、行かなかった」
「なんで?」
「別に聞く必要ないかなって。それに期末近いし」
「..そっかー」
そう言って、友達は席を離れて行った。やはり、私がおかしかったらしい。なぜなのか。先生が行けというのに行かなかったことか。それとも、兄にそんなの行っても意味がないと言われて、行かないことを判断したことだろうか。なんだろう、みんなして。私が他と違うことをしているということが、そんなに許せないのだろうか。それとも、みんなにとっての「普通」に当てまらないから、そのように執拗に、追いかけて怒り出すのだろうか。
斜めに見る癖は消えなくて、みんなが寄ってたかってのけものにしたいから、そのように言うのだと、私も憶測に飲み込まれてしまった。偏見となって固定して、鎧のように取れなくて、誰からも受け入れることができなくなった。いつの間にか孤立して、私は一人、受験に向けて机の上で参考書と睨めっこするようになった。
時計の音だけが、カチコチと鳴り響く自習室で、自分は今、どうしたいのかもわからなくなった。
そして唐突に訪れる絶望が、こんにちはと言ってやってくる。
ここまで勉強してきたけれど、これで落ちたらと考えてしまう焦燥感と共に私に居座って、じわじわとボディーブローのように効いていく。
怖い。怖い。落ちたら嫌だ。また、できない子としてのレッテルを貼られるのは嫌だ。私は私のままでいたいだけなのに。誰も認めない、誰も理解しない。誰も、いらない。
そうして私は、他人の意見を全く受け付けなくなってしまった。
全てが嘘のように感じられ、全てが綺麗事として吐いているのだと信じてしまう。みんな、嘘つきなのだという宗教に祈りを捧げる。
それだけが真実だと言わんばかりに毎日、毎日、誰かと会話をしていたとしても、全てが嘘なのだと言い聞かせて。
あれから私は、どうなったのかもわからない。
正直、私という人間がどう感じているのかさえ、鈍感になってしまった。
だって、他人との関係性を紡げないのだから、自分の気持ちなんてもってのほかなのだ。もっぱら、言われたことを淡々とこなし、課題も出し終えて通常より少しいい、くらいの成績で大学を卒業した。
友達と呼べる人も何人かできたが、本当の友達と言っていいのか、最後まで悩んだ。そうして、私は社会に出た。
一度、信じた宗教から別の宗教に乗り換えることは容易ではなくて、この先もきっと、自分が信じた宗教を信じてしまうだろう。
たまに、やっぱり違う、などという理由をつけて別の宗教を信じたとしても、自分が自分でなくなるような迷子を繰り返していくだろう。
それでも、どんなに迷子になってしまったとしても、「他人に言われたから」という理由だけで実行せずに、自分で自分自身の責任を背負って、決断していきたい。
そう、思った。思えた。ようやく、私は私を抱えて、生きていけそうになったのだった。
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