夫が1年の育休を取得しようと思った理由
先日の記事が予想外に読まれていることにびっくり&嬉しい夫は筆の進みがいいようです。
いくつも記事が送られてきたので笑、ちょっとずつアップしたいと思います(…私も執筆したいのに!)では以下、夫による文となります。
育休を取ろうと思うまでの経緯
今日は大変嬉しいことがあった。
妻が運営するコワーキングの女性スタッフの旦那様から「二人目が産まれたら、半年の育休を取りたい」との発言があったそうな。
理由は色々あるだろうが、先日書いた記事を読んでくれたのも一つだと嬉しい。
他にもSNSで反響をいただき、夜な夜な家族用に認めた文章がまさか、こんな風に誰かに影響を及ぼすなんて微塵にも考えていなかったので、非常に驚くとともに嬉しく思っている。
(ちなみにビュー数が、妻が書いた記事よりも多かったようでかなり悔しがっていた。身長しか妻より上回るものがないので、ちょっとそれも嬉しかった。)
また、よく色々な方から
「なんで育休1年もとろうと思ったの?」
「どうやって取ったの?」
とよく聞かれるので、何べんも説明するのもあれだし、自身の整理も兼ねて記録に残したいと思う。(子どもが反抗期になったら、大声で音読する予定)
先ず、妊娠以前の自分を振り返ってみると、まぁ、、、、、、(察し
「”自分が”会社で所得を上げることが家族にとっても最善なのだ」と疑わず、仕事に精を出していた。
→個別最適の極みというか、申し訳ないが、妻のキャリア<自分という考えが心のどこか根底にあったのだろう。
あとは、子どもが産まれたばかりの上司から「お前も子どもが産まれたら、育休とるんだろ?」と言われ、小藪ばりの「はあ?」と心の中で呟いていた記憶がある。
その後、第一子を授かり、誕生を楽しみにすることと並行して、会社の海外インターンの応募も受けていた。イマデハカンガエラレナイ、コワイナコワイナ。
実は、応募にあたって、妻に報告してからが本当に大変だった。
「”自分の”キャリアの選択肢を広げて”自分の”稼得能力を上げることが何が悪いの?結果的に給料も毎月家計に上納してるんだから、その取り分が増えることをなんで応援してくれないの?」
とずーーーっと思っていたし、主張していた。今思うとそれを我が子がパートナーにやられたらちょっと、うん(正拳)
一方で、妻はぐう正論で育児のことや自分のキャリアのことを仰っていたが、私自身が非常に頑固な性格なため、上記の主張の一点突破でベトナムに行くことになった。今振り返るとは冷や汗出てくる。
喧嘩の詳細版はこちら↓
結果、3ヶ月の乳飲み子と妻を残して自分はベトナムへ行ってしまいましたとさ。
ベトナム生活はこちらに記載あり↓
帰国しても、今までと働き方はあまり変えることなく、育児に関しては、完全に「お手伝い」状態であった。
そんな中、急に妻が、「子連れ向けのコワーキングスペース作るわ~」と言うもんだから、驚いていたら、妻の家に居ない時間が増える増える。結果、子守の時間が強制的に増えるもんだから、まぁ、お手伝いさん(自分)大変。家事も育児もやらざるを得ない状況に追い込まれた。
そんな中でも我が子の成長に強制的に立ち会う中で自分の中に「主体性」が産まれてきて「お手伝いさんレベル」が少しずつアップしていった。
育休を取得しようと思った理由
さて、前置きが随分と長くなってしまったが、本題はここから。
育休を取ろうと想った理由は大きく4つ。
①妻の知り合いから「産後うつ」について聞いたこと
②実際に育休を1年取得したパパとの出会い
③自分もいつ病気になったりするか分からないという不安
④妻の「仕事休みたくない」という「全試合フル出場宣言」
①妻の知り合いから「産後うつ」について聞いたこと
まず一つ目。これも前置きが長くなるが、コワーキングがオープンして暫くしたときに武蔵野市のママで元気で活きの良い若いのがいるとのことで(知らんけど)選挙に出ないかと声がかかる。
本人は最初断るのだが、もう一度打診を受け私に相談してきたときに、「声がかかるだけすごくね?正義感強いからやってみたら、ゼロリスクやん?」と何とまあ無責任かつ他人事な返答で出馬させることになった。
選挙なんて携わったことがなかったので、組織もない、金もない、知名度もない状況から始まる訳だが、妻一人で街頭演説させるのは、何があるかわからず怖いと直感的に思ったので、選挙期間は一週間、会社に説明して休ませてもらった。
会社の方からは、「うん、よく分からないけど、すごいとしかコメントできない。頑張って」「お前の奥さんなら、何か似合いそうだな」と送り出してもらう。選挙期間中も「仕事は来週でいい、選挙に集中しろ」と励ましていただいた。<前置き終わり・選挙のことはまたいずれ記事にしたい>
そんな中、選挙期間中に、妻の知り合いである2歳差育児真っ最中のお母様とばったり路上で会い、「あなたの妻は、夜泣き対応、店の運営、選挙とやっていて、育児はただでさえ大変なのに本当に心配。産後うつになりかねない」と聞き、その日の夜「産後うつ」と検索し、自殺率が非常に高いというデータを見て、とても怖くなってしまった。
このときは「育休」の文字はまだ、うっすらと浮かんでおらず、「とれたらとりたいなーでも会社の様子見だな」とぼんやりと思っていた。ただ、未だ二人目はいないけど、もっと妻の負荷分散を図らないとまずいなと思い始めたので、貴重なきっかけであった。
②実際に育休を1年取得したパパとの出会い
そして二つ目。コワーキングのお客様で、実際に1年の育休をとっているという男性に初めて遭遇した。そのとき、ただでさえ、自分にとって「育休」が縁遠い存在であったが、この方のおかげで「男性で1年育休とれるんだ、
とっている人がいるんだ」と影響を受けた。単純に「なんかかっこいいな」と憧れていた。(その時は。実際は超大変だったが)
この出会いをきっかけに「ゆるゆるお父さん遠足」への参加やパパ友も増えとても感謝している。
③自分もいつ病気になったりするか分からないという不安
そして三つ目。「産後うつ」に調べる中で、いつ自分自身も当事者になるか分からないと危機感を持つようになり、本当に今まで自分が考えていた「”自分”だけがキャリアを築くことが家庭にとって最善なのだ」という考え方が揺るぎ始めた。
いつ自分もリストラにあうか、うつ状態になるか、など考えていたら、妻のキャリアもちゃんと配慮し、全体最適の視点で生存戦略を考えなければと思うようになった。
④妻の「仕事休みたくない」という「全試合フル出場宣言」
最後に四つ目。前置きに記載した通り、ベトナム派遣にあたりお互いのキャリア構想について意見を交わした。その際に、出産育児で今まで築いてきたキャリアを0リセットしたくない、特に自営業なので、休み=仕事を失うことに直結するということを聞いた上で強行突破したのだ。
また、第一子を出産した直後、分娩台上で「携帯持って来て」と言われ、持参するともう仕事をしていたのには本当に驚いた。その時に骨折しながら片手でライト前ヒットを打った阪神の金本を思い出して、「アニキ、、、」と口に出しそうになったのをよく覚えている。
ベトナムで大きな貸しもあるし、今回も同様「仕事は休みたくない」とのご意向でしたので、今回は自分がフルサポートすることにした。
仕事の好き度加減も自分より妻の方がはるかに上だし、前向きに頑張っているのは知っていたので、「まあいいか」と思い退路を断ったのだ。
実はうっすらとは、分かっていた。育休をとった方がいいことも、妻のキャリアにも配慮しなければ、ならないことも。女性も教育投資を受け同じ受験戦争を乗り越え、就職した途端に、育児でしわ寄せがいくことも。ただ、この三つの出来事を見聞きして初めて、総合的に育児/家事/キャリアについて明確に考えることができた。
無事、選挙はおかげさまで当選し、ますます忙しくなる妻だが、自身の明確なキャリアプランを持ち、弱音を吐かず粛々と働く姿を見て、こりゃベトナムのときの貸しを返さにゃまずいと思った。
何より、自分より仕事が大好きだし、妻自身にしかできない仕事もあるだろうから、二人目ができたら、育休を取ろうと決意するのであった。(本音を言えば、妻を優先することが、自分にとってもメリットがあるという利己的な?よこしまな?発想もあった。結局は自分が一番可愛いんです。もちろん、長男の成長過程を見れなかったので、それも見てみたいなという願望もありました。)
次回の記事は育休取得を決意してから、取得するまでどのように報告・準備をしていったかを記したいと思う。(時間ができたら。)
以上