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「人は何歳でも変われる」夫の話

今日は夫のことを書きたいと思う。というのも、この2年、夫の変化がどんどん激しくなっているからだ。私自身、もうこの人は変わらないと思っていたのに(ひどい)、正直驚いている。またものすごく長い記事になったが、最後に夫の声があるのでお楽しみに。

夫との出会い

私と夫は、塾講師のアルバイトで出会った。私が22歳、夫が21歳のときだ。夫は浪人して大学へ入ったので、学年としては2つ離れた大学3年生だった。私は大学卒業して公務員試験浪人をしており、夏休みだけ講習のヘルプで、地元を離れ神奈川の教室まで3ヶ月通うことになった。そこでの後輩ということになる。

職場で出会ったので、私が仕事人間であることはこのときから伝わっていた。何がどうなったのかはよく分からないが、彼にとって私は物珍しい存在だったのだろう。今までに会ったことのないタイプだったことから、興味を持たれたのだと思っている。

そうしてあれよあれよと付き合うことになり、2年後から互いに社会人で同棲、交際4年で結婚した。夫はメーカー営業。私は公務員試験に落ち、一度入社し、自営業になってから結婚。妻が自営業という状態で始まった結婚生活である。
↓自営業となると仕事の繋がりがありすぎてこんな盛大なことになった(ご参列ありがとうございました)

結婚当初は自営業とはいえ、今ほど忙しくはなかったので、家事は基本的に私がやっていた。土日は夫に合わせてなるべく仕事はせずというスタイルを取っていた。今からは考えられない。新婚というやつだろうか。

結婚して1年半後、赤ちゃんができた。結婚してすぐ欲しいと思っていたのになかなかできず、ようやくという気持ちだったのを覚えている(ちなみに妊娠してから医師に言われ分かったことだが、一般的なところから考えていた排卵日がまったく違っていたらしい、早く病院に行けば良かった)。

妊娠してからというもの、私の精神状態は不安定になったと自分でも思う。ホルモンバランスの崩れというのはもちろんあったと思うが、仕事はたくさんある。次々スケジュールは埋まる。講師業もしているので、どうしても先々のものが入ってくる。断れば売上が下がる。
そんな中で悠長にしている夫。どうしてこの人はなんともないのだろう、私はこんなにも先のことを考えて仕事をしなければならないのに。とてもいらいらしていた。

ぶつかり合う価値観

そんな中、「キャリアVSキャリア事件」が起きる。夫が3ヶ月のベトナム研修に手を挙げたのだ。こんなときに何を考えているのか?意味不明だった。

夫はバリバリ英語が話せるということはなかったが、海外旅行が好きで、世界史もよく学んでいたので、海外で生活するということに割と憧れがあった。それは前から知っていたし、会社でTOEICも受け続けていたので、なんとなくその方向性は認識していた。しかしなぜ今このタイミングで…
この問いに対し夫の言い分は会社の制度が年齢で区切られてしまうからということだった。計画性のなさを疑う。

そんなに行きたいならキャリアプランを出せと言った。何のために研修へ行くのか、はっきりさせて欲しい。いわば家庭内プレゼンである。しかし出てきたもののレベルが低すぎて、唖然とした。ダメだ、そもそもこの人のキャリアは私が今までずっと一緒に考えてきた。就活のサポートもした。1人で出してくるものには限界がある。

結局こういうとき、母性なのかなんなのか、怒りが渦巻く中でもこの人をなんとかしなければならないという正義感が出てきて、怒りながら協力するという謎の行動を取ることになる。私の浅はかなところである。いつも夫には甘いのだ。しかも夫はそれを分かっている。なんてやつだ。

行くとなれば仕方ない。会社の選考をくぐり抜ける必要がある。また私の出番だ。キャリアプランを練る、英語の履歴書を考える、ああなんで私はこれをやっているのだろう…今思い出してもお腹がふつふつとしてくる。

結果、選考には通った。ここまでは良かった。しかし予想外のことが起きた。産前に行けないスケジュールになってしまったのだ。これにはまた相当怒った。産前に行って帰ってきてくれれば問題なかったのに、産後に行くなんてありえない。会社を恨んだ。

私は月1のアポがあるため産後ひと月休めるかも分からない状況だった。そんな中で大変な時期に海外へ行く。どれだけキレたか分からない。険悪な産前が続いた。

出産~ベトナムのことは別記事(子連れコワーキングスペースを作るまで)をご覧いただければと思うが、こんな感じで当時はキャリア志向の夫だったのだ。仕事が大事なのは私もそうなので、気持ちが分かる分なんでこっちばっかり…という想いが強かった。

夫が変わるきっかけ

そんな中先述の記事の通り、育児と仕事にフラストレーションを抱えた私は子連れコワーキングスペースを作ることになり、さらに忙しくなった。それまでできていた家事はほぼできなくなるほどに。あの時は本当に家が荒れていたと思う。でも何もできないくらいに本当に忙しかった。
↓スケルトン時の店舗

このあたりから夫と子どもを2人きりで過ごさせることが増えた。完璧は求めない。命に関わることは強く言うが、あとはもう何でも良い。自分で良いと思ったことをしてくれ、そんな感じだった。これくらいに思わないと心配で託せない。

店を開くと土日も何もない。家族の時間はどんどんなくなっていった。それでも社会的なことをしていると、夫は応援してくれた。もともと社会課題への関心は強いほうだったので、やっていることへの理解はよくしてくれていたと思う。この価値観は似ていたのだろう。自分ができないことを妻はやっている、そんな風に捉えていたようだ。

そしてさらに社会的課題へ取り組むチャンスがやってきた。市議会議員への出馬である。これが夫を変える決定打になったと今思う。私はそもそもこの話は断る気でいた。家族の時間もないのに、子どもも大きくなってきたしこのままじゃいけない、さすがに夫は反対するだろう、そう思っていた。

しかし「社会参加スイッチ」の入り始めた夫は、賛成した。誰にでもできることじゃない、やったほうが良いと。おいおい本気かよ…さらに忙しくなるなんて私もう死ぬのでは?会社も潰れるのでは?そんな風に思った。逃げ場がなくなった(市議会議員になるまでについてはまた詳しく記事にしたいと思う)。
↓選挙のときの移動中

不安症の夫は最後の最後まで当選しないのではないかとドキドキしながら過ごしていたが、結果的に議員にならせていただくことができた。こうして「自営業の妻」に市議会議員という役割が付加された。

これによりありがたかったのは、夫の会社の方々が「妻が議員ならしょうがない」という点で夫を早く帰してくれるとか、有給を取っても何のこっちゃないというか、もはや何でもありみたいな状況になったことだ(実際選挙期間の1週間もすべて夫はお休みをもらった)。
これまでも特にそういった家庭の事情にとやかく言うような職場ではなかったが、より一層協力的になった気がする。一度は恨んだ夫の会社だが、このところは本当にありがたいと思っている。

加速する夫の変化

こうして私はとんでもなく忙しい状況かつこれまでに比べて拘束されることが増えた。自営業というのはスケジュールを自由にできるのが大きなメリットだと私は思っているが、週の半分くらいはそうはいかなくなった。議会中は何時に終わるか分からないし、遅いときは20時を回るときもある。計画できればいいが、何時になるか分からないというのは非常に課題が多い。

そして衝撃的なことに、第二子を妊娠した。

ここで夫は「育休取ろうかな」と言った。第一子のときは絶対に嫌だと言っていたのに。夫の変化が外に出始めたのはここからだと思う。キャリア志向、出世欲、このことの考え方が変わってきた。育休を取ったから出世を諦めなくてはいけない、そういう時代ではなくなってきた世の風潮も、夫を後押しした。

また、議員になってから私も地域活動に多く関わるようになったが、夫も子どもと一緒に地域に出ていくことが大幅に増えた。子どもが外でよく遊べるようになったという月齢的なものも大きいと思うが、タイミングよく父子外出が増えたのである。

地域には育休中のパパや父子だけで遊びに出かける人がなんだかんだで割といた。そうした方々との交流の中でも、夫の考え方は変わっていったのだろう。

私は店を出したとき、この店があることでこの地域に住みたいという人が増えたらいいなと言っていた。地域の価値は自分で作るのだと。この言葉を夫は最近自ら口に出した。地域で子育てをする中で、そうしたことに気づいていく。

家の中でも大きな変化が起きた。料理をし始めたのだ。これまで頑なに料理だけはしないというスタンスだった。洗濯や掃除はやるのに、料理だけはやらない。ハードルが高かったのだと思う。「塩少々の少々っていったい何?味付けが分からないからやらない」そういう人だった。
しかしコミセンで開かれたパパひろばで簡単料理を教わってきて、家でもレシピを見ながら挑戦し始めた。まだまだ謎なことを言うが、0が1になったのだからあとはもう何とでもなるはずだ。

着々と育休に向けて準備をしているように見える夫。私はこの育休において、乳児とべったり生活するということをとにもかくにも体感してもらおう、そう思っている。
赤ちゃんはかわいい。でもずっと一緒にいるということはどういうことなのか、知るパパはかなり少ないと思う。授かりものであるから、この経験は本当に貴重なものだ。夫はきっとこの経験をして会社に戻ることで誰かの救いになることがあると思うし、会社だけでなく今後の地域においても、大きな社会においても、誰かの役に立てるプラスな存在になれると信じている。
今日もまた育休復職セミナーなるものを受けてきたようだ。また経過を報告したい。

おまけ「俺の1週間」

最後に、夫の1週間が面白過ぎたので公開したいと思う。これは私のコワーキングスペースのイベントで「教えて!ママパパの1週間」というイベントをやるにあたり参考に書いてもらったものなのだが、あまりに長文なうえに本音を書き過ぎていて笑えたので、皆さんにも読んでもらいたい(おふざけ半分なのはご愛嬌)。
言っておくがこんな感じになったのはここ2ヶ月くらいのことで、劇的に変わっていく夫に驚くとともに笑ってしまっている私がいる。継続できるかどうかが課題である。とっても長いが、リアルな夫の声をお読みください。笑

月曜日
7:00起床
妻と息子を起こさぬようこっそりベッドから抜け出し、自分の支度と風呂掃除をする。
子どもの朝食、といってもバナナとヨーグルトだけだが、子ども椅子にセットし出社。前夜にゴミ捨てと保育園セットの準備していた。何事も前もってやるに限る。小生は一人暮らしをしたことをなかったので、妻からかなり厳しい躾を受け、ある程度の家事が出来るようになった気がする。
保育園は9:00からで、着くや否や朝のおやつなので、究極、朝食は食べなくてもよいと思っている。朝は着替えだけさせればよいので気持ちが楽だ。
9:00出社
通勤電車の中で保育園の連絡帳をアプリで記入する。
先週は祝日の火曜から金曜まで2歳の倅を連れ関西へ男二人旅をしていたので、疲れと仕事がたんまり溜まっていた。16:00に客先での打合せが終わり直帰。17:00のお迎えには残念ながら間に合わなかったが、17:30に妻の職場に到着し、子どもをバトンタッチ。
18:00帰宅、晩御飯の準備
米がないのでパンを食べることとした。パンに合うおかずを作りたかったが、残念ながら思いつかない。
とりあえず、ベーコンと鶏ガラの万能さに助けられスープを作った。あとは大根が残っていたので、グーグルで「大根 簡単」と調べ大根のステーキが出てきたので、それを作る。イマイチであった。スープが美味しいと褒められたので嬉しかった。
風呂掃除は済ませていたので、スイッチを押すだけであった。朝のオレ偉い。子どもを風呂に入れ、着替えさせ、歯を磨き、自分の寝支度もする。本当に大変だ。特に歯磨きは気が重い、こんなに暴れるなら好きにしろと思うが健康という無形財産を残すのもせめてもの親の役目と思い、心を鬼にして強制的に執行。
21:30就寝
疲れたので、早く寝ることにしたが、翌日の保育園の準備をして、腹の上で寝かしつける。目を閉じたときに、洗い物が残っていることを思い出したが、妻が未だ起きていたはずと思い、就寝することとした。オコラレマセンヨウニ、オコラレマセンヨウニ。

火曜日
7:00起床
今日も妻と息子を起こさぬよう起床し身支度をしていたが、息子が途中で起きてしまった。起きた以上は構ってやらないと泣くので、洗面所で身支度中の自分の足元に連れて行く。整髪料をつけていると自分もやりたいと主張するようになった。出したふりをして手につけてあげると一丁前に髪を整えている。生意気さと共に我が子の成長を感じたひとときであった。
リビングに上がり牛乳をせがまれたので入れてあげる。本来なら被害が最小限になるよう子ども椅子に座らせて飲食をさせたいのだが、妻が起きてこないリスクを鑑み、ちゃぶ台上で飲食させることとした。ええいままよ。
前夜食洗機に仕掛けておいた食器を取り出し、食器棚にしまう。妻曰くストレスフルな作業なようだ。私にとっても同様だが、いつかチョンボをしたときのために、好感度を上げておこうという浅はかな動機で仕舞った。
息子はyoutubeをおとなしく見ながら、牛乳とヨーグルトを食べている、よかった、と一安心しながら、会社にでかけた。youtubeは見せすぎは良くないと思いながら背に腹はかえられぬと思いながら見せているが、よく考えると自分が大学生時代ずっとyoutubeを見て、自堕落な生活を送っていたので、やむを得ないと諦めつつある。いってくるねと息子に声をかけるも、一瞥もくれなかった。まぁいいか。
毎度のことながら、通勤電車で保育園の連絡帳を入力していると妻から出かける前に一声かけてくれないと起きないリスクがあるから困る趣旨のLINEを受信。こちらは貴重な睡眠時間の邪魔をしないよう最大限配慮したつもりであったのだが、、人間って難しいと感じた一幕であった。
8:50出社
廊下で部長とすれ違い仕事の立ち話をしていたら、「個人的にお休み(育児休業)について、今度、直接お話ししたい」と言われた。所属する部や課の方々はうちの特殊な家庭事情をご理解してくださっているので、きっと心配してくれるのだろうと思うのだが、何を言われるのだろうと少し不安になった。その直後社内で男性の同僚に会った際に、二人目が産まれることを報告したら、うちも、うちもとなったので、育休のことも伝えておいた。そのお二方はまだ本格的には検討していなかったが、というよりも育児休業と育児休暇の違いを知らなかったようだ。一方で、育休とってみんなで遊ぼうやということで盛り上がった。暗いニュースも多い中で社会も良い方向に変わっているのだと実感した。
19:30帰宅
お迎えして、家に連れて帰ってくれていた義妹とバトンタッチ。前日大量にネットスーパーから届いた材料で何か作ろうと思ったが、肉があるということは、妻の思惑があると思い手を出さずに、大人しく、米を炊き、柿を二個剥いた。妻から「料理は私がする」ときた、BINGOと思い、ちょっと嬉しかった。翌日がプラの日なので、ゴミをまとめ、捨て、ゴミ袋をセットする。
ゴミ捨ては捨てるだけがゴミ捨てじゃない、前後の作業含めゴミ捨てなのだと「妻のトリセツ」講談社+α新書に書いてあった。
そんなこんなしているうちに翌日の早朝から武蔵野方面で所用のある私の父と翌日休みのパートの母が泊まりにやってきた。よしこれで子どもの世話と家事から解放されたと心の中に安堵が広がった。お金があることに越したことはないが、健康で仲良くいることが何よりの財産である。いつか自分にも孫ができたら、現役世代である子ども夫婦の負担軽減の役に立てればいいなと思いながら寝た。

水曜日
7:00起床
今朝は私の母が息子と寝てくれたので、私自身の寝起きが良かった。とても助かった。今日の子どもの世話と家事は母に任せればいい、勝った。
23:00帰宅
今の職場は比較的個人の裁量に任されているので、事務所にいるときはほぼ定時で帰れているが、遠方への日帰り出張のときだけは、帰宅が遅くなる。負担をかける家族への罪滅ぼしはマイルとたまに(お小遣い制のため)買ってかえるお土産とする。
今日のお土産は岡山だったので、吉備団子にした。お仕事お疲れ様、ありがとうと妄想しながら、渡した所、意外にも無邪気にやったーと喜んでもらえた。吉備団子で家庭の平和が保たれるならいくらでも買ってこようと決意する。
寝る前に翌日のゴミ捨てと、保育園の準備だけして床に就く。が、眠れない、理由は明確だった、ラウンジで飲んだエスプレッソと機内のブラックコーヒーのせいであった。眠れないと妻に相談すると何やってるの?と呆れられたが話し相手になってくれた。怖くなったとき、眠れないときに側にいてくれると結婚してよかったと単純に感じる。寝たのは恐らく3時過ぎであった。

木曜日
8:20起床
眠い。とにかく眠い。頭が働かない。前日の自分の愚行を激しく後悔しながら、起きる。
息子は未だ起きていないが保育園に連れて行くために起こす。
急いで準備するも、保育園のイベントであるハロウィンをすっかり忘れていて、普段と変わらぬ服を着せようとしていたら、妻に指摘され事なきを得た。
9:00保育園送り
歩かせると寄り道し、辿り着かないので、抱っこで乗り切る。本当は時間のゆとりがあれば、子どもの気の赴くままにさせてやりたいなと思うもの余裕のない日々に申し訳なさを感じた。
さて、保育園に着くと他の子と我が子の温度差に驚き、更に息子に対して申し訳なさを感じる。
うちの家庭はハロウィンとかやらないのでと一応伝えておいた。
通勤電車で、このことを妻に報告し、早速来年は何を着せるが作戦会議をした。乞うご期待。
10:00出社
眠い、だるい、だけど、出張のため仕事が溜まっている。さらに提案のピークのため、こちらも大変であった。珍しく残業せずにはいられなかった。休日PCを開くことも頭をよぎったが、家族に申し訳ないと思い平日に頑張ろうと決めた。
19:30帰宅
帰ると温かいご飯が待っていた。幸せである。自分で作るようになってから、ありがたみを感じるとともに、この料理はどのように作られ味付けはなんだろうか、何で作ろうと思ったのか興味が湧くようになった。人って何歳でも変われるのかなとちょっと思った。今日は疲れた、自業自得だが、妻に家事を殆どやってもらってしまった。今日は何もやる気が起きない、おやすみなさい。0時。

金曜日
8:00起床
今日は古紙の日だ!と目を覚まし、早速外に大量の段ボールとペットボトルを捨てる。10時から会議で直出だったので、乾燥の終わった洗濯物を畳み、子どもを保育園に送る。
最初はそうもいかなかったが、入園して1ヶ月経ち、振り返ることなく、友達の元へ。寂しさと成長を噛み締め出社。
10:00出社
会社ではタスク満載であったが、お尻の時間が決まると義務感からか、集中力が高まる。この辺は、子どもが出来てからメリハリをつけて仕事をしようと必然的に思うようになった。
19:30帰宅
義妹とバトンタッチ。冷蔵庫に人参、じゃがいも、ベーコン、ウィンナーがあったので、ポトフを作ることにした。子どもの相手をしながら煮ること5分、待てよ、そういえば冷蔵庫に福神漬けが昨日ネットスーパーで届いていたな!と思い、これはカレーを作れと言う妻からの思し召しに違いないとカレーを作ることにした。しかし、シチューの失敗が頭をよぎり躊躇したが、ルビコン川を渡ることにした。まさに賽は投げられた。
シチューの教訓から、しっかりレシピを読み、水1リットルに対しルウは1パック、よしこれで大丈夫だ!間違いないと思い、完成し、皿に盛り付け息子と実食、、、まずい、、俺の思うカレーではない、ブルータスお前もかならぬカレーよお前もか、、
なぜ、レシピ通りやったのに、、妻にヘルプを出し、妻帰宅。思し召しに関してはBINGOであった。オレスゴクネ?ただ、カレーがまずい。理由はシチューと同じ、明確だ、ルウが足りない。もうレシピは信じない、ルウ過多で作ることにしよう。
食後風呂に入る前に、翌週締切の提案書作成を45分ほどする。定時で帰宅している分、業務時間外で仕事をすることの罪悪感が全くない、自由とのトレードオフだと思っている。
24:00就寝
妻から三連休だからすごく顔色いいね、嬉しそうだねと言われ、図星だなぁと思いながら寝た。

土曜日
9:00起床
6:10に一度目覚めるも理由はないが二度寝してから目覚めた。
妻は結婚式へ早々でかけ、息子と朝食を食べる。片付けを済ませて、掃除をしようと思ったが息子が眠そうだったので、抱っこしたところ寝た。
今の自分の最大の楽しみである「まだ結婚できない男」を1.3倍速で息子を抱っこしたまま、見ることにした。「まだスイミー」が流れ、ボルテージがMAXになった所に、チャイムがなる。そうだ申し込んだクレカが来る予定だった。一旦ストップし、おいこらしょと息子を抱き抱え、モニターを覗く。初老のおばさま二人、これは、もしや、、、「はい?」「XXです。聖書の(ry」「今ちょうど息子が寝たとこです!全く興味ないので、二度と来ないでください!」やれやれ。ビデオも終わり、自分もひと眠りするかとベッドに移動し寝ようとツイッターを見ると、すくすく泉が空いてるという情報をゲットし、息子を起こし、行きたいかどうか確認をし、乗ってきたのですくすく泉に遊びに行く。
11:15すくすく泉到着
本当に誰もいなかった。スタッフと話をする。ここのスタッフはいつも褒めてくれるので最高である。
そんなこんなしているうちに、「もぐもぐたいむ」が始まりよくわからないが手遊びをした。息子がノリノリだったので来た甲斐があった。他の初対面のお母さんとも仲良くなり、保育園の情報をドヤ顔で教えてあげた。なぜなら保育園の空き状況の問い合わせ、面談、入園手続き、施設長とのメール全部自分がやっていたからだ。
12:00昼食
残りのカレーを食べる。息子が全身カレーまみれ、ベビーチェアもカレーまみれになることは織り込み済み。
13:30ブレスのイベント参加
受験について学ぶ。情報収集は早いに越したことはない。にしても意識の高いマダムが多いこと。川崎の公立育ちの自分とは思考の違いに驚く。
16:30ブレスの交流会
楽しかった、たくさん飲んだ。
24:00就寝。

日曜日
12:30起床
飲み過ぎによる頭痛のため、昼過ぎに起床。午前中の給食フェスタは諦めることに。食べたかったな17年振りの給食。
13:00セミナー参加
妻から参加依頼を受け、息子を連れてラグビーのセミナー参加。子連れokと書いてあるのに九州大学名誉教授によるスライドの説明、開始1分でこれ息子無理やなと思うがおとなしく膝の上で見ること30分。部屋から出たいというのでフェードアウト。牛乳とお菓子を買って再チャレンジ。お陰で残りはほとんど聴講することができた。
15:15妻のイベントに参加
息子はお母さんに会えて嬉しそうだったがすぐにスマホをせがむ。大人しくなるので、与えてしまうのだが、どうしたらよいのだろうか、これは、、
17:00懇親会@焼肉
息子が大人しくしない。大変だ。理解ある人々だったので助かった。途中で限界が来たので外に連れて行き、寝かしつけ、戻る。肉がなくて悲しかった。
20:30帰宅
風呂、歯磨き、燃えるゴミを集め捨てる。
23:00就寝
子どもを腹の上で寝かしつける。

to be continued...

ちなみに私の1週間を簡単に書いた記事はこちら↓



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本多夏帆|Breath
読んでくださりありがとうございます。お役に立てましたら幸い、いつも前のめりで書いています。