PTSDを可視化する
※閲覧注意
体にまとわりつく、生暖かい、ぬるっとした感触。
気色悪い。
とっさに目が何かに気づいたようにガッと見開き、
床に落ちているナイフをシャっと瞬時に拾う。
間髪入れず、馬乗りになりナイフでめった刺しにする。
躊躇のかけらもない。
刺している方は瞳孔が開き自我を失っている。
「やらなければやられる。」という生存本能と、
憎しみと怒りと殺意がすべてを飲み込むブラックホール
(「進撃の巨人」幼少期のエレンとミカサのシーンのような感じ)
これがひどい汗と動悸とともに、何回も頭の中で繰り広げられる。
実際に誰かを刺したわけでも、刺されたわけでもないのに、心の中が傷だらけになる。
これが中学生くらいから、
今までずっと頭の中で繰り返されている。
その度に私は
「いつかこの手で人を殺めてしまうのでは無いか」という恐怖に支配される。
人を刺すぐらいなら、自分を刺した方がいいと何回も自分を切り刻んだ。
(リストカットは他人を傷つけない私なりの愛だ)
心理師さんにこのことを話してみた。
「井瀬さんはそこをセーブできて、大丈夫だけど、他の人はみんなが井瀬さんみたいになれる訳ではなくて実行に移してしまう人もいる」ということを聞いた。
やはり自分の勘は間違っていなかったんだと思った。
もし、自分がここまで立ち直ることができていなかったら被害者の私は加害者になってしまっていたのではないのだろうか。
そんな悲しいことがあるだろうか?
それが何よりも怖いから勉強する。前に向かう。
犯罪心理、カウンセリング、勉強する度に感じるのは、せめて、
「被害者は加害者になる前に救出する必要がある。」
被害者が被害者として救われないことは、
加害者を増やす事にも加担しているのだ。
今はブラックホールに飲み込まれないように出来るだけコントロールできるようになってきたが、
飲み込まれて身も心もボロボロになったことが何回もある。
きっとめった刺しに殺されたのは、
犯人ではなく自分の自尊心だ。
そのたびに
「こんなことしたくない、誰か助けて」
と心が叫ぶ。
その「誰か助けて」と呼ぶ、
声を助ける挑戦をしているのだ。