私の最終面接官はお母さんだった ~親に内定承諾書を破られた話~
私の就活は第1志望の会社から内定をもらったその日からが本当の始まりだった。
内定をもらった私にまちうけていた幾つもの試練。
親に勘当されそうになる
女子大生が一夜にして一文無しに
大学費用1500万の請求
涙が止まらない毎日
これから話すことは、私と母が約3か月間、就職先をめぐって大奮闘した話である。
就活でいうラスボス、真の最終面接官は私の母であったといえよう。
東京で初めての就活
~2020年1月~
外の風は冷たく大学の校庭にもうっすらと雪が降り積もる頃、大学3年生だった私はいつもと変わらない日々を過ごしていた。
口を開けばみんな就活の話。地元の国公立大学に通う私の周りは、県内の企業に就職する人がほとんどであった。
「私もこのまま広島で就職して、一生広島で暮らすのかな~」そう思っていた矢先、Instagramの友達の投稿でたまたま「上京就活」という文字を目にした。
地方学生を対象に、東京で1週間シェアハウスで共同生活を送りながら就活をするという企業が主催する就活サービスであった。興味本位で応募してみたら当選してしまい、東京に行くことに。これが私の東京就活の始まりであった。
高層ビル、オシャレなオフィス、街を行き交うオシャレな人たち。
今まで見たことがない世界がそこには広がっていて、22年間広島で育ってきた私は、気づけばいつの間にか「広島を出て、東京で暮らしてみたい!」と思うようになっていた。
それから恵比寿にあるシェアハウスを借りて、本格的に東京で就活を始めることに。約3か月間の東京での就活の末、私は第一志望の会社に内定をもらい、社員数30名程度のベンチャー企業に就職することを決意した。
破り捨てられていた内定承諾書
~2020年4月~
内定をもらった翌日、嬉しくてたまらなかった私は、広島空港に着くやいなや空港のラウンジで、今まで就活のことを一切話していなかった母親に電話で全てを伝えた。
東京で就活していたこと
内定をもらった会社のこと
小さなベンチャー企業に入社すると決めたこと
1つ1つを話していくうちに、初めは驚いていた様子だった母親の声がみるみるこわばっていった。母の怒りは電話越しでも、ひしひしと伝わってきた。
そして最後に言われたことは「そんな会社、お母さんは絶対に反対」
母親が反対するのも無理はない。
なぜなら、私の家族や親戚は全員大学を出て公務員か大企業に勤めている。当然、母も私にそれを望んでいた。「大企業=安定」という考えを持っている母親にとっては、東京の名前も知らない会社に大卒の娘が入ることなど、想像もつかなかったのだろう。
それに、私は大学1年生のころから事あるごとに「就職は広島でしてね」と言われていた。就職先を反対されることは、話す前から分かってので、あえて就活中は母親と一切連絡を取らなかったのだ。
そして、この電話を切った後、私は衝撃の事実を知ることになる。
実家に郵送した「内定承諾書」は、母親によって破り捨てられていたのだ。これが、約3か月の私と母の就職先をめぐる大奮闘の始まりだった。
親から言われた衝撃の一言で目の前が真っ暗に
親に猛反対を受けた私は、自分の決断に迷いを感じてきていた。
「親の言うように就活をやり直した方がいいのかな」
「私の就活は間違っていたのかな?」
当時は緊急事態宣言が発令され、コロナで外出を制限されていたため、実家に帰って親と直接話すこともできなかった。(当時、私は大学の近くに一人暮らしをしていた)LINEと電話で終わらない言い合いをする毎日。
私:「私はこの3か月間、自分なりに考えてちゃんと進路を決断したもん!私はこの会社で働きたい!」
母:「今のあなたに何ができるの?就職でいきなり東京に行くなんて。今までお母さんがお金を出してきたから生活できたんでしょ!」
私:「社会人になったら自分でちゃんと稼ぐし、ちゃんと生活費も自分で払う。それに、一度は広島を出て、東京でやりたい事に挑戦してみたい!」
母:「いつまでも夢ばっかり語ってないで、現実を見なさい。知り合いもいない東京に出て、一体あなたに何ができるの!」
私だって本当はこんな風に言い合いをしたかったわけじゃない。
母親とはよく一緒にショッピングや旅行に行っていたし、一人暮らしを始めたころも、よく作り置きのおかずや食料品を送ってきてくれていた。そんな母と、顔を合わせることもできず、電話でただ毎日心の通じない言い合いをするのは、本当に苦しかった。
そして、今でも忘れられない一言がある。
「そんなにその会社に行きたいなら、大学費用の1500万円返せ」
この言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。
この言葉をきっかけにして、「絶対に親を説得してこの会社に行くんだ!」と意気込んでいた私も、だんだん弱気になってしまった。
「就職」って一体何なんだろう?
今まで、習い事や塾に大学まで行かせてくれて 、沢山のお金と愛情をかけて育ててきてくれたのにも関わらず、親が反対する会社に就職することをとても申し訳なく感じた。
しかし、その一方で、
親が今まで私にかけてきてくれたお金の価値は、就職先1つで決まってしまうのか、
就職で親にとって「良い会社」に入ることが、親孝行なのだろうか
という想いもあった。
そして私は一生このまま親の言うことに従って、人生の選択をしていかないとけないのだろうか。
そんな漠然とした不安と絶望感に悩まされたまま、5月を迎えた。
振り出しに戻った私の就活
~2020年5月~
こうして、私の就活は振り出しに戻った。
「少しでも親が喜んでくれるような会社に就職しよう」
そう思って、もう一度就活をやり直すことに。
実はもう一つ、最終面接まで進んでいた会社があったのだ。東京の会社だったが、第一志望の会社よりも規模は大きく、制度もしっかりしていたので、「ここなら親も納得してくれるかも」と思っていた。
その会社の最終面接の前日、私は一人部屋で思い悩んでいた。
「この会社だったら親も少しは喜んでくれるかもしれない。でも、実際に働くのは親ではなく自分。1年後の自分は後悔しないだろうか?」
何度も何度も自分に問いかけた。
もちろん、親の言っていることも正しい。今までずっと広島で生きていた私がいきなり東京で一人暮らしをして会社に行って、自分のお給料だけで生きていく。就活中は勢いよく決めてしまったことだったが、親に反対され冷静に考えると、全てが無理なように感じてきた。
しかし、ここで諦めてしまったら私のあの3か月間は何であったのだろうか。東京に行って就活をして、毎日沢山の人と出会って、過去の自分を振り返って、インターンや面接を乗り越えて、やっと掴んだ切符。
私は、母親からの期待や信頼も失いたくはなかったが、それ以上に自分で掴んだ新しい未来への切符を手放したくなかった。
何度も何度も自分に問いかけた結果、最終面接を辞退。
その瞬間、決心した。
「もう絶対に自分に嘘はつかない!自分の人生は自分で決めるんだ」
一文無しになった女子大生が始めたこと
就活を完全にやめて、第一志望の会社に行くこと決心した私は、母親にその決意を話した。
すると、「そこまで言うなら、自分でお金を貯めて行きなさい。今後一切援助はしないから」と言われ仕送りはストップ。生活費用の口座のお金は全て抜き取られたのであった。
これまで親からの仕送りで家賃と生活費を払っていた私は、一夜にして一文無しに。
さらに、当時やっていた居酒屋のアルバイトはコロナで休業中。収入がない中、このままでは来月の家賃が支払えない状況に陥った私は、すぐにお金になる仕事を探した。
そんな時に見つけたのが、完全報酬制の飛び込み営業の仕事。
自分で売った分だけ、その日に手取りでもらえるので、「これなら、自分の実力次第で好きなだけお金が手に入る!」と思った。
しかも、この仕事で結果を残せば親を説得できる材料にもなると思って始めたのであった。
(今考えてみたら、すごくポジティブ・・・笑)
しかし、現実はそう甘くなかった。始めは見習いとして先輩の営業について行く日々。朝8時から夜8時まで外を駆け回ったが、もちろん見習いなので報酬は一銭ももらえなかった。
そんな日々が1か月ほど続いたころ、いつものように営業先に向かっている途中で、突然母親から電話がかかってきた。
涙声でかかってきた電話
電話先で、なぜか母親の声は震えていた。
母:「ごめんね、なっちゃん。お母さんやっぱり就職先のこと賛成してあげられんかも」
私:「どうしたん?なんで泣いとるん?」
母:「お母さん、なっちゃんが行きたい会社のこと、友達に頼んでインターネットで調べてもらったんよ。そしたら、悪い口コミが出てきてね・・・やっぱりお母さん賛成してあげられんかも」
その言葉を聞いた瞬間、私は涙が止まらなかった。
「お母さんも本当は、私の決めたことを応援したいんだ。
でも、親として不安なことが多いから、素直に応援できないんだ…」
ここまで母が私の就職先を反対するのは、私に幸せになってもらいたいと心の底から思っているから。
「自分の幸せとは一体何なのか?」
自分の中でもう一度、徹底的に言語化をする必要があると感じた。
すぐさま、就活中に行った自己分析のノートを全て見返して、ペンを手に取り無地のノートに向かってもう一度自己分析を始めたのである。
そして、「それを今度は面接官ではなく、母親に向けて話そう。親を説得するんじゃなくて、安心させてあげられるようにしよう」と思った私は、内定先の会社にあるお願い事をする。
内定先の会社に送ったメール
こんなメールを送ったのだ。
(今思ったらすごく恥ずかしい・・・笑)
そして、その日中に社長が内定者に向けて「COVID-19による採用活動への影響について」というコロナ渦でも業績が安定してことを証明した資料と、内定者の親族に向けたメッセージを送ってくれた。
「これを見せたら、親も納得してくれるだろう!」
そう思い、私は親に話をつけるため、実家に帰った。
生まれて初めて母親に怒鳴った日
実家にかえって、私はすぐに母親に会社から送られてきた資料と親族に向けたメッセージを見せた。
母親はそれを見るなり、「お母さんが欲しかったのは、こんなものじゃない!」と言ったのだった。
私は意味がわからなかった。
見せた資料やメッセージの中には、今まで母が知りたいと言っていた、福利厚生のことや、会社の業績のこと、コロナによる影響のことが事細かく書かれていたのに、一体何が違うんだろう・・・。
そして、そのとき、私の今まで抑えていた感情が爆発した。
「じゃあこれ以上、私に何をしろって言うんよ!」
この言葉を放った瞬間、自分でも驚いた。これまで、親の前で怒鳴ったこともなかった私が、自分でも驚くほど大きな声を出していた。
(この時の情景は、1年以上たった今でもしっかりと脳裏に焼き付いている)
親も驚きのあまり、目には涙を浮かべていた。
「出ていって、もうこの家から出ていけ!」
そう言われた私は、スマホだけを手にすぐさま実家を出ていった。
同じ境遇の人との出会い
それから、一人暮らしの家に帰った私は、母親と少し距離を置くことに。
幸い新しいバイト先も見つかり、もともとしていた居酒屋のバイトも再開したため、最低限の生活費もそこで担保できた。
友達と会ったり、就活中にお世話になった人たちに連絡して相談したりする日々。
そんな中、就活中に使っていたシェアハウスのオーナー荒木さんが(以下、荒木さん)「なっちゃんと同じような就活生が過去にいたよ」と教えてくれた。
その方も私と同じように、親から就職先を反対されたが、約3か月間しっかり向き合うことで、「反対」を「応援」に変えたそうだ。
実際に、親の反対を応援に変えることができた人の話を聞くと、自分にも一筋の光が見えてきた。
「なっちゃん、焦る必要はないよ。ゆっくり向き合ったらいい。
今はお母さんもなっちゃんもお互い苦しい時期だけど、この峠を乗り越えたら前よりも、もっと良い関係になれるよ。
親は子どもの幸せを一番に願っているんだから、いつか絶対に分かってもらえるはず」
このメッセージに、私は大きな勇気をもらった。
そうか、今すぐ認めてもらうことは難しいけど、もっとゆっくり時間をかけて分かってもらえるようにしていけばいいんだ。
毎日のように母親に送った手紙
この方と話してから少し気持ちが楽になった私は、毎日日記を書くようになった。
そして、日々の出来事や気づきを親にも知らせようと思い、ほぼ毎日母親に向けて手紙を書いて送ったのだ。
SNSで発信したら周りから応援されるように
この出来事の一連を私はTwitterで呟いていた。
当時の私は、そうとう病んでいたのでネガティブな感情を吐き出すことが多かったが(笑)
しかし、そのツイートを見てメッセージをくれたり、電話したいと言ってくれたりと周りの人が私のことを応援してくれるようになったのだった。
このようなメッセージをもらう度に、「私の決断は間違っていなかったんだ!」と心の底から思えるようになってきたのだった。
そしてもう1つ気づいたことがあった。
それは、「私にとって周囲からの応援はとっても大切で必要だ」ということ。
正直な気持ち、自分で決めたこととはいえ、見知らぬ土地東京での就職は少し不安なところもあった。だからこそ、親にも応援してもらいたい、その気持ちがより強くなったのだった。
支えてくれた1冊の本
母に怒鳴って実家を出た日から、母からの連絡は一切途絶えていた。
ふとした時に、思い出して不安になる日々。
「私は、なんて親不幸な娘なんだろう」
「私のせいで、お母さんが病気になってしまったらどうしよう」
こんな事を考えている中、当時の私を支えてくれたもう1つの存在があった。
それは、ある1冊の本。
「やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ」
出典: Amazon
この本は、就活中に荒木さんから頂いた本だった。
「自分らしく生きる」ことの大切さを自身のエピソードから語っているエッセイ本。
初めてこの本を読んだとき、この本の全てのメッセージが自分宛てに書かれてあるように思えた。
私の人生はこれまで、親が敷いたレールに沿って進んできたのかもしれない。
大学受験のとき、本当は県外に出てみたかったけど、親の勧めで県内の国公立大学に進学したこと。
大学3年生のとき、1年間休学して留学をしてみたかったけど、親から「休学はして欲しくない」と言われ断念したこと。
就活もこんな風に親の言う通りにして決めてしまったら、この先の人生ずっと後悔してしまう。そして、私は自分が何者であるか分からず、いつまでも誰かの人生の中で生き続けてしまうと思った。
従兄が送った1通のLINE
~2020年6月~
親に怒鳴って家を出て行った日から約1か月がたった頃だった。
朝起きると、母親から1通のLINE通知が来ていた。恐る恐るひらいてみると・・・
「ハル君からこんなメッセージが来たよ。そろそろ帰っておいで。」
このメッセージとともに、LINEメッセージのスクリーンショットが送られてきていた。
▲ハル君(従兄)が母に送ったLINEメッセージ
従兄が私の意思の固さを尊重して母に送ってくれたメッセージであった。
これを見た瞬間、ずっと涙が止まらなかった。
私の就職先の話は、親戚にも伝わっていた。大企業や市役所に勤める親戚たちも私の就職先については、あまり賛成はしてくれなかった。
しかし、約3か月間、私が自分の意思を曲げなかったので、徐々に私の決断を尊重してくれるようになり、「一度応援してあげてもいいんじゃないか」と思って母に送ってくれたメッセージであったのだ。
周りからの助言もあって、母の意見も少しずつ変わり、おくられてきたメッセージ。
「そろそろ帰っておいで」
母から送られてきたこのたった10文字の言葉は、この1か月間、私が1番欲しかった言葉だった。
1年越しに書いてもらった内定承諾書
~2021年3月~
内定をもらってから1年がたった。
来月から東京に行く私は、最後に母にあるお願いをした。
「お母さん、この内定承諾書、書いて」
そう言って渡すとすんなり書いて渡してくれた。
「なっちゃん、一度きりの人生なんだから、思い切って頑張っておいで。辛くなったらいつでも帰ってきていいんじゃけんね」
1年前は聞けなかった言葉が、1年越しに聞くことができて、心の底から嬉しかった。
嬉しくて、そしてちょっと寂しくて、何も言葉を返すことが出来なかった。
社会人1年目になって思うこと
社会人1年目の私は、現在、第一志望だった東京の会社で働いている。
母に就職先を反対された経験は私の人生を大きく変えたと思う。
ここまで自分の意思を強く持ち、周囲から大反対されても主張し続けたことは、私の人生でこれまでなかった。
今まで親の言うことを聞いて進路を選択してきた自分が、初めて自分で決めたこと。
親と向き合った3か月間は、いわば会社に入る覚悟を測る、最終面接だったのかもしれない。だとすると、日本一手強い選考だ(笑)
しかし、この出来事があったからこそ、入社してからもより納得感をもって働くことができている。
またこの経験からもう一つ、大きな気づきがあった。
今だから言える母への感謝
お母さん、あの時は心配を沢山かけてしまってごめんなさい。そして、内定承諾書を破ってくれて、ありがとう。
今の私はあの時のことを振り返ると、「この出来事があって本当によかった」と思います。
いつか車の中で、私が「お母さんの幸せって何?」と聞いたことを覚えていますか?
聞いて1秒もたたずに、返ってきた返事が忘れられません。
「なっちゃんとお兄ちゃんが幸せなことかな」
この言葉がずっと私の胸の中に残っています。
本当に私の幸せを願ってくれているから、あの時は内定承諾書を破ってくれたのだと思います。自分のことをここまで想ってくれる親という存在の有難さに気づくことができました。
きっとあの時、そのまま反対されずに就職していたら、この事に気づけなかったかもしれません。
そして、もしあの時、違う就職先に決めていたら、私はずっと後悔して、自分の人生で躓いたときに、ずっとお母さんのせいにしていたと思います。
おわりに
私の就活は、どこの就活サイトやセミナーでも聞いたことがないような経験で、私の最終面接官は、私にとって世界一手強い存在だった。
しかし、この経験によって私は世界で1番納得できる内定を獲得できた。
これを読んでいるあなたは、自分の人生を自分自身で選択できていますか?
誰かの決めたことやルールに従って、自分に嘘をついていませんか?
就活に限らず、いろんな人生選択の際に、自分の胸に手をあてて問いかけてみて欲しい。
そして、もし今、あなたがやろうとしている事を、周囲に反対されていたとしても、もう少し踏ん張ってみて欲しい。
とはいっても、1人で踏ん張るのはきっと相当きついと思うし、あの頃の私も周りの人たちのおかげで自分の意思を貫くことができた。
だから、少なくとも私は、このnoteに共感してくれたあなたの味方です。もし同じような状況だったら、コメントでもDMでもなんでもいいので、メッセージください。全力で「応援」します!
長くなりましたが、このnoteが少しでも誰かの勇気に繋がったら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
追記・・・
2022年5月、新卒2年目になった春に、私の最終面接官だった母は天国に旅立ちました。
noteを初めて読んでくれた方は、驚かれたかもしれません。
上のnoteに全てを書いているので、併せて読んでもらえると嬉しいです。