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[読書感想文]世間から反対され続けても一緒にいたいと思える人はいますか?

 私は『流浪の月』を読み、1番に思ったことはタイトルにもある通り、自分には世間から反対されても一緒にいたいと思える人はいるんだろうか、ということだ。
 この物語では、自由を求める更紗、小児性愛の文の2人の視点により話は構成されている。更紗が9歳のときに19歳の文と出会う。更紗は両親が亡くなり、おばの家に引き取られるが、今までの生活環境の変化により、「家に帰りたくない」と公園に夜になっても残っていた。そこで出会ったのが、文であった。世間からすると、10歳も歳の離れた女の子を19歳が誘拐したというふうに捉えられるのだ。そこから、2人の人生は被害者と加害者と見られるようになり、離れて暮らすようになる。それから数年、あるカフェで二人は再開するがー
というのがあらすじである。ここで私が問いたいのは、タイトルにもある通り、「世間から反対されても一緒にいたい人はいますか?」ということである。

私がなぜ、この感想をもったか。社会人になり、学生の友人との距離があるからと考える。また、仕事をしなくていい休日を友人と会う日にすることに迷うようになったのである。せっかくの休みなんだから、自分のために使いたいと思うのである。だから、自分の時間を犠牲にしてまで会う関係性について羨ましいという感情が一番に湧き出たのである。そのため、私には反対されても一緒にいたい人は今はいないのである。

文は小児性愛を隠そうとしていたが更紗と会ったことで打ち明けるようになる。文は自分の抱える性癖に不安を抱えながら誰にも打ち明けず過ごしていた。文は更紗に打ち明けられたことで、生きていく上での不安を少し解消でき、こうやって生きていきたいという目標ができているのである。更紗にとって文も、どうしても誰にも知られたくない出来事があったが、その出来事の原因から離れるきっかけをくれた文に感謝していた描写が多かったのである。

更紗と文は、自分の嫌なところを打ち明け、理解をしてもらえたことで自分らしく過ごせているのである。だからこそ、誘拐事件の被害者、加害者の関係性でしか世間から見られず、一緒にいるなんて変だと否定的な目で見られ、理解されなくても、世界で自分を認め、受け入れてくれる存在がいるのならそれでいいとお互いに思えるのではないだろうか。

世間から何を言われようと一緒にいたいと思える存在に出会うために私ができるのは、飾らない自分を見せることだけなんだと気付けたのが「流浪の月」という作品だった。2023年始まりに読めたのは人間関係の作り方の見直しのきっかけになり、無理して真面目なフリをするのはやめたいし、ありのままの自分を受け入れてくれるような人間関係を初対面でも作れるようにしたいと考えた。仕事も今年で辞める私にとって、新たな人脈づくりをする際にはありのままでいることを心掛けたい。そして、反対されても一緒にいたいと思えるぐらいの存在を今年とは言わず、生きている間に見つけたいと思う。

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