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「すずめの戸締まり」がベルリン国際映画祭に出品?されたと知って

私をSixTONESの沼への落としたきっかけとなった「すずめの戸締まり」がベルリン国際映画祭コンペティション部正式出品というのを後輩からのLINEで送られてきたティザーで知った。感想を書こうか書かないかで迷っていた今の私にきっかけをくれた。これはぜひ見てほしいから、感想を書こう。あらすじやキャストの説明は省かせていただきたい。私の好きだなと思うポイントは3つである。

すずめと草太のやりとりが微笑ましくて好き

「このあたりに、廃墟はない?」「扉を探してるんだ」と草太がすずめに声をかけたのが始まりだ。その時の2人のよそよそしさ。このよそよそしさをぜひ、作品を見終わるまで覚えていてほしい。後に、ダイジンにより、草太はイスに変えられてしまうことから、すずめとの関わりがどんどん深くなる。イスの草太とすずめとのやりとりはぜひ劇場でみてほしい。ここは、すずめ役原菜乃華さん、草太役松村北斗さんの何気ないやりとりが本当に素晴らしかった。それと同時に2人の距離が縮まってきたと感じれる2人の芝居の見事さに感無量だった。
私が1番好きな台詞をすずめと草太で一つずつ紹介しよう。

すずめで好きな台詞

私がすずめで好きな台詞は、草太と理由があって離れることになり、草太の祖父と会ったときに行ったこと台詞だ。

生きるか死ぬかなんてただの運なんだって、私、小さい頃からずっと思ってきました。でもー
草太さんのいない世界が、私は怖いです!
小説 すずめの戸締りよりp243-244

この台詞が印象に残ってるのは、すずめは自分の生きることに対しての後ろ向きさが伝わってくる台詞が多かった。けど、この台詞は、草太と一緒に生きたいという強い思いが感じとれたこと、原さんの演じた言葉の強みの凄さに感銘を受けたからだ。この場面を映画館で見てほしい。

草太の好きな台詞

この台詞のおかげで松村さんに魅了されたと言っても過言ではないです。また、RADWIMPSの「カナタハルカ」が草太の曲だ!と思うように感じた台詞でもあります。完全にネタバレの台詞にはなりますが、でも、この文言を言った松村北斗さんの声の芝居を堪能してほしいです。

これで終わりかーこんなところでー。でも俺はー君に会えたからー君に会えたのに……!
消えたくない。もっと生きたい。生きていたい。死ぬのが怖い。生きたい。生きたい。生きたい。
もっとー……
小説 すずめの戸締りp332-333

なぜこの台詞を言ったのか、なぜ私がカナタハルカを草太の曲だと思うのかは、劇場で感じてほしい。

草太と芹澤の関係性が友人っていいなと思わせる

草太と芹澤は、大学の友人である。また、すずめの戸締りを観た人は共感してもらえると思うが、一回目観たとき、私は芹澤の性格、声に全てをやられた。草太より印象に残っていた。話の内容より芹澤の魅力に取り憑かれたのである。その理由を考えた。それは、

  • 見た目のチャラとは似合わず、教員志望で真面目

  • 相手の感情に寄り添える

  • 友人草太のために行動できる

この3点が芹澤の魅力なのではないだろうか。最初、草太のアパートで芹澤と会うのだが、その時はチャラいとしか思わない。そこから教員志望と明かされたときは驚いた。また、物語の後半ドライブのシーンがあるのだが、そこからの芹澤の魅力が詰まっている。また、草太に会うためにすずめに協力するようになる。何も事情も知らないのにここまで頑張れる友人はいるだろうか。だから、私は芹澤と草太の関係性が羨ましいと思う。

親子じゃなくても、母と子の関係性にはなれる

すずめの戸締りを語る上で、すずめの親代わりになっている環さんを語らないわけにはいかない。彼女は、すずめのために人生の全てを捧げたと言っても過言ではない。環さんも芹澤と同様に事情も知らずにすずめに協力してくれるようになる。ドライブ編でのサービスエリアでのすずめと本音を語り合っているところで環さんのすずめへの想いを知れる。ここから、すずめと環さんとの関係性の縮まって良かった…と思える場面であるのでぜひ劇場でほっとして笑顔に自然となれるやりとりを見てほしい。

「ただいま」、「おかえり」を言えることの有り難さ

新海誠監督が、この「すずめの戸締り」は東日本大震災をモチーフ?にして制作されたとニュースで知った。東日本大震災は昼に起きたため、「いってきます」は言えても「ただいま」は言えなかった人が多いという。このエピソードを聞いたとき、私はある合唱曲を思い出した。東日本大震災を経験した福島県南相馬市の中学生が作詞した「群青」である。このなかには、「『またね』と手を振るけど明日も会えるのかな」という歌詞がある。14時46分であれば、学校帰りに「またね」といったやりとりをした学生たちがいたのではないだろうか。東日本大震災は、「行ってきます」や「またね」を言えても、それに対応する言葉を相手に伝えれることができなかったのではないだろうか。この「すずめの戸締り」は、日々当たり前のことを当たり前ではないと教えてくれる作品である。

私は「すずめの戸締まり」を何回でも観たいと思う

以上が、自分が印象に残ったこと、考えたことである。涙腺にきたシーン、微笑ましくなったシーンを思い出すことができた。私は2回しかまだ観られていない。が、2回目観たときに草太の視点にたったことですずめの戸締りの魅力を発見できた。そのおかげで、小説を買おうと決心できたのである。
まだ、観たことない方には何より、草太の「かせまくもかしこみ日不見(ひみず)の神よ 遠く御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。久しく拝領つかまつったこの山河、かしこみかしこみ、謹んでお返し申す!」のかっこよさをみてほしいと思う。私はこのシーンを何度でも観たいので、2月に戸締りしに行こう。


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