人の悪口ばかり言うママ友がイヤ!
学生時代からの友人でもなく、一緒に仕事をする仲間でもない。だけど思った以上に一緒に過ごす時間が多いのが「ママ友」という存在。
子どもを通じて知り合う相手なので、自分と気が合うかどうか以前に、なんとなく付き合うことになったということも多いのではないでしょうか。習い事を通じて知り合ったママ友だと、習い事の日のたびに、あるいは週末のたびに顔を合わせることもあるのかもしれません。
あるママ(Aさん)は、ママ友(Bさん)のこんなところにモヤモヤしているそうです。
周りの人を悪く言うことについては、いろんな捉え方ができそうです。
パッと思いつく限りだと
誰かの悪口を言うことで、仲良くしたい人との結束力が強まる
人の悪いところを見つけることで、自分の正当性を示したい
悪口を言うことを通して、何かわかってほしいことがある
こんな感じでしょうか。
1.誰かの悪口を言うことで、仲良くしたい人との結束力が強まる
これは誰しも経験があることだと思うんですが、「誰かの悪口を言う=敵を作りあげる」ということなんですよね。敵がいると、おのずと身内の結束力は高まります。敵を倒すために力を合わせなきゃいけないから。
そういう意味では、ほかのママ友と仲良くしたいがために、誰かをわざわざ悪者に仕立てあげている可能性はあるんじゃないかと思います。
2.人の悪いところを見つけることで、自分の正当性を示したい
誰かの悪いところを見つけてそれを非難するとき、Bさんの心の中では
「あの人は悪い、私は悪くない」
「あの人はできていない、私はできている」
「あの人は間違っている、私は正しい」
こんなふうに、相手をダシにして自分を正当化したいという動きが生まれています。
別に誰かをダシにしなくても、もっとシンプルに自分を正当化すればいいじゃないかと思うんですが、まあそうはできないんですね。
自分より「未熟そうな人」「できていなさそうな人」「間違っていそうな人」をわざわざ見つけてきてはチクチクやると、自動的に「私はできてる」「私は正しい」「私はすごい」ってアピールできるし、それを周りから褒めてもらえたり認めてもらえたりする。副次的な産物として自己承認欲求が満たされるんだと思います。
3.悪口を言うことを通して、何かわかってほしいことがある
3つめはこれ。誰かの悪口を言うのは単なるパフォーマンスで、本当はなにかしら周りにわかってほしいことがあるというパターンです。
1や2と似ている部分もあるんですが、
みんなと仲良くしたい
自分に注目を集めたい
ママとして、あるいは人として尊敬されたい
などなど、Bさんには何かしら「わかってほしい」「こうだったらいいのに」と思っていることがあるんじゃないでしょうか。欲求、要求、願いのようなもの。でもそれらがパートナーや家族、友人間で満たされていないのかも。その欠乏感をママ友たちに埋めてもらおうという動きなのかもしれません。
…と、ここまでは、あくまで私が勝手にBさんを推測してみたよっていう話でした。
で、ここからが本題。
このママ友Bさんのことが気になるということは、Aさんにも似たようなテーマが潜んでいるっていうことなんです。Aさんはとても勘が良い方なので、Bさんの行動から推測できる状況について私が話していたら、ご自分でハッと気づかれたようでした。
「誰かの悪口ばかり言うママ友Bさん」と「子どもの悪いところばかりを指摘するAさん」は似たようなパターンのテーマを抱えています。
耳が痛いかもしれないですが、せっかくなのでAさんの状況を紐解いてみることにしましょう。
子どもの悪いところを指摘することで、自分のことを見なくて済む
子どもの悪いところを見つけることで、自分の正当性を示したい
子どもの悪いところを指摘したくなるくらい、我慢していることがある
どうでしょうか。
ママ友Bさんのケースとちょっと表現は違いますが、内容としては、ほぼ同じようなことが言えるわけです。
1.子どもの悪いところを指摘することで、自分のことを見なくて済む
親なんで、子どもの悪いところが目について叱ることはあると思います。だけど、もしそれが頻繁になっているのなら、ちょっと考えてみてもいいのかもしれないですね。
子どもの悪いところばかりを指摘するということは、子どものことをずっと細かく観察(見守る?監視?)しているということ。それは一見すると良いことのようにも思えますが、裏を返せば、子どものことにフォーカスしすぎ、集中しすぎということでもあると思うんです。
ママが自分自身にフォーカスを向ける割合が減っているということ。つまり自分のことを見ていない。おそろかにしている。
もちろん子育ては、さまざまな場面で目をかけたり手をかけたりが必要になってくるけれど、“必要以上に”それらをやっているとしたら、自分から目を逸らしたい何かがあるのかも。
2.子どもの悪いところを見つけることで、自分の正当性を示したい
子どもに口うるさく言ってしまうということは、その前提として「それは良い、これは悪い」のジャッジ、価値観が働いているということ。もちろん子育てにおいて、「それはダメ」と言わなければならない場面はあると思います。命の危険にさらされそうなときとか、お友だちを故意に傷つけてしまいそうなときとか、ね。
でもそれ以外は、本当なら「どっちでもいい」はずのことで、でも、そこにAさんの価値観フィルターがかかって「それは良い、これは悪い」の判断がなされるわけです。
つまり、お子さんに口うるさく言うということは、その反対側の世界を「良い」とAさんが思っているということです。自分なりの「正しさ」が必ずそこにある。
正しいことの何が悪いの? と思うかもしれませんが、その「正しさ」ほんとうに「あなたが思う正しさ」ですか?
子どもに口うるさく言う理由として、もし
「世の中が〜」
「社会が〜」
「周りの人が〜」
「普通は〜」
「一般的には〜」
という言葉が出てくるならちょっと注意。それはもはや「Aさんが思う正しさ」ではなく「世間が求める正しさ」をAさんが真面目に守っているだけかもしれません。
真面目に守ってきたことで、社会で評価されたり、受け入れられてきたりしたのかもしれない。これまでのAさんにとって、そうすることがメリットだった。そこに何かうまみがあった。でもそうすることで、抑え込んできた“何か”もあるはずなんですよね。
それは「自分の考え」だったり「気持ち」だったり「やりたいこと」だったり「個性」だったり。正しさを守るのと引き換えに、自分の中にしまいこんできたことがあるかもねと思うのです。
3.子どもの悪いところを指摘したくなるくらい、我慢していることがある
これはめちゃくちゃ単純な話なんですが、自分が我慢していることを誰かがやっているのを見ると、イラッとしません?
たとえば私は以前、娘たちがメイクに夢中になっているのを見てイラッとすることが多くて。
「若いうちからメイクするのはお肌がかわいそう」
「メイクなんてしなくてもじゅうぶん可愛いのに」
って、しょっちゅう思っていたし、言っていました。
若いピチピチのお肌がメイクで痛むのは嫌だなあとか、すっぴんでじゅうぶん可愛いのになあと思っているのはほんと。だけど、その裏の裏をジーッと眺めてみると、「メイクが思う存分できなかった若い頃のわたし」が出てきたんですよね。もうひとつ「可愛くありたいという気持ちに素直でいられないわたし」っていうのもいた。
若い頃のわたしは、本当はメイクを楽しみたかったけど肌が弱くて。あとメイクすると派手な顔になってしまうという思い込みがあり、メイクをすると目立ってしまって、周りから避けられる、嫌われるなどの思い込みもあったような気がします。
抑えこんだ気持ちは、そのとき抑え込んだだけに過ぎず、存在としてはなくなっていません。ある人は、そういう「気持ち」「感情」は体に刻まれていて、それは感じ切るまでなくならないよと言っていたし、私のヨガの先生も「感情は関節に宿るの。関節が硬いのは、そういう理由もある」と言ってました。
私も自分の体験を通して、そう思います。今は見えていないだけで、なくなってはいない。だから、あとになって外側から何かの刺激を受けるたびに、それらの感情が反応を起こすのです。
「子どもが勉強せずに遊んでばっかりいる」
「周りに気を使わない言葉使いをする」
「なんでも好きなものを金額を考えずに買う」
「機嫌の悪さをそのまま表現する」
たとえば、こんな子どもの様子にイライラするときは
「子どもが勉強せずに遊んでばっかりいる」
→もう頑張りたくない。疲れた〜!
「周りに気を使わない言葉使いをする」
→相手のことばかり考えずに自分の思ったことを言いたい!
「なんでも好きなものを金額を考えずに買う」
→もっと自分の喜びのためにお金を使いたい!
「機嫌の悪さをそのまま表現する」
→私だって頑張ってるの!我慢してるの!
っていう気持ちがママの中に隠されてるのかもしれない。今はそうじゃなくても、小さい頃の自分の感情が反応している可能性もあります。
つまり、子どもにイラッとするポイントというのは、ママが自分に課している正しさのルールの裏返しだったり、自分が我慢してきたポイントだったりするのです。それを子どもと接する中で思い出しているだけ。
そしてこのときに意識したいのは、子どもにイライラする自分、口うるさく言ってしまう自分を変えようとすることではありません。いいママになろうとすることでもない。
自分にどんな正しさや価値観があるんだろうかと見つめて、「そっか、そんな私もいたんだね」と受け入れていくこと。
我慢したり、頑張りすぎたりしている自分に気づいて、「よく頑張ってるね、たまには息抜きしていいよ」って自分に優しくすること。
それだけです。まあ、シンプルなんですが、これがなかなかできないんだけどね。
でも、これらをやっていくと、これまで子どもに感じていたイライラが少しずつ薄れていきます。子どもの「悪いところ」だと思っていたところが、可愛く思えてきたり、うちの子ってば天才なのでは? と思えてきたりするんです。ほんとうに!
頭で理解できることではないので、日々の中でちょっとだけ意識してやってみてほしい。
それにこれは、子どもに限ったことではありません。
周りのどんな人にも同じ仕組みが適用されるから、Aさんが、今、イライラを感じているママ友Bさんへの感じ方を変えたいなら、Bさんに変わってほしいと願うよりも、自分が変わったほうが手っ取り早いしスピーディー。
どれだけ正しいことを相手に伝えたとしても、相手は変わらないですからね。相手には相手の正しさがあるだけのことなのです。
私もすごく正しさを大事にしてきたタイプなので、子どもたちにもパートナーにも、ときには親にも、自分の正しさを真正面からぶつけてファイティングポーズとってました。
それは、わたし自身が真面目に世間が求める正しさにこたえ、自分よりも世間のルールを優先してきたからこそなんですが、でも、これやってると、自分がスネるんですよ。私の場合は、まず体がポイコットを起こした。そうなるまで、気づけなかったから、体が強制終了を起こして伝えるしかなかったんだと思います。
それすらも今は必要な経験だったと思うけど、体がボイコットを起こすまで待たなくても変わっていくことはできるので、そのヒントを届けていけたらなと思うのです。
めちゃくちゃ長くなったー! 最後までお読みいただきありがとうございました。