本当にやりたいことをやらせてあげる
土曜日の朝7時前。ここ最近の日課になっている散歩に出かけた。神社につくと、昨日よりもずいぶん紅葉が進んでいる。だいぶ寒くなったから、完全に紅葉するまであと数日かな。
私は夜更かしが苦手な朝型人間。朝のうちに家事を済ませるのは苦ではないほうで、起きてすぐに家事に取り掛かることができる。すぐ洗濯機をまわして、同時に朝ごはんやお弁当の支度をして。ゴミ出しやお風呂掃除や部屋の片付けをする。
朝のうちに家事が片付くのは私にとっては気持ちのいいことで、整った部屋で仕事をスタートできるとスッキリする。
同時に、いつの間にか「朝のうちに家事は済ませるもの」「家事を済ませてから仕事に取り組むもの」という、自分なりのルールのようなものが決まっていた。もう何年も自分で作って自分で守ってきた、私だけのルール。
そこに、朝のルーティンにチャクラクリアリングの瞑想と散歩が加わったことで、朝やること、やりたいことが渋滞気味になった。
以前の私なら、まずは家事が優先。そのうえで「余った時間」で瞑想と散歩をするという考えになっていたと思う。今でも、子どもが小さい時期なら迷わずそうするかもしれない。でも、すでに子どもたちは大きくなっている。
今回は、今の自分が優先してやりたい「瞑想」と「お散歩」を朝の時間に盛り込むことに決めた。当然、1時間半ほどの時間が、これまでの朝の時間帯に増える計算となる。くわえて、もうひとつ変えてみたことがある。
「余った時間」に瞑想と散歩をするのではなく、瞑想と散歩の時間を優先的に盛り込んでみるということ。つまりは、先に瞑想と散歩。そのあとで家事。そして仕事。
これまでの自分ではありえなかった、家事をいったん横に置いておいて、自分を整えるための時間を取るということをやってみようと思ったのだ。
その結果、不思議なのだけど、その後の家事がスムーズに進んでいる。これまで重い腰をあげてやっていた感のある家事でさえ軽やかにできているし、何なら以前よりも捗っているのでは…。
しかも一昨日は「あ、もう9時半になっちゃった! 早く仕事に取り掛からなきゃ」と思った瞬間、時計を二度見したら、まだ8時半だった。あれ、こんなに短い時間で、いろいろ済ませることができちゃったの? なんだか狐につままれたような感覚。
私の業務のひとつに面談がある。一緒に働いているメンバーに、何か困っていることはないか、これからやりたいことは何かなどなど、いろいろと話を聞いて、これからの働き方や業務上の改善と提案するのが目的。
そんな質問を投げかるとき、返ってくるのは多くの場合、こんな返事。
・こういう学びをしたい
・こういう仕事をしたい
・こういう活動をしたい
・こういうものを買いたい、手に入れたい
仕事の面談なので、こういう返事になるよなと思いつつ……。でも「やりたいこと」には、そういう大きいことばかりだけではなく、もっと日常レベルの些細なことがたくさんあるんじゃないかとも思っている。たとえば、私が今、瞑想や散歩の時間をとりたいと思っているように、誰かにとっては「そのくらい、すぐできるでしょ?」と言われるような小さなこと。
私は子どもたちが小さい頃に「1日だけでいいから、大の字になって思い切り寝たい」と思っていた。人からすれば「そのくらい、すぐできるでしょ?」という小さなことだったけど、なかなかそうできない事情があったり、それを優先してはいけないのではないかという思い込みがあったり。
何に遠慮していたんだか、何を恐れていたんだか。今となっては笑えるけど、小さくても自分にとっては大切な願い、さっさと叶えさせてあげたらよかったな。それが自分を大切にするっていうことだ。
自分にご褒美とか
自分をケアとか
自分を大切にとか
それっぽい言葉が蔓延している。
これらの言葉が使われるとき、そこには「お金に余裕がある人」「時間に余裕がある人」場合によっては「お金に余裕のある人」など、限られた人だけが、それらを許されているような文脈で語られることがある。同時に、それらの情報を鵜呑みにして、「だから私は自分を大切にすることができない」と判断してしまう人たちを見てきた。
でも、自分をケアすることや自分を大切にすることは、本当はそこまで大きな時間やお金がなくてもできる。小さい願いって、案外、今すぐに叶えられるものだったりするものだと思う。
やりたいことがあるのなら、何はなくとも、まずはそれを自分にやらせてあげよう。何かを終えたあとの「余った時間」ではなくて、本当にやりたいことを最優先に。