ドラマ【いちばんすきな花】名台詞集
木曜ドラマ「いちばんすきな花」より、心に残った言葉をまとめました。
*鑑賞時に書き起こした台詞を記録しているため、表記や文言は脚本と異なる場合があります。恐れ入りますがご了承いただけますようお願いいたします。
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第1話
花ってだけで寄せ集められて
美容院での椿と夜々の会話の中での椿の台詞。"花は好きだけど花屋は嫌い"な椿の言葉です。
美しいものでも、善意であっても、受け取る誰かによっては、綺麗でしょ、美しいでしょ、好きでしょ、仲良しでしょ、楽しいでしょ、と、押し付けられるように感じてしまうこともありますよね。
傷つけられるのに慣れても傷つかなくなるってことはない
"傷つけられることには慣れた"と話す夜々にたいして、大貴が言った言葉です。
慣れている、いつものことだ。私は大丈夫、私は強い。
そう自分に言い聞かせていても、心にはちゃんと棘がささっている。
傷つかなくなるってことはないですよね。
安室ちゃんと木村カエラ、どっちがいい?
結婚を決めた鼓太郎に対して、お祝いにカラオケで歌う曲はどちらが良いかとゆくえが聞いた時の台詞です。
安室ちゃんの「Can you celebrate?」か、木村カエラの「Butterfly」か。
ゆくえと鼓太郎は34歳。世代ドンピシャな私にとっては「そうだよね!!」と共感しかない2曲でした。
生方さんの脚本でこうしたかたちで取り入れられる時代や世代を映し出す音楽が、登場人物を"同世代"と感じさせ、一気に親近感がわき、一緒に生きているような感覚にさせてくれます。
自分的にはしょうもなくても、誰か的には常識で、正義で、絶対
鼓太郎とゆくえはとても仲の良い友達。男女の友情が成立している二人でした。しかし、二人で良く会うことを不安に思っている恋人の意見を受け入れた鼓太郎が、ゆくえとはもう会わないことを決め、それをゆくえに伝えるシーンの中での言葉です。
誰かが語る一般論のような常識や価値観は、誰かにとっては違って。
だけど多数派が一般論になっていってしまうのですよね。
そこで自分の気持ちに折り合いをつけながら、大きな流れにのまれてしまうことは、誰でも経験があることだと思います。
大事なのは良さより、好きになってもらえるか
紅葉のイラストに対する出版社の社員の言葉です。
どんなに良いものでも、お金になったり評価を得るためには、大衆性を受け入れなければならないことがあります。
"好き"を仕事にすることの難しさを表していますし、好きな人に選ばれることの難しさの表現でもあるように思いました。
聞こえないけど、何言ってるかわかるやつ
かげでひそひそと何かを言われて、何を言っているかは聞こえなけれど、何を言っているか大体わかるやつ。アレですよね。ありますよね。
慣れたフリをしながら、知らないフリをしながら、平気を装ってやり過ごしても、心はちゃんとすりへっているものです。
みんなのいい人にはなれるのに
椿がずっと越えてこれなかった壁です。
"みんなにとってのいい人"も、それになれるのは才能であり人柄だと思います。
二人組つくれなんて命令、もうないのに
命令されているわけでもないのに、誰かと二人組にならなければいけない、誰かと仲良くならなければいけない、そういった無意識に縛られている私たちを感じさせます。
ある意味、社会や空気に無言の"命令"をされているのかもしれません。
二度目、苦手なんで
「初対面が苦手」はよく聞きますが、「二度目が苦手」と表現する脚本がさすがだなと思いました。
これからも繋がり続ける前提がない関係性だから話せること、聞けることって、あるかもしれません。
本音を話せて、本当をさらけだせて、それでも繋がり続けていられる関係って、本当に特別で、奇跡のようなものかもしれません。
第2話
ちゃんと友達と仲良くした
ゆくえのモノローグです。
子どもの世界にも人間関係ってちゃんとあって、"仲良し"の友達の中でも、少し無理して合わせたり、気遣いして自分をさらけだせなかったり、いろいろな感情の中でそれなりに努力をして人間関係を築いていたはず。
そこで学んだ立ち回りの仕方とか、居場所のつくり方、自分のつくり方が、大人になった今も自分の基盤を少なからず形成しているのかもしれない。
なんとなく昔を思い出して、どことなく胸がきゅっとなる台詞でした。
同じ感情になれない
こちらもゆくえのモノローグです。
周りに共感できなかったり、話にうまく乗れなくて、ぽつんと取り残されたような気持になることってありますよね。
自分にとっての"世界"って思ったよりもずっと狭くて、その中で自分が少数派になると、自分が間違っているような、自分が悪いような気がしてくる。
それで周りになんとなく合わせて、ひきつり笑いでやり過ごすほどに、自分の気持ちの行き場はなくなって、ずっと治らないささくれみたいに、チクチク痛んだりする。
趣味が合わないとか、好みが合わないとか、性格が合わないとかではなくて、"同じ感情になれない"という表現が、さすがな台詞だなと思いました。
都合いい人認定
婚約者と同居直前に別れ、有休休暇中に仕事の電話を受けて対応する兄、春木椿の姿を見て、弟の楓がつぶやいた言葉です。
"都合いい人認定"された人は、結局いいように使われてしまって、消費されてしまう。
椿本人もそんな立ち位置になってしまっていることはわかっていて、それでも、そういう風にしか必要とされる術がわからないから、繰り返してしまう。
ある意味皆が声をかけやすくて頼りやすいというのは、その人の良い意味での人柄ですが、それにより自分の首をしめてしまう椿です。
恋人の方が上で、友達が下
夜々と付き合うつもりでいた大貴との会話の中での台詞です。
友達を簡単につくれる人にとっては、まずお友達、その次に恋人、という順序は至極当然の感覚なのだと思います。
友達<恋人。"普通"の友達とは違う、"特別"に親密な恋人。
でも、本当の意味での"友達"をなかなかつくれず、欲しいと願っている夜々にとっては、"友達"をつくること、友達と"二人組"になることもとても難しいこと。
また、"二人組"って、男女の恋人関係のことだけを指す言葉ではない。
"友達"や"二人組"という関係に対して敏感な夜々の台詞には、考えさせられるものがありました。
席があるなら大丈夫
塾にて、学校に長いこと行けていけない希子とゆくえの会話です。
おそらく希子の席は、学校に来ることが期待されていないから、一番後ろの窓側においやられているのかなと思います。
クラスメイトたちからは、"学校に来ない子"と思われている。
希子に会ったことがなく顔も分からない子がほとんど。
希子が学校に行かない理由が現時点ではわかりませんが、本来行かなければならない場所に行けない自分に対するうしろめたさがきっと少なからずあって、不安になってゆくえに聞いたんだと思います。
そんな希子にゆくえがかけた言葉が、「席があるなら大丈夫」。
そこに続く言葉は、「行けるよ」「居場所があるよ」ではなく、「行っても行かなくても大丈夫」。
この考え方や伝え方ができるゆくえに、ぐっときました。
「席」という言葉には、単純に椅子としての席と、居場所という意味での席がかかっていると思います。
自分の席がいつかなくなってしまうのではと思って、"ちゃんと"頑張ることで必死に守って保ってきたゆくえだからこそ、かけられた言葉でした。
勝手に想像して勝手に傷つく
同窓会についての夜々とゆくえの会話です。
他人の感情を勝手に想像して勝手に傷つくこと、ありますよね。やだなぁって思います。
相手の言葉や態度の裏に見え隠れする本心や下心に気付いてしまって嫌な気分になることもあれば、相手の本音や真実なんでわかりもしないのに勝手に想像して勝手に気遣ってしまって疲れてしまったり。
そんな風に人の気持ちなんて考えないくらい能天気になれればいいのに、なんて思うこともあります。
そうやって思いを馳せられることは時にポジティブに作用する場面もあるけど、大体の場合は自分の心ばかり疲弊してしまう。
静かに共感できた台詞でした。
悔しいって気持ちだけで泣けてるかな
ゆくえが幼い時に見たちびっこ相撲の話。絶対勝つだろうと誰もが思う大人の体格の男の子と対戦することになり、泣き出しそうな小柄な男の子。
しかし結果的に小柄な男の子が勝利し、その感動的な展開に、周りの大人たちは小柄の男の子を称賛した。
けれどゆくえは、負けた大柄の男の子の気持ちを想像してしまった、という話です。
私自身がもしこの勝負を見ていたら、そこにいた大人たちと同じように、勝利した小柄の子のことを、「すごいね」と語って称賛したかもしれません。
大柄な男の子は、自身でも当然勝てるだろうと思っていたかもしれないし、本当は不安で、でも勝手当然と思われている周りからのプレッシャーに負けそうで必死だったかもしれない。実際のところなんてわからないけれど、子どもが夢中になって取り組んだお相撲の勝負の勝敗から得るものなんて、純粋な勝利の喜びか、負けの悔しさだけでいいのに、もし周りからの目を気にしての恥ずかしさや情けなさがその子のトラウマになってしまったら辛いですよね。
そんなことに気付かされる台詞でした。
ゆくえちゃんの席、そこ。
周りの空気を読んで、何かを頑張ることで、一生懸命自分の居場所、席を守ってきたゆくえ。
そんなゆくえに対して、紅葉がかけた言葉です。
ただそこに椅子があって、そこがゆくえの席だから、ゆくえを呼んだだけの紅葉。
呼んだことに理由があるとしたら、ただそこがゆくえの居場所だから。
こんな風にシンプルに言葉をかけてあげられる紅葉のやさしさがあたたかいシーンでした。
"だけ"かどうかはまだよくわかんないけど
外見で判断されて、スペックだから有効活用しなよと散々友人に言われてきた夜々。ゆくえも「いいのは間違いない」と言いますが、外見"だけ"がいいかはまだ(中身を知らないから)わからない、と、決めつけをしないゆくえ。
「可愛い」と心から思って言うゆくえ。それがうれしかった夜々でした。
夜々のまわりにいる友人たちは、見た目で夜々のキャラクターや性格を決めつけて、なんなら夜々の生き方とか立ち位置まで決めつけて、勝手に夜々のことを語る人たちだった。
ゆくえは、外見が良くて可愛いというただの事実を何の嫌味もなく伝えるんですよね。外見が可愛い、それだけ。今ゆくえがわかるのはそれだけだし、外見が可愛い、以上、なんですよ。だから夜々がどうとか、そんな風に決めたり語ったりしない。
ゆくえの素敵なところが垣間見える台詞で、とても好きでした。
第3話
無個性のいい人
子供の頃、よく喋り、落ち着きがなく、じっと座ってられない子だった椿。自分が自分らしくいることで、親が困る事、周りから浮いてしまう事を感じて、成長して変わる環境の中で自分を変えて、なんとか生きる術を身に着けてきたのだと思います。
椿にとって、社会の中で生きていくということは、自分の個性を殺して、無個性のいい人でいることだった。
時代もあったのかもしれないけれど、教育や社会がそうさせてしまったのかなと苦しい気持ちになります。
好かれる努力、嫌われない配慮
自分らしく過ごして気の合う仲間と一緒にいるという経験が、ずっとなかった椿。
一生懸命周りに合わせて、異質な自分が排除されないように最大限気を配って、そうやって生きてきた椿の言葉です。
好き同士が両想いとは限らない
椿と純恋、別れ話をする会話の中での台詞です。
お互いに、好きだった。
でも、本音を言えなかったり、相手に合わせたり、"恋人"という名前で一緒にいたけれど、お互いの事をちゃんと理解し合えてはいなかった。
相手のためと思ってした配慮が、本当は自分を守るためで、自分を守るためだったはずの努力が、自分も相手も苦しめてしまうような、そんな二人だった。
二人でいたけれど、どこかずっと、一人と一人だった。
"好きっていうパッケージ" "身勝手に好きだっただけ"の言葉も刺さります。
好かれる努力は出来なかった
椿と純恋、別れ話をする会話の中での椿の台詞です。
本当の自分を出したらきっと面倒くさがられて嫌われてしまうから、いつも純恋に嫌われないように、純恋に合わせることで、そばにいて、恋人という"二人組"でいようとした椿。
好かれる努力をお互いに出来る関係性が、きっと高め合える二人組。
嫌われない配慮ばかりして、自分すら好きになれず隠してしまう関係性は、今は保ててても、きっと辛くなる。
"嫌われないように"と思って一緒にいるって、苦しいですよね。
自分が悪いって思う方が楽だから
椿と純恋、別れ話をする会話の中での椿の台詞です。
純恋に嫌われないように、いつも「ごめん」ばかりの椿。
誰に対しても、何に対しても、全然自分が悪くないのに、口癖のように「ごめん」ばかり言う椿。
いろいろな気持ちを押し殺してそうやってやり過ごすことは苦しいことだけれど、でも、誰かに対して怒りという感情を持ったり、それをぶつけたりするのって、面倒だし、何も生まないから。
むき出しの自分で誰かといることなんて、出来ないから。
はいはい、ごめんなさい、自分が悪かった。
そう思って、そうやっていつも自分でピリオドを打って終わらせてしまう方が、楽だから。
そうやって諦めたり、自分を守ったこと、あったな。
一人で大丈夫って思えるのは、一人じゃないってわかった時
子どもの時から、個性的な自分を隠して人に合わせることで、本当の友達がつくれず、うまく自分を表現できなかった椿。
返事と相槌しか出来なくて、友達に合わせるだけの一人で何も出来ない自分を親や先生が心配したから、「一人で大丈夫にならなきゃ」と唱えるようにして、無個性のいい人になっていった椿。
今は、別れた恋人と住むはずだった広い家でポツンと一人残されても、"一人で大丈夫"と思える。
それは、本当に一人だった時には到底思う事の出来なかったこと。
嫌われない配慮も好かれる努力もせずに居心地よく過ごせる友達が出来た今、一人じゃなくなった今だから、わかったことでした。
第4話
お人形にならないでね
母親の"女の子らしく"という呪縛に囚われながら生きてきた夜々。
自分は母親のお気に入りのお人形だというコンプレックスをもつ夜々に対して、ゆくえがかけた言葉です。
夜々は、誰のものでもなく、夜々だということを、優しくそれとなく肯定してあげたようなこの台詞が、とても心に残りました。
好きやけど、嫌いなとこがいっぱいある
母親の期待通りに生きることが苦しい。そんな本音を初めて母親に打ち明けた夜々の言葉です。
母親からの愛情は確かにあって、ちゃんと夜々に伝わっていて、だけどそれが、夜々が欲しいものとは少し違っただけ。
お母さんのこと、夜々はちゃんと好き。
好きだけど、嫌いなところがあっただけ。
母親がただの毒親という描写で終わらないのもよかったです。
生方さんの作品の世界には、本当の正真正銘の根っからの悪者がいつもいないのが好きです。
良し悪しと好き嫌いは違う
紅葉のイラストをめぐって、「良い」「悪い」「好き」「嫌い」のキーワードが度々描かれますが、このシーンでのゆくえの台詞には共感です。
良い悪いと好き嫌いをごっちゃにして、自分の好き以外を悪だとして否定する人っていますよね。
自分はそうなりたくないなと思います。
また、好き嫌いに理由はいらないというのも、心に残る台詞でした。
第5話
そっちの勝手な罪悪感で
紅葉が高校時代の同級生である篠宮に対して、お前らみたいな一人で可哀想なやつがいるとありがたかった、目立つやつと一緒にいていいように使われてしんどいから一人のやつ見つけて近づいて優しいフリをしていたと打ち明けた後、篠宮が紅葉に言った言葉です。
紅葉が自分の罪悪感に耐えられなくなり、一方的に本音を話した時、篠宮がどんどん傷ついていく様子が手に取るようにわかり、苦しいシーンでした。
篠宮からしたら、今さらそんな風に言われて、自分にとっての幸せな記憶や思い出を傷つけられて、ショックですよね。
そんなこと今さらわざわざ言わないでほしかったはず。
知らなければ、ずっと佐藤くんは憧れで、感謝して、そういう気持ちだけでいられたのに、そういう気持ちでいることも許されなくなってしまった。
受け取る側の気持ちを無視して勝手に抱く罪悪感は、時に身勝手な凶器になってしまう。
篠宮くんとの再会は、結果的に二人とも傷ついてしまう展開となりました。
お腹痛い時
1人で傷つき苦しみを抱えていた紅葉。
紅葉が椿に「死にたいなって時、誰かに言えます?死にたいっていうか、お腹痛いみたいなことです。お腹痛い時のことです。お腹痛いなって時に、今お腹痛いんだって言える人がいなくて。一人で薬局行って、薬買って、飲んで、寝て、痛くなくなるの待つだけっていう、そういう感じで。お腹痛いの人に言ったって治んないし。だから、別にって思ってたんです。ずっと。」と切り出し、今は椿さんには話せると言いました。
それに対して椿が返した言葉です。
本当に心底辛い苦しみと、シクシクたまに痛む腹痛のような小さな苦しみ。
言葉を区別したけれど、苦しみに大きいも小さいも本当はないのかもしれなくて。
大きくても小さくても、自分で乗り越えるしかないことかもしれなくて。
でもそんな時に、お腹痛いんだって言えて、お腹痛いんだって知っててくれる人がいる。
それだけで救われることって、あるから。
ただ聞いてくれる人、ただ話せる相手、そんな人の存在が救いになること。
悲しみ自体に決着がつかなかったとしても、その存在にただ救われることがあること。
ほんの少しのやわらかなあたたかい光のようなものが差すシーンで、とても素敵でした。
その人がどう見てるかでいい
SHINOの絵と紅葉の絵が、どちらも優しい絵だと言ったゆくえ。
そうかなと少し疑問に思っていた紅葉に、ゆくえがかけた言葉です。
優しさって、どう渡したかではなくて、どう受け取ったか。
自分の罪悪感から解放されたいがために、自分にとっての真実を相手に押し付ける必要は無い。
相手にとっての真実を、自分の感情で上書きする必要は無い。
受け取る人が、自分の解釈で受け取ればいいし、それは誰からも奪われるべきものではない。
そんなメッセージが感じられました。
第6話
どっちも意味ないでしょ
紅葉からの好意にゆくえが気付いていることに驚いた夜々に対して、ゆくえが言った言葉です。
好意に気付いていても、別に相手が求めていないなら、突き放す必要も思わせぶる必要もない。
ゆくえにとって紅葉は可愛い幼馴染なので別に距離を置く必要もないし、恋愛感情を抱いている相手ではないから思わせぶる必要もない。
確かに、誰かへの好意って、片方だけが抱いている片想いだとして、その片想いをする側に今以上を求める気持ちがないのなら、受け取る側がその想いを勝手にどうこうしようとするべきものじゃないですもんね。
好かれているからといって、何かをしなければいけないわけじゃない。
受け取ってほしいかどうかは、想う側次第だから。
もちろん想われる側は、それが迷惑であれば拒絶する権利はあるけれど、別に今のままでいい、そんな関係って、ありますよね。
優先順位に自分の気持ち入れ忘れてる
自分の家を手放すかどうかの話なのに、ゆくえや紅葉、夜々のことばかりを考えてしまい悩んでいる椿。
そんな椿に対して弟の楓が言った言葉です。
椿はいつも、あれこれ考える。繊細なほどに考えて、思いやる。
でもそこに、自分の気持ちはなくて、自分を後回しにしてしまう。
それは優しさでもあるんだけれど、自分を苦しめてしまう部分でもあり。
お兄ちゃんの性格をよくわかっていて、5歳くらいからそれを淡々と受け止めてきた楓くんが、さらっと放った言葉でした。
好きだって言わなきゃいけないの?
好意を寄せる相手であるゆくえにいつ告白するのかと聞いた夜々に対して、紅葉が言った言葉です。
紅葉はゆくえのことが好きだけれど、ゆくえは自分に対して恋愛感情を抱いていないことを知っている。
だからといって、ゆくえのことを諦めるわけでもない。
ゆくえに対する「好き」は、届いて叶って二人組になれる想いではないけれど、紅葉にとっては、このまま持っておきたい「好き」。
片想いでも、叶わなくても、今のままでいい、自分がもういいやって思う時まで持っておきたい「好き」って、ありますよね。
男女の友情は成立するか
自分が知らないものに対しては慎重になれるのに、自分が知っているものだと、無意識に自分と違う価値観を否定してしまう。
確かに、ですね。
友情も、愛情も、家族も、恋人も、仕事も、なんだってそうですよね。
人それぞれにそれぞれの価値観や形があって、自分にとってはなくても誰かにとってはあって、自分にとってはあっても誰かにとってはないかもしれない。
だからってどちらが強いとか多いとか偉いとか普通とかって比べるものではなくて、あるね、あるよ、ただそうやって尊重しあえればいい。
それが本当の多様性だったり、平等だったりする。
無意識に否定してしまっていること、自分にもあるかもしれない。
そう考えさせられる台詞でした。
他人の価値観に理解なんて出来ないよ
理解しようと思って色々な論や説をふりかざして知ったかぶりするのではなくて、「私にはわからないけど、そうなんだね」って、それでいい。
理解するということだけが、寄り添うってことじゃない。
"常識"とか、"普通"とか、あるよ、確かにあるけれど、今ここにあるもの、自分にとって確かにあるもの、それだって事実だし、否定されるべきものではない。
そんなメッセージを受け取った台詞でした。
第7話
あの壁をもどかしくもありがたくも思えたら恋
夜々が片想いをしている相手の椿と二人でラーメンを食べに一蘭に行ったという話。
せっかくの二人きりでの食事なのに、行き先はよりによって横並びの席で席の間が壁で仕切られている一蘭。
好きな人との食事だと、その壁一枚がもどかしく感じながらも、ラーメンを食べているところを見られなくてすむからその壁に助かったりもする。
あの一席ずつに仕切りがある感じが、もどかしくもあり、居心地よくもあり、恋愛のたとえに一蘭を使うの天才だなと思った台詞です。
好きって言われてフラれることもある
椿に遠回しに想いを伝えた夜々。
夜々に対する椿の返事は、「3人とも、同じかな。同じくらいみんな、同じように好き。」でした。
夜々に「好き」で返した椿さん。
「好きじゃない」や「付き合えない」や「女として見れない」など、どんな言葉よりも切ないフラれかた。
みんな好き。みんな同じように好き。
一番を選べない椿さんらしい答えでした。
お互い同じように"好き"な両想い。だけど、恋愛にはなれない。
両想いは好き同士のことだけど、好き同士が両想いとは限らない。
どちらかの好きが、違う好きだと、本当に切ない両想いですね。
第8話
お前の不幸を私の幸福のせいにすな
「嫌いなポジティブワード」を発表しあっていた時、夜々が言った言葉です。
その容姿端麗さから、外見ばかりを周りから見られ、羨ましがられてきた夜々。
「生まれ変わったら夜々ちゃんになりたーい」という言葉を何度も言われて、その度に笑って受け流してきたのでしょう。
「私も夜々ちゃんみたいに可愛ければなぁ」「可愛くてよいよね羨ましい」。
そんなことを何度も言われてきたであろう夜々。
夜々にとってはそれは幸福ではなかったけれど、そんな風に人を持ち上げて自分の不幸自慢をするようなやつらに対する、辛辣な台詞が、言い方含めて面白くて印象に残りました。
幸福や不幸って、人それぞれの価値観やものさしがあるもので、誰かと比べてるものでもないし、誰かのせいで幸せなわけでも不幸なわけでもない。
つい人を羨んで、ないものねだりをしてしまう。
そんなことしても何も変わらないのに、自分の不幸を人の幸福のせいにすなって話ですよね。
思わず背筋が伸びました。
咲かない花はあるしね
「嫌いなポジティブワード」を各々が発表していく流れで、最後に椿の番にになった時に、椿から次々とあふれ出て来た言葉です。
椿の言い方に虚しさと哀愁が溢れていて、何とも言えない気持ちになりました(笑)
確かに、咲かない花はあるよね。
咲いてもみんな枯れるし。
出来るなら最初から避ける場所に置いてほしい。
それでも一生懸命、おかれた場所で咲こうともがいて、少しでも長く咲こうと必死に生きている人間が、なんだか愛おしく思います。
好きすぎて、嫌われることしちゃう
娘に対する干渉や依存が過剰すぎる夜々の母と、娘に対する愛情が薄く放任すぎる美鳥の母。
親との関係に悩んでいた美鳥と夜々の幼い頃の会話です。
重すぎる母親からの愛を受け止める夜々と、母親からの愛に飢えていた美鳥。
半分ずつだったらちょうどいいと言った当時の美鳥、自分の母親も、きっと心の底では自分を愛しているはずだと、そう願う気持ちを持ちながらこの台詞を言ったのかと思うと、切なすぎます。
「束縛」を辞書で引くと、「制限を加えて行動の自由を奪うこと」と出てきます。
束縛って何?と聞かれたら、そんな風に物理的な制限のことだと説明する人が多いようにも思います。
けれど、人と人との関係性における束縛、特に、親子関係や恋人との間の束縛については、美鳥の説明の方がしっくりくるかもしれません。
誰と会うなとか、どこへ行くなとか、何をするなとか、そういう物理的な制限だけではきっとなくて。
相手のためにと一方が思い込んでしたことが、その相手を苦しめてしまう。渡す方も、受け取る方も、そのすれ違いが積もっていくほどに苦しくなる。
与えてもらえないものがあって不自由を感じることだけでなく、的外れに与えられるものが多すぎて重すぎて苦痛になってしまうこと。
それも束縛。
考えさせられる台詞でした。
"みんな"にならなかったのは、すごいよ
学校に馴染めず、クラスの"みんな"から嫌われている希子。
朔也は、そんな"みんな"と迎合せず、希子のことを気にかけ、一緒に保健室で給食を食べたりしながらコミュニケーションをとっていました。
その行動についても、クラスの"みんな"から陰でひそひそと言われているのでしょう。
朔也がそんな状況をゆくえに話した時、会話の中で、ゆくえが朔也にかけた言葉です。
朔也も、"みんな"と同じになれたら楽なのかもしれない。
一人で苦しんだり、浮いてしまったり、しなくて済むから。
でもなれなくて、だから苦しくて、だけどきっとそれは、希子にとっては救いになっている。
"みんな"になれないせいで苦しむことは、人と関わりながら生きていくこの社会では時に生きづらく息がしにくくなるけれど、その"みんな"になれなかった誰かに、救われる人もいる。
「あなたは正しい」でも、「あなたは間違っている」でもなく、「救われる人がいる」ということを伝えたゆくえの台詞は、心に残るものでした。
第9話
決めつけるのは、暴力
ゆくえにとって赤田は、異性だけれど、友達。本当に友達。
だけど二人でいると、周りからはすぐに、彼氏?好きなの?と聞かれる。
赤田のことは好きだけど、みんなが言う好きとは違う。二人でいるのはだめなのかなと相談したゆくえに、美鳥がかけた言葉です。
人の価値観や生き方、性格、関心、趣味嗜好、それを他の誰かが決めつけたり、枠にはめようとしたり、否定するのは、暴力。
ぶん殴る暴力ではなくて、かすり傷をつける暴力。
本当の暴力と違って、そういう決めつけとかって、つい簡単に、何の気もなしに、無意識でしてしまう。
よかれと思ってしたことが、誰かにとっての傷になってしまうこともある。
自分と違っても、自分が知っている枠に当てはまらなくても、よそはよそ、うちはうち。
すべてを理解できなくてもいい。理解できないものを否定する必要は無い。「そういうのもあるんだね」。それでいい。それくらいの無関心の方が、逆に優しいし、多様性の尊重に繋がる。
色々なことを考えさせる台詞でした。
好きに理由とかないでしょ
美鳥がオレンジ色のガーベラを好きな理由についてゆくえから聞かれた時の、美鳥の台詞です。
好きなものや、なりたいもの、ほしいもの。
そこに、明確な理由がなくたっていいし、仮にあっても、別に声を大にして説明しなくたっていい。
理由がなくたって好きなものは好きでいいし、それが誰かに理解はされなくても、否定されるべきものではない。
みんなが好きっていうものを、自分が嫌いだった時、みんなが好きだからって理由で好きになる必要は無い。
みんなが嫌いっていうものを、自分はそうは思わない時、みんなが嫌いだからって理由で嫌いになる必要は無い。
人と関わって気を遣って生きていく中で、どうしても周りに合わせてしまうことは、あるけれど、こんな風に自分の好きや嫌いを否定せずにいてあげないと、いつかどこかで自分が折れてしまう。
それでいいんだよ、と、背中をぽんと叩いてもらったような気持ちになった台詞でした。
逃げて正解
美鳥が塾講師のアルバイトを辞めた時の、ゆくえのモノローグです。
塾では、「中学時代ヤンキーだった」「逮捕されたこともある」「生徒とホテルに行っていた」などの事実と異なる噂話をされ、生徒達にも塾関係者からも好かれていなかった美鳥。
そうやって"みんな"に迎合して、暴力を向けてくる人たちがいる世界、自分の居場所ではない世界に、いつまでもこだわって居続ける必要なんてない。
居場所を選ぶために、居場所を見つけるために、その場から去ることは、ネガティブな意味の"逃げる"とはまったく違う。
「逃げて正解だよ」。
この言葉に救われる人って、きっとたくさんいる。
違ってていいらしい
違和感を感じながらも"友達"に合わせて、自分を演じて一緒に過ごしていた紅葉が、それを見抜いて言葉をかけた美鳥と会話をした後の台詞です。
紅葉が美鳥先生を好きだったのは、自分が嫌いだった自分をビシっと否定してくれたから。
"正解"が分かることではなく、"間違い"が間違いだと分かること、それだけで救われることも、ある。
自分がおかしいなと思うこと、どこか違和感を感じること、でも、多数派の価値観とは違うから、自分がズレているのかなと思って、黙っていようとしたこと。
"その自分が正しい"ということではなくて、”自分が違うと思っていたことを誰かも違うと肯定してくれること"。それだけで、救われる。
テストの採点だったら、満点がゴールなら、×より○の方が絶対良くて、○が正解で×が間違いだけれど。当たり前なんだけど。
でも、×印さえつけてもらえなかった答案が、採点してもらえて、×印をつけてもらえること。あ、これ間違いだったんだって、そうだよねこれやっぱり間違いだよねってわかること、間違いですよって言ってもらえること。
どうしたら○になるのかはわからなくても、×印のままでも、赤点のままでも、採点してもらえて、その答案を戻してもらえること。
それだけに救われることって、ある。
自分のためだけに相手がいる
二人組が好きな理由を語った美鳥の台詞です。
自分が必要とされている実感を持てずに育ってきた美鳥だからこそ、二人組というものへの憧れや安心感があるのでしょう。
確かに、自分と一緒にいてくれる人の存在って、どんな関係でも、当たり前だと思ってはいけなくて、本当に特別なことで、嬉しいことで、安心をくれるものですよね。
二人組が苦手な四人が主人公のこのドラマにおいて、二人組の良さを語ってくれたことが印象的な台詞でした。
第10話
好きな花だけ集めたからっていい花束にはならない
花束を作ろうと好きな花を組み合わせる椿を見て、弟の楓が言った言葉です。
椿が自分で組み合わせようとした花は、紫、黄色、ピンクと色とりどり。
楓が束ねた花は、赤を基調にしたまとまりの良い花束。
大切なのは組み合わせ。好きなものだけを束ねることが、美しいとは限らない。
例えば人間関係だったら、椿たち四人の空間の心地よさは、それぞれの人生の中でそれぞれが直面してきた周囲との違和感があったからこそ、見つけられたもの居心地のよい居場所。
例えば季節だったら、春夏秋冬と日本には四季があって、人それぞれ、好きな季節や苦手な季節があって。その基準なんて人それぞれだけれど、比較する別の季節があるからこそ、その季節が好きだと感じられる。
好きなものばかり、同じ意見ばかり、同じ価値観ばかりを集めていたら、その良さにも、価値にも、きっと気付けなくなっていく。
価値観とか、多様性とか、そういうテーマに対して、細かく細かく切り口を変えて色々な形で伝えてくれる脚本だなと感じました。
信じられる人はいいよね
周囲から好奇の目で見られて、"みんな"の嫌いの対象にされている希子が、朔也に言った言葉です。
何が当たり前で、何が普通で、何が正しくて、何が違和感で、そんなもの、切り取り方次第でどうとでも語られるし、いつのまにかころころと変わっていく。
その流れに乗っかって、その時々の"正解"側にいることが、自分が"間違い"にならないためのスマートな生き方。
自分が間違い側にならなければ、多数派にいれば、傷つかない。
そんな風に、人はいつしか経験値として立ち回り方を学んでしまうのでしょうか。
現実をどこか冷めた視点でいつも見ている希子の言葉には、考えさせられます。
自分のことだけ考えていい
クラスのみんなから嫌われて、居場所がない希子。
それでも「私のことを嫌っていないとみんなと仲良く出来ないから、それはそれで辛い子もいると思う」と、自分を嫌うクラスメイト側の気持ちまで想像する希子。
「みんなでいなきゃいけないのと、一人でいなきゃいけないの、どっちの方がしんどいんだろう」と言った希子に、ゆくえがかけた言葉です。
しんどい時、「自分の辛さなんてたいしたことない」「もっと辛い人はたくさんいる」、そう考えることで本当に自分を鼓舞出来てエネルギーに変えられるなら良いのですが、そうじゃない時って、ある。
自分にとっての辛さは、誰かと比べるものじゃない。
せめて自分自身がその辛さを肯定してあげなければ、救われない。
本当に苦しい時、強い人ほど踏ん張ってしまうから。
そんな時に思い出したい台詞です。
そのまま受け入れるのは違う
自分が描いた本の装丁に対するネガティブな意見を気にしてしまう紅葉。
悪意ではないひとつの意見であり、それぞれの価値観だからと、気にしないということは出来ないという紅葉に、椿と夜々がかけた言葉です。
誰かにとっての悪意は、誰かにとっての正義。
人によって、時によって、条件によって、場面によって、変わるものだから、ひとつの答えが常にあって採点出来るようなものではない。
そして結局は人は、基本的には自分の視点で世界を捉えるものだから、それぞれに正解や間違いや違いや価値観があって当然。
そのそれぞれにある個性を、それぞれの価値観を、否定しあうことや競い合うことは無意味で。
あることをただ肯定して、でもそれはそれでよくて、すべて受け入れないといけないわけでも、合わせないといけないわけでもない。
全否定する権利はないけど、全肯定して自分の中にすべて受け入れなければいけないわけではない。
本当に、そうですよね。
第11話
自分が何を嫌いなのか知ってもらったら生きやすくなった
好きと違って、嫌いって、自分の本性や価値観が出るというか。
その嫌いを主張することって、共感されなければ孤立化してしまうかもしれないし、あんまり深い仲でない人には、特別言うこともないものかもしれない。
でも、好きな人、一緒にいたいと思う人に、その「嫌い」を言えて、知ってもらえるって、安心感に繋がりますよね。
一緒にいて心地が良い人とか、安心できる場所って、自分の「嫌い」や「苦手」をしてくる人がいない場所かもしれない。
友達でも恋人でも夫婦でも家族でも、好きを共有できることも素敵だけれど、そういう嫌いが共有されていると、自分が肯定される安心感に繋がる。
生きやすさって、安心感なんだろうな。心に残る台詞でした。
他人の価値観なんて理解出来ないけど
別々の道を生きて来た他人が一緒に過ごす時、価値観の違いがあることなんて当たり前。
どちらかがどちらかに合わせたり、ふたりのルールを新しく作ったり、そうやって歩み寄って、一緒に生きていく。
どちらかが正しいとか、間違いとか、そういう話ではなくて、あなたはそうなんだね、私はこうなんだよ、そっか、じゃぁどうしていく?、ということ。
理解したいと思える相手と、根気強く、理解し合っていく。
そんな人と出会えた時に、自分の価値観ばかりを正義にしてぶつけることのない、自分でいたいものです。
みんなにならなくていい
クラスの"みんな"があの子のことを嫌うから。
友達"みんな"がこれが好きだって言うから。
職場の"みんな"がそうするから。
いくつもの"みんな"に合わせていないと、自分がぽつんと取り残されてしまう気がする。
自分が"みんな"から外れないように、"みんな"と同じふりをする。
本当の自分を隠して、"みんな"から嫌われないために、"みんな"といる。
その苦しさを抱えてきた登場人物たちは、いつもどこかその"みんな"になりきれなくて、自分が間違っているような気がして、苦しかった。
だけど、そんなそれぞれが、実は誰かにとっての救いになっていた。
"みんな"にならない誰かがいるということが、同じように"みんな"になれない誰かを救うことがある。
"みんな"なんて実態はないし、その時によって、その場所によって、形を変えていくもの。
そんな"みんな"になることばかりが、正しさじゃない。
救われる言葉でした。
誰かにとってはゴミになるものでも
髪の毛についたゴミは、桜の花びら。
生ゴミにしてしまう食材の端材は、ウサギのごはん。
物の見え方なんて、人それぞれ。見る角度によって、どうとでも変わる。そのどれも事実で、どれかが間違っているなんてことはない。
自分が大切にしているものを、もしかしたら時に誰かがゴミだと踏みつけていって、傷つくこともあるかもしれない。
でもその逆に、自分がゴミだと思って見向きもしなかったものを、誰かがとても大切にしていて、それを知った時に、新しい世界を見ることが出来るかもしれない。
それでいいんだと思うことが出来る言葉でした。
いちばん好きな人
好きなものは好きでいいし、嫌いなものは嫌いでいい。
それに素直になれる場所があれば、生きていける。
好きに理由はなくていいし、何かひとつだけを選ばなければいけないわけでもない。
「生きづらいよね。でも生きていけるし、いていいよ。生きていこうね。」そう言ってくれるようなこの物語が、最後にくれたメッセージです。
「いちばんすきな花」。
たくさんの大切にしたい言葉が詰まった、とても心に残る作品でした。