記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「海に眠るダイヤモンド」の第7話のある一言がすごすぎて思わず書き綴る

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」。
ずっと素晴らしいですが、昨日放送された第7話がさらに素晴らしくて。
全員良いのは言うまでもない中で、特に、神木隆之介さんのとあるシーンのとある一言、そのたった一言がとても素晴らしくて、思わず記事を書いています。
最近は台詞集ばかり上げていたので、お久しぶりになってしまいました。

今年の秋ドラマ、一通り見ていますが、良い役者×良い役×良い脚本が成す必然によって、素晴らしい役者さんがあらためて世の中に再発見されるような、そんなキラリと光るものが感じられて、何の立場なんだって話ですが勝手に嬉しいです。
例えばそれは特に、「海に眠るダイヤモンド」の神木隆之介さんや土屋太鳳さん、そして「ライオンの隠れ家」の坂東龍汰さん。
彼らが素晴らしい俳優さんであることは言うまでもありませんが、今回の役柄で連続ドラマに出演してくださること、ああこういう役をやってほしかったという役でのお芝居、それを毎週見ることが出来ること、とても贅沢で、その幸せを噛みしめています。


▼「海に眠るダイヤモンド」台詞集


ここから先はネバタレしかありませんので、これからご覧になられる方はご注意ください!



「海に眠るダイヤモンド」第7話、何が素晴らしかったかって、このシーン、この台詞です。

「父ちゃん…ポンプ止めて来た…」

「海に眠るダイヤモンド」第7話 - 鉄平


坑内で火災が起こり、懸命に対処するも鎮火が見込めず、深部区域の水没放棄を決断するに至った端島。
水没放棄とはつまり、これまで炭鉱夫たちが必死に掘ってきた道を海水で塞ぐこと。
それはつまり、石炭の採掘が出来なくなるということ。
それはつまり、端島が終わるということ。

火災が起こり、その決断に至り実行するまでが描かれた第7話、本当に見ごたえがありました。

決定を受け、水没させるためのポンプの停止作業を担うことになった鉄平。
どれだけ想いがあろうが、目の前で火災が起きていて、いつどうなるかわからない。考える暇はない。
ただちに手を動かさなければならない状況で、頭と心と体がちぐはぐの状態になりながらも、その手でポンプを止めていく鉄平、そのシーンも本当に素晴らしかったです。

そしてその後、自らの手でポンプを止め、呆然としながら地上に戻ってきた鉄平が、父・一平の姿を見つけたところ。
父の顔を見た瞬間、口がへの字に曲がり、口元が震えて、呆然としながらふらつきながら父の元へやって来て力無く座りこんだ鉄平が、「父ちゃん…ポンプ止めてきた…」と虚ろに言うシーン。
自分が止めたというその事実を背負ってしまった鉄平、ただ未だどこか何が起きているのか理解出来ないような混乱、呆然、そのすべてが詰まっていて。
一人の大人として、立場ある人間として必死に仕事を全うした鉄平が、父・一平の前ではまるでただの幼い子どもに戻ったかのように、「ポンプ止めてきた」と、本当に子どもみたいな言い方で、父親に縋るようにつぶやく。
この瞬間の神木さんのお芝居が凄すぎて。

そしてそれを受け止める一平役・國村隼さんのお芝居もまた。
何も言わず、ただ鉄平と目が合ったまま鉄平を見ているだけ。だけなのに。
自分の息子が、その手で端島を終わらせるポンプを止めたこと、それを息子が背負ったこと、それを理解し、息子の姿に言葉を呑む父親としての表情と、一人の炭鉱夫として端島の本当の終わりを突きつけられたかのような衝撃。
何も台詞がないのに、すべての感情がそこにあるようなお芝居で、本当に素晴らしかったです。

このシーン、ほんの数秒だったし、スリリングな展開の中ではもしかしたら目立たない、本当に一瞬のシーンだったけれど、この親子のお芝居ここにありというか、本当に素晴らしかった。
このシーンを観ることが出来ただけで本当に価値があると思いました。
素晴らしかった、凄かったとしか言えない自分に嫌気がさしますが、きっとこのシーンに衝撃を受けた方、多かったのではないでしょうか。


海に眠るダイヤモンド。
壮大なテーマをどう描くのかと楽しみにしていましたが、想像以上の想いと覚悟が詰まった作品で、1話ごとに語る気力が良い意味で起きないというか…ただただ毎週、粛々と視聴してきました。
その中で胸がきゅんとするような恋愛の要素があったりと、色々と楽しませていただいていますが、ちょっと今回このシーンについてはなんとも素晴らしすぎて言葉に残したくて(言語化下手すぎて出来ていないのですが)、書きました。

端島のことって、きっと現代を生きる我々は、知らないことの方が多くて。
それでも、このドラマを観ていると、"遠い昔のどこかの小さな島の話"ではなく、今を生きる私たちと地続きの人の生活、暮らしが、その息遣いが伝わってくるかのように表現されていて、いつの間にか惹きつけられてしまう。
どこかずっと死の匂いが漂う端島から感じる、暑苦しいほどの生きる力や実感。
一方、何もかもが揃い圧倒的に便利な今の時代に漂うのは、死とも生ともつかない生温いじめっとした憂鬱さ。
だからといって、きっと描きたいのは、伝えたいのは、昔は良かったとか、みんなで力を合わせてとか、そんな上辺のメッセージなんかではなくて。
端島だって、「一島一家」のもとに生きる人々は、何もかもを理解し合えて仲良く和気あいあいと結束していたわけでは決してなくて。
戦争という大きすぎる痕跡や、閉鎖的な島ならではの閉塞感により存在する、いくつもの分断。
それを受け入れられる人もいれば、受け入れがたい人もいて、だけど同じ場所で暮らしているのは、生きて行くためだし、生きて行くために、暮らしている。
だから端島の様子を見ていると、単純に「羨ましい」とか「いい時代だな」なんてことは思えなくて。
そこから現代へと繋がっていくこれから描かれる物語が、どのように展開していくのか、楽しみです。

今回第7話で描かれたある種の「終わり」、それは確かに、どうにもすることが出来ない「終わり」だったけれど、人は、終わらないし、終われない、終わることが出来ない。
それでも生きていく人たち、生きてきた人たちと、私たちはつながった世界を生きていて、今を生きて、これからを暮らしていく。

はあ。本当に、こういう時に美しく言葉に出来る人になりたいなと願いながら、何も言葉が出てきません。
あと数話、何がどう描かれるのか、楽しみですし、絶対に見届けたい作品です。


いいなと思ったら応援しよう!