【ライオンの隠れ家】が名作だった件
TBS金曜ドラマ「ライオンの隠れ家」。
とても良い物語だった。
純粋で、あたたかく、愛おしい物語。
ひとりひとりがそれぞれの人生を生きながら、出会うこと、共にいること、想い合えること、そういうことのぬくもりを、穏やかに伝えてくれる作品でした。
全話視聴した感想を記録します。
※ネタバレありです。ご注意ください。
公式サイト
名台詞集
みんなライオンだった
最終話を視聴して気付いたこと。
洸人も美路人も、あの家にずっと隠れていたライオンだったのだ。
タイトル「ライオンの隠れ家」。
"ライオン"は、愛生の息子・愁人のことで、正体を隠し"ライオン"と名乗って洸人と美路人の前に現れた彼を、親や社会から匿うようにして受け入れ、小森家で共に生活をするところから始まった物語。
タイトルの通り、小森家はライオンの隠れ家となり、三人の交流を軸に物語が展開していった。
「ライオンの隠れ家」というタイトルは、ただシンプルに、ライオンと名乗る愁人の隠れ場所という意味なのだろうか。
第1話視聴時、タイトルにそれ以上の意味が込められているのではないかとあれこれ想いを馳せたものの、気付けば物語に夢中になり、あっという間に最終話を迎えていた。
最終話にて、洸人は東京で一人暮らしをして大学へ通うこと、美路人はアートグループホームにて自立した生活を送ることを決断し、小森家には愛生と愁人が残り、それぞれがそれぞれの道へと進んでいく決断をした。
その決断は、洸人と美路人にとっては、"ライオン"と名乗り突然目の前に現れた愁人と出会う以前には考えもしなかったことで、二人は愁人と出会い生活を共にする中で、お互いの新しい表情や感情に気付き、これまでの穏やかで凪のようだった生活、居心地のよかった空間から、それぞれが一歩踏み出し、外の世界へと飛び出していくことを決めた。
両親を亡くして以来、自閉スペクトラム症の弟と生きるため、進学や就職、描いていた色々なことを諦め、道を閉ざし、弟のためにと生活をしてきた洸人。
洸人にとって、弟と生きることは義務感や責任感のみからの決断ではなく、美路人への愛情があったからこそ、そばにいたはず。
それでもいつもどこかできっと、"弟のせいで"諦めたこと、閉ざした道、手放したものがずっと自分にまとわりついていて、"これでいいのだ" "これがいいのだ"と言い聞かせながら生きてきたであろう日々。
けれど一方で、そうやって選んだ生活や空間のある意味での居心地の良さがあったのも事実で、ただ穏やかに何事もなく凪のような毎日を送ること、その安定した日々を自分が守り、美路人のそばで、二人で生きていくこと、そのある種の心地よさに身を委ねたまま、そこでそうやって生きていくことが、ある意味では洸人にとって自分の存在価値や意義をいちばんに確かめることの出来る方法でもあり。
そんな場所で、そんな風に生きていた洸人にとって、小森家は、美路人と二人の日々は、過去や未来、あったかもしれない自分から背を向け逃げ込んだような、隠れ家でもあったのだと思う。
美路人は、絵を描くという自身の才能を生かして暮らす術を見つけて過ごしていたし、いつもそばに兄がいて、安心出来る家があって、数は多くなくとも安心出来る人たちがそばにいる、そういう、人から見たら狭いかもしれない世界の中で、毎日を生きていた。
けれどきっと、そばにいる兄や自分自身に対してふわっと湧き上がってくる美路人なりの想いがあったはずで、繊細だからこそ感じ取ったもの、だけれど向き合うのが怖くて蓋をしていたもの、そういうものをずっと抱えながら、洸人と同様に、紆余曲折経て手に入れた平穏な生活の中に、そっと隠れるように生きていた。
小森家で、洸人と美路人が二人で暮らす時間。
それは、とても居心地の良い"プライド”で、心許して穏やかに過ごすことが出来る居場所で、いろいろあるけど、それでよかったし、それがよかった。
そんな二人が、"ライオン"の登場により嵐のような目まぐるしい日々を生きることになり、その中でお互いに見せる新しい表情や感情があって。
最終的に二人は、居心地の良い居場所だった家を離れ、別々の場所で生きて行く決断をする。
この家を隠れ家にして、お互いを守り合いながら少し立ち止まっていた二匹のライオンが、前を向いて歩き出していく。
11話かけて描かれたのは、突然現れた一匹のライオンの子と出会った二匹のライオンの物語だったのだと思う。
答えはずっとみっくんが持っていた
第1話で印象的だったこの台詞。
ウミネコを見ながら美路人が洸人に言ったこの台詞。
第1話視聴時には、ああこの台詞が何かのヒントになりそうだな、と思ったけれど、そんなことは忘れてしまうくらい、「どう終わるの?!」と、ドキドキしながら見守った最終話。
そこでこの台詞が回収された時、お見事!と、美しい脚本に拍手を送りたい気持ちになった。
どこにいたって、ウミネコはウミネコ。
海にいなくてもウミネコはウミネコ。
この時美路人はこの言葉を何の気なしに言ったけれど、最終話にて兄・洸人の自分に向けた真っ直ぐなスピーチを受け取った時、はっとしたような美路人の表情。
兄と離れるのは怖い、けれど兄にとって自分は重荷なのかもしれない、さまざまな想いを抱えて自分なりに葛藤していた美路人は、きっと気付いた。
ウミネコと同じだ。どこにいたってウミネコはウミネコだ。
ライオンと同じだ。離れても、僕らは同じプライドにいる。
だから、大丈夫なんだ。
海岸沿いの壁画に描いた三匹のライオンの絵。
そこに洸人と美路人と愁人の三人で、それぞれ描き足したウミネコの絵。
洸人と美路人が描いたウミネコは、枠から飛び出すような躍動感があって、愁人が描いたウミネコは、洸人や美路人に優しく守られているかのような場所にいる。
三人は、三匹のライオン。そして三羽のウミネコ。
本当はずっと、本質をわかっていたみっくん。
みっくんがずっと持っていた答えに、11話かけて行き着いた物語。
それは決して遠回りではなくて、無駄足でもなくて、必要な出会いと経験をしたからこそ、辿り着いたもの。
それぞれの場所で新しいチャレンジをしてみることを決めた洸人と美路人、二人の表情はとても優しくて、穏やかで。
「またね」と洸人と美路人に告げる愁人の顔つきは、少し頼もしくなっていて。
最終話は、そんな三人を見守りながら、ただひたすら穏やかな気持ちで、なんなら少し微笑みながら観てしまう、そんな物語だった。
隠れ家が"プライド"に変わった
サバンナで暮らすライオンが成す群れのことを指す"プライド"。
小森家で共に暮らすことになった洸人と美路人と愁人。
三人は同じプライドの仲間だと、度々登場した台詞。
三匹のライオンの隠れ家だった小森家という場所が、最終話では洸人と美路人にとって、誇りという意味の"プライド"に変わったのかもしれない。
洸人にとって、大好きなのに、大切なのに、弟の美路人の存在は、時に咄嗟に隠してしまうような存在だった。
それは美路人を、そして美路人と二人での穏やかな生活を守っていくために必要だったこと。
けれど、最終話にて、みっくんは自慢の家族だと胸を張って心から言うことが出来た洸人。
弟が美路人であること、自分は美路人の兄であること、それが洸人にとって本当の意味で胸を張ることが出来るプライドに変わった。
そして美路人にとっても、お兄ちゃんは何があっても自分を一人にしないこと、ウミネコのように、ライオンのように、どこにいたってなくならない絆がちゃんとあること、そのことを心から理解し受け止めることが出来たことで、それが新しい自信になり、誇りになり、勇気になって、もうひとつ違う景色を見るための一歩を踏み出すことが出来た。
自分がいなければこの人はだめだから、とか、この人のために生きるのだ、とか、そういうものは、時に枷にもなり、けれど時には自分を支えるつっかえ棒にもなるもので。
洸人と美路人、二人ににとってはお互いがそういうつっかえ棒のような存在で、そのつっかえ棒が、いつも手が触れられる物理的に近い場所になくても、心の中に、この家に、きっとずっとある。
だからこの家を出て、別の場所で暮らしても、きっと大丈夫。僕らは大丈夫。
最終話のラストシーン、バスに一人で乗り込む美路人、見送る洸人。
"バスで一人きり"は、美路人にとっては過去の経験からひとつのトラウマだったけれど、もう"一人"は、孤独ではないから。
いつものようにハイタッチをして、それぞれの方向へと進んで行った二人。
二人の表情は、晴れやかで、穏やかで、まっすぐで、強くて。
いつもの道。いつもの景色。別に何も変わらない。
だけど確かに変わった二人。でも何も変わっていない二人。
そういう日常が、ちょっとした心の変化が、そして変わらないあたたかさが、じんわりと心に沁み渡って、なんともいえないぬくもった気持ちになる。
そんなとても美しい物語だった。
シンプルなこと
目の前に突然男の子が現れて、そこから次々と嵐のように起こる出来事、意図せず巻き込まれていく洸人と美路人。
スリリングでサスペンスな要素もたくさんあった物語だったけれど、ずっと軸にあったのは、シンプルな"暮らし"だったように思う。
これまで書いてきたような洸人と美路人という二人の暮らしと生き方。
そして、祥吾と愛生と愁人、橘家のこじれてしまった暮らし。
愛していて、大切で、純粋に想い合えていたはずでも、近すぎたり日常になりすぎるといつの間にかそれが歪んで、黒い色のもやもやが漂って、お互いを縛り合ったり苦しめ合ったりしてしまうこともありえる。
想いは時にそんな風に歪んでしまうけれど、でも本当は、相手を救い、自分を救う、あたたかいものであるはず。
暮らしの中で、通じ合ったりすれ違ったりする想いを描きながら、根底にあるはずのシンプルなところに戻ったような物語。
登場人物みんながそれぞれ一歩進んだけれど、ある意味では大切なシンプルな場所に戻ったような、そんな物語。
その描き方が、ちょうどよくて、心地よくて。
ハラハラしながらも穏やかに見守ることが出来る、三人や日常を、暮らしを、愛おしいと思うことが出来る、そんな素敵な物語だった。
素晴らしいお芝居
物語についてつらつらと感想を書き綴ってきたけれど、柳楽優弥さん、坂東龍汰さん、佐藤大空さんはじめ、キャストの皆さんのお芝居のすばらしさが何よりもこの物語を支えていたと思う。
ひっちゃかめっちゃか本当に台風のように竜巻のように起こる出来事の中で、暮らしが、想いが、その中心にちゃんとずっとあったのは、柳楽優弥さんのどっしりと構えたお芝居や佇まいが真ん中にあったからだと思う。
涙を見せたのは一度くらいで、基本的にはあまり感情も振る舞いも抑揚の少ない、淡々とした洸人。
けれど、まっすぐに感情が伝わってくるのは、演じたのが柳楽優弥さんだったから。
"普通"を普通っぽく演じられる人、そういう難しいことを普通っぽくちゃんと出来る人。
柳楽優弥さんの穏やかで丁寧なお芝居を11話観ることが出来たのは、とても贅沢だった。
そしてなんといっても坂東龍汰さん。
これまでも多くの作品の中で素敵なお芝居をされてきた方だけれど、今回の美路人という役を演じたことによって、その演技力がより一層、もう一段階広く世の中に知れ渡ったのではないでしょうか。
自閉症の役柄というのはこれまで多くの作品で描かれてきたけれど、坂東さんのお芝居は、群を抜いていたのではないかなと思う。
喋り方、姿勢、手先、足先、目線、全部、本当にすごかった。
どれだけ研究されたのだろう。
美路人が美路人として、みっくんとして、なんの違和感もなくずっとそこにいてくれたから、物語に集中して観ることが出来たし、たくさんのことを愛おしく思えたのだと思う。
あまりにもお芝居が素晴らしくて、勝手ながら、どうかこの作品をひとつの機会にしてより素敵な出会いに恵まれますようにと、願ってしまった。
素晴らしい脚本と、確かなお芝居と、美しい映像。
結局良い作品に必要な要素って、シンプルなんだよな。
名言っぽい台詞とか、泣かせます要素たっぷりの展開とか、いかにもなことをしなくても、シンプルな物語が丁寧に紡がれれば、それは心に届くし、響くし、残って、伝わる。
今この時代のこのタイミングに、こういう作品が金曜22時にあったこと。
それが素晴らしくて、大切で、本当に観てよかったと思える作品でした。
「ライオンの隠れ家」
素敵な三ヶ月を、ありがとうございました。