【海のはじまり】第8話:こまかすぎる感想
第8話。夏、そして田中哲司さん演じる夏の実の父親・基春回でした。
この物語の主題歌、Back numberの「新しい恋人達に」。
父性をテーマにした楽曲ということですが、この歌詞が一体何を表しているのか、今までずっと考えて来たのだけれど今いちピンとこないところもあって、最終回まで観たら分かるようになるかなあと考えていました。
ですが今回基春さんという人と出会って、この楽曲を含めた「海のはじまり」が描こうとしている、問おうとしている父性というものを、少しくっきりと理解出来た気がしました。
もちろんこの物語における主人公は月岡夏で、彼が親になるということが軸ではありますが、この基春さんというキャラクターは、この物語にとって実はとても重要な、中心的な人物かもしれません。
第8話については未だにぐるぐると考えていて、答えが出ていないところも多くて、やばいです、今回史上最長です。
読んでいただくの大変だと思います。先に謝っておきますごめんなさい。
どうか休憩を挟んだり、適当に読み飛ばしたり、ご自愛ください…(笑)
いつもお付き合いいただきありがとうございます。
番組情報
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第8話 実の父との再会…俺だって悲しいのに
面白い
夏と水季、大学時代の回想シーン。
夏が水季を撮ろうと向けたカメラ、ファインダー越しに水季が映るカットからスタート。
ただのいちゃいちゃシーン(ありがたい)かと思いきや、このカットが後に実父で回収された時は頭を抱えましたね。そうくるかと。涙。
にやにや楽しそうに水季を撮る夏、おどけてポーズを決める水季。
ここでのこの二人の会話も、後につながる重要な会話でした。
かわいいかと彼女に聞かれて、かわいいよと素直には答えない夏くん。
大学生らしい爽やかなイチャつき(ありがたい)が可愛らしいですし、それだけでなく、水季のことを「面白い」という夏くん、ああ夏くんにとって水季はそういう子だったよね、そうだよねと、ストンと落ちました。
水季は夏にとっては自分とは似ていない真逆の性格で、キュートで、意思が強くて、つかみどころがなくて、ころころと表情を変えたり、笑ったり怒ったりといろんな顔を見せる女の子だったのでしょう。
飲み会を抜け出してスマホゲームをしたり、車の窓から身を乗り出して「海ー!」と叫んだり、授業中に鳩サブレー食べたり、先に走っていて靴紐を結び直したり。
あれ、夏と水季のキラキラした思い出が頭に次々と浮かんできて目から水が…。
いつも予想外の行動や反応をして、それがなんだか面白くて、心が惹かれちゃって。
"トキメキ"だったんだろうなあ、夏くんにとっての水季。
陽に照らされてキラキラ光る海の水面みたいな、そんなイメージです、夏くんにとっての水季のイメージって(勝手に夏目線)。
だから「面白い」の言葉が、夏くんの水季に対して心惹かれている感じが良く表れていて、とても素敵だなと思いました。
二人の会話の中で、夏がいつも持っているカメラが3歳の時に離婚して以来会っていない実父が残したものだということが明らかになりました。
カメラ、絶対何か重要なフックだって、放送前にティザー映像が公開された時から気になっていましたが、まさかお父さんからもらったカメラだったとは。
このカメラで水季を撮っていたのかな、くらいまでは想像していたけれど、父と子の物語に繋がるアイテムだったとは、もう、さすがです。
3歳の記憶なんてきっと朧気だろうけれど、お父さんが持っていたカメラ、印象に残っていたんでしょうね。
シャッターはまず半押しして撮るっていうのも、実父がそうしていたのを覚えていたのでしょうか。そこまでの記憶はないかな。
カメラを水季に渡してあげて、半押しねって教えてあげたのに全押ししちゃって撮れちゃう、のくだり、海辺で夏が海ちゃんとやったあのくだりですね。
あの時ファインダーで海ちゃんを覗いた夏くんの表情の変化から、私は半押しで海ちゃんを捉えて、父としての意思が固くなってシャッターを切ったのではとあの時は感想に書いたのですが、水季のことや実父のことを同時に思い出していたのかもしれませんね。
…なんて感じでうっかり噛みしめまくってしまうと、冒頭3分で1,700字とか書いてしまっているので、さあ、次に!行きましょう!!(笑)
ちなみにこのシーン(次行かんかい)、水季にカメラを渡してあげて二人で並んで座るシーン、夏くんの膝が水季にくっつくくらいの距離感で、可愛いカップルだなと微笑ましかったです。トキメキ。
やっぱり夏くんにとって水季はそれくらい近くに感じられる人、好きな人だったんだなと感じて、エモ切ない気持ちになりました。
エモ切ないって初めて言いました。
エモに既に"切ない"の意味も含まれるのでしょうか。
だとしたら"頭痛が痛い"的な二重表現になってしまっている?
こんなことを書いているから長くなるんですよね。
あとはテーブルに置かれたたべっこどうぶつやイルカのペンケース。
二人で課題をやったりなんかしていたのかなという様子でしたが、水季らしい要素が散りばめられていて、エモ切ない(多用)シーンでした。
スイカの芽
現在に変わって、南雲家の縁側で並んでスイカを食べる夏と海。
スイカ、夏、海。Summerだわ~。(うるさい)
何やら真剣な表情に変わる海ちゃんに気付き、「種?ぺってしていいよ。」と自分の手を海ちゃんの口の前に差し出す夏くん。
あんなに子ども慣れしていなくて、敬語で話したり信じられない距離からドライヤーしていたあの夏くんが、この1週間の南雲家ステイの間にすっかり距離を詰めて、親らしく変化しつつあることが表現されました。
「ここに出していいよ」って自分の手を差し出すって、親子的な距離感を示すのに超有効な描写ですよね。
お世話しなきゃという管理監督視点以上の、何も厭わずにその子のために動くことが出来るという愛情やつながりが滲み出るようで。
種を飲み込んじゃった海ちゃんを「お腹で芽出るよ」と夏が揶揄うシーン。
これ、個人的に小さい頃にこの嘘を弟について揶揄ったことがあって。
数日後、お腹が痛くなった弟が深刻な顔で「スイカが生えちゃう~」と泣き出したのを見て、嘘をついてごめんと心から懺悔した思い出があるので、やっぱこれってあるあるな嘘なんだな~とほっこりしました。(ほっこりするなよ。その節はごめんね弟。)
こんな風に揶揄うことまで出来るようになっちゃった夏くん。
そんな夏と海を穏やかに見守る朱音さんも、すっかり夏の義母のような顔をしていて。
朱音さんに「床ベタベタにしないでよ」と言われて、声を揃えて「はーい」と答える夏と海、夏と海の距離感の変化に加えて、夏と朱音さんの距離感にも変化があったことが感じられました。
南雲家ステイの1週間で、なにやらひとつ思いを固めたような夏くんです。
南雲家ステイ修了
南雲家ステイ期間を終えて帰り支度をしている夏。
テーブルには、カメラと2本のフィルム。たくさん写真を撮りましたね。
洗濯物を持ってきてくれた朱音に向かって、夏は「実の父親のことなんですけど…」と切り出します。
支度を終えて、玄関で別れの挨拶をする夏。
左手に持つ紙袋には、朱音さんが夏に持たせた手作りのおかず。
これはもう「silent」の"親のまごころ"ですね。
もう少し距離があったら、持たせるのってきっともっと既製品とかのお土産ですよね。小田原の銘菓とか蒲鉾とか。
手作りおかずを持たせるって、もう"家族"になってる。
朱音さんにとってもきっとこの1週間は、色々な変化や想いがあった時間だったのでしょう。
家を出て、坂道を下る夏。振り向くと、大きく手を振る海。
笑顔で手を振り返して、何度も振り返って、手を振って、夏は坂道を下っていきます。
海ちゃんが笑顔で手を振れるのも、以前とは違って、また会える確信があるからですね。
ここ、弥生さんが前に言っていた付き合う前のカップルとか、付き合いたてのカップルとか、そんな空気感で、とても可愛らしかったです。
第1話、葬儀場で別れる時に恐る恐る手を振っていた夏くん。
あの頃は絶望の海にぽんと投げ込まれてしまって、こんな未来想像出来なかったよね。
もがきながら、溺れかけながら、なんとか泳いで辿り着いた今。
まだまだ迷いも尽きないけれど、夏くんが夏くんなりにもがいてきたからこそ、辿り着いた場所ですね。
一人の家
帰り道、そのままの足で新田写真館を訪れた夏。
現像に出した写真の受け取りと同時に、南雲家ステイ中に撮ったフィルムを現像に出す夏。
突然のペースの上がりっぷりに驚く新田さんでした。
ようやく自宅に帰った夏。
誰もいない暗い部屋、電気を点けた時の夏の表情が、どこかほっとしたようで、でもどこか寂しそうで。
たった1週間とはいえ、いつもそばに海ちゃんがいた賑やかな暮らしへの慣れや恋しさから、一人暮らしの部屋が少し寂しく感じたのかなと思います。
ベッドにごろんと寝転んだ夏。
「疲れた~~~」とでも言っているかのような表情。
1週間、全方位に気遣いをしながらアウェイな環境での孤独な闘い、おつかれさまでした。
でもすぐに体を起こした夏、現像した写真を撮り出し、映ったブレている海の背中を見て笑い、1枚1枚愛おしそうに眺めます。
帰宅直後に夏が朱音さんが持たせてくれたタッパーに入ったおかずを冷蔵庫にしまうシーン。
ここで一瞬見えた冷蔵庫、ドアポケットに入ったマヨネーズとケチャップが雑に倒れているのにリアルな生活感を感じて、きっとこれもこだわりなんだろうなと、こういう細部に宿る抜かりなさ、やっぱりいいなと思いました。
夏?
翌朝。目が覚めて、天気予報を見ながら簡単に朝食を食べて、歯を磨いて、出社。
当たり前だった夏の日常ですが、南雲家ステイ中はいつもどんな時も海ちゃんがいて、海ちゃんを視界に入れながら気に掛けていたでしょうから、その暮らしとの対比で、いつも通りの自分の日常に少し寂しさが漂っているような印象です。
職場にて上司の藤井と夏休みの話をする夏。
「休めた?」と聞かれて「楽しかったです」と答える夏。
こういう時って「はい、ありがとうございました」とか「ゆっくりさせていただきました」と返すパターンがお決まりだと思うのですが、「楽しかったです」って本当に楽しそうに言う夏くん、海ちゃんと過ごした時間が本当に楽しくて、楽しかったって誰かに言いたくて、みたいなのが溢れ出ていて、可愛らしかったです(笑)
一瞬夏の方を見て「ああ、そう」と言った藤井さん、「え、そんなに楽しかったの?まあよかったね?」という心の声が聞こえてくるようでした(笑)
藤井さんの夏休みの予定を聞いた夏。
双方の実家に行く予定だと言う藤井に「娘さんが行きたがるんですか?」と聞くと、「それもあるけど親の方がうるさいんだよ、孫見せろ、会わせろって」と答える藤井。
この時の夏くん、藤井さんの言葉に「ほほ~」みたいな、「なるほど~~」みたいな顔をしていました。
夏くんはこの後すぐ、職場から実の父親に電話をかけるのですが、この藤井さんの言葉を聞いて、「親って孫に会いたがるもんなんだな」と思ったからこそ、実父との対面の際に海ちゃんを連れて行ったのかもしれませんね。
南雲家を出る前、夏が朱音さんに「実の父親の~」と切り出したタイミングで、この時点で海を連れて実父に会いに行きたいということを相談していたのかなと最初は思ったのですが、もしかしたら海を連れて行こうと決めたのは、この藤井さんとの会話を受けた後だったかもしれませんね。
職場の廊下で、実父に電話をかける夏くん。
スーツの後ろ姿のスタイルが良すぎて、観返した時に思わず一時停止してしまいました(笑)
ほんと、目黒さんって異次元スタイルのキラキラスーパースターなのに、"夏くん"としてすっかり物語に溶け込んで、この日常の世界のどこかに普通にいそうな存在感になれるって、すごいですよね。
廊下にぽつんと一人立つ夏くんの後ろ姿を引きで映したカットに、プルルルと鳴り響く呼び出し音。
緊張感を感じさせる絵です。
しばらくして、電話が繋がるものの、何の応答もなく、「…あの」と恐る恐る切り出した夏。
「すみません、母から連絡先を…」と言ったところで、電話の向こうからは「夏?」という声。
「はい。」と答えると、「おお。元気?」と実父。
もう一度「はい。」と答える夏。
このシーン、二十年以上ぶりの親子の会話、夏にとってはお父さんだけれどお父さんという実感のない相手、緊張しながら電話をかけた時、自分の事を覚えているだろうか、どんな反応をされるだろうかという不安があったのだと思います。
緊張して不安げな表情から、父親の「夏?」の声を聞いた瞬間の表情の変化。
言葉数はとても少なく、「はい」しか言っていないけれど、こわばりが少しほどけて、目が少しだけ潤んで、少しだけ顔を上げたその表情からは、「ああ、お父さんなんだ」「俺のことわかるんだ」と、どこか安心したような、少し嬉しさも感じているような、そんな感情が伝わってくるようでした。
ここできっとそうやって思えたから、夏の頭に浮かんだ"お父さん"が"いいお父さん"かもしれないと思えたから、だから海ちゃんを連れて会いに行ったのでしょう。
実父との対面はとてもシリアスなものになってしまいましたが、実の父親に対して一抹の希望を抱きながら会いにいったであろう夏、その理由が、この電話の時の夏の表情にあると思います。
スーパー
南雲家にて宿題をしている海、隣で見守る翔平さんに「写真撮っていいよ。夏くん撮るよ。面白いんだって、海撮るの。」と海。
「へえ。ちょっとわかるな。」と翔平さん。
もう(涙)
この件は後で釣り堀の時に語るので、ここでは飛ばしますが、「面白い」もさ、いいんだよね、それはそれで愛だもん。愛情だもん。親だもん。涙。
一方、仕事帰りに二人でスーパーにやってきた夏と弥生。
「今日俺作るから」と言った夏に、驚きながらも嬉しそうに「やった。何作ってくれるの?」と弥生。
この時、夏は左手で買い物かごを持って、そのかごを挟んで並ぶ弥生さんは、右手でかごに手を添えて、二人並んで歩いています。
「コロッケ作ってみ?びっくりするよ面倒くさくて。」と話す弥生さん。
いやコロッケまじ面倒くさいよね、わかる、弥生さんもそう思っててよかった(笑)
恐らく南雲家ステイを終えて初めて会う二人。
こんな風に笑って話す二人の他愛のない時間って、きっと久しぶりで。
しかも久しぶりに料理をすると言ってくれた夏に、弥生さんは嬉しそうで。
ですが、「栄養とかバランスとかそういうのちゃんとしてるものがよくて…」とメニューを考える夏の姿に、瞬時に何かを感じ取る弥生。
立ち止まって、夏は野菜を手に取りながら、弥生は夏を見ながら続く会話。
笑って歩き出す夏。
この時点で、弥生の手はカゴから離れていて、弥生は夏の後ろで、棚を見ながら、少し夏と距離を取る。
少し先を歩いていた夏が弥生の遅れに気が付き、振り向いて「弥生さん?」と呼ぶと、弥生は少しだけ微笑んで夏の方へと歩いて行きました。
弥生さん…。
このシーン、ここで描かれたすれ違いや距離感は、夏が弥生のことを想っていないとかそんなことじゃなく、二人の段階の違いが表現されているのではないかなと思いました。
夏は、父親の練習のつもりで南雲家ステイを経て、自分の中に確かに海ちゃんに対する愛情のようなものが芽生えていることを確認した状態。
海ちゃんとのこれからを考える上で、色々なタイミングとか形は整えていくとしても、もう"親をやらない"という選択肢はきっとなくて。
親として、今の自分に足りないものを埋める努力をしていかなければいけない、日々そのための準備をしなければいけないという思考で、そのひとつである"親らしい料理"の練習として、「今日俺作るから」なんですよね。
夏くん、そんなに料理に凝るタイプでもなさそうなので、今までたまに自炊をしたとしても、自分一人のためだったら栄養がどうとかっていうよりも簡単に出来るものとか、ガッツリ男飯みたいなものを作っていたでしょうし、弥生さんと二人で食べるとしても、お酒のつまみになるようなものとか、大人メニューを作っていたと思います。
でもこれからはそれだけではいけないから、ちゃんと子どもが生きて育つためのメニューを作れるようにならなければという、子を育てる親になるための準備をしようという意思が感じられます。
南雲家ステイから地続きの夏くんの日常において、この思考とか行動ってすごくナチュラルで、よく理解出来ます。
別に弥生さんをおざなりにしているとか、配慮が足りないとかっていうことではなくて、親になるためのステイを経て進化した夏くんにとっては、ごく当たり前なステップだったのではないでしょうか。
一方弥生さんは、もちろん日々、自分のこれからについて考えていたとは思いますが、夏くんのように母親練習を出来たわけではないから、どんなに考えたとしてもそれは想像でしかなくて、実感が伴わないから、決めるにもヒントがなくて。わかんないよね、母親やれるかどうかなんて。
今日は久しぶりに夏と二人で過ごす時間、「今日俺作るから」なんて言われたら、「一週間南雲家行っちゃってて夏休みも一緒に過ごせなかったから、今日は弥生さんのために俺が作るよ」的な意味合いかと思っちゃいますよね。
弥生さんがどう思ったかはわからないけれど、ちょっと嬉しそうだった感じ、きっとこれに近い感じで、自分のために料理をしてくれるのだという喜びだったんじゃないかと思います。
でも、どうやら海ちゃんと暮らすことを視野に入れた準備として料理をしようとしている様子の夏くん。
察しが良い弥生さんですから、きっと南雲家ステイを経た夏くんならではのこういう変化を冷静にキャッチしていて、きっとそのこと自体には別に苛立ったりとか悲しかったりとかいうよりも、「ああ、この人は父親になろうとしているんだな」と淡々と理解したのではないでしょうか。
その上できっと弥生さんのことだから、「私より海ちゃん優先なのね!」「海ちゃんのことばっかり!」みたいな思春期のような感情はもはやないと思う。
むしろ、自分のために料理をしてくれるのかと手放しに期待してしまった自分や、慣れない料理を子どものために努力しようとする夏に対してコロッケ面倒だよねなんて笑った自分が嫌になるような感覚、あ、私まだまだだ、全然だめじゃん、みたいな感覚になったかもとさえ思います。
弥生さんの表情は、怒りとか悲しみとか寂しさというよりも、はっと何かに気付いたような、そして自問自答するような、そんな表情に見えました。
夏が海の父親になろうとしていることは理解していて、その準備として南雲家に行ったこともわかってる。
だから夏がこうやって、日常のひとつひとつをその準備にあてていこうとしていることは、理解出来る。
自分は、母親になりたくて、その意思を夏に対しても示してきていて、母親になるために色々考えたり自分なりに準備をしようとしていたけれど、お金と時間を使って自由に美容院に行ける自分に気付いた時のように、"夏の恋人"として期待をした自分の甘さや中途半端さにまた気付いてしまってはっとしたような。
父親になろうと進んで行く夏と、母親になるつもりだったけれどまだそこに至っていない自分、やはり迷ってしまう自分、その差を感じてしまった、それが二人の間に生まれた距離で表現されているように感じました。
夏と弥生、今まではどちらかというと弥生さんが夏を引っ張っていたけれど、今は夏が先を歩いて、夏が立ち止まって、夏が振り返って、「弥生さん」って呼ぶ。
夏はもう、ひとつ先に行った。
じゃあ自分は?私はこれからどうする?
弥生さんからは、そんな声が聞こえてくるように感じました。
振り返って弥生を待つ夏くんも、どことなく微妙な表情をしているようにも見えて。
夏くんは夏くんなりにきっと、弥生さんの様子、どことない違和感みたいなものには気付いているけれど、でももう夏くん、自分から弥生さんに何かを強制したり出来る立場ではないってわかっていて、それはしないってきっと決めているし、今は弥生さんが弥生さん自身を考える時間だともわかっているから、待つしかないですよね、今は。
簡単な問題ではないから、弥生さんの心の揺らぎはあって当然で、揺れる自分と、進む月岡くん、その違いにはっとさせられたようなシーンだったのではないでしょうか。
想い合うがゆえに、あえて距離をとる二人。
今はきっと、この距離は必要な距離。
心がばらばらになる前に、向き合って話すことが出来ると良いな。
羨ましい
海の髪の毛を結ってあげる朱音。
うきうきした海を見て「デートに行くみたいだね」と翔平さん。
翔平さんがいてくれるだけで、ほっとします。ありがとう翔平さん。
今日、海ちゃんは夏と一緒に、夏の実父に会いに行くようです。
夏くん、海を認知したいと、親になる具体的な手続きを始めるようです。
そりゃ練習するよね、料理。(引きずる)
夏の認知の意向を受けた朱音さん、「今から親子始められる」の言葉からは、終わってしまい二度とやり直せない水季との関係が感じられて、胸がきゅっと切なくなりました。
水季とも、きっと海ちゃんとも、これまでの7年という時間の間、朱音さんはきっと自分が思うサポートを二人に対してしてこれていなくて。
水季が実家に頼りたくないという意思が固かったから、朱音さんもそれを尊重するしかなかったのだと思うけれど、水季が病気になって、ついにいなくなってしまった今、あの時ああしていれば、こうしていれば、逆にああしていなければ、そういった後悔がきっとぐるぐると頭の中に巡っているのだと思います。
そのすべてを、これから始めていける夏が羨ましい。
朱音さんの素直な気持ちだったように思います。
「羨ましい」といえば、前回弥生が夏の母・ゆき子さんとの会話の中で、夏と水季に綺麗な思い出がたくさんあって羨ましいといったことを話していましたね。
夏と海にも、これからきっと、綺麗な思い出がたくさん出来る。
綺麗なことだけでは絶対にないけれど、でも、一緒に時間を重ねて、思い出がどんどん増えていく。
そんな"これから"がある二人が、朱音さんには眩しく見えるんだろうな。
もちろん、夏が海を引き取ったとしてその後も、祖父母として、義父母として南雲家は夏や海に関わってはいくだろうけれど、翔平さんも朱音さんも、自分たちが高齢だということもあって、もちろんまだまだお元気だけれど、水季の死もあり残された時間というものはきっと意識せざるを得なくて。
世代交代、というとちょっと違うかもしれないけれど、命を育むということのバトンが次の世代に渡っていく、その眩しさと少しの切なさを感じているような、そんなシーンだったように思います。
実の父親
喫茶店で向き合って座る夏と海、そわそわ緊張した様子で水を飲む夏。
そこにやってきた一人の男性、実父の基春です。
店内を見渡し、夏を見つけ、少し笑って、「おお、いた」と一言。
20年以上ぶりの再会、一言目が「いた」って、なんか、あったかいなと感じました。
近づいてくる基春をじっと見つめるもののノーリアクションな夏に対して、「え、違った?夏じゃない人?夏じゃないですか?」と基春。
「です。」とだけ答える夏に、「なんだあってんじゃん。知らない人みたいな顔すんなよ。」と基春。
夏は海の隣に移動し、基春は席に座ります。
夏にとって3歳から会っていないお父さん。
もう記憶も朧気で、ほぼ知らない人ですよね。
でもきっと、自分と血の繋がった親子だし、母・ゆき子さんが好きになった相手だから、父親像としてイメージしていたのって、もしかしたらどこか自分や和哉さんに似ている要素のある人だったかもしれません。
それが、この登場からの数秒の会話からもわかる、「なんか思ってたのと違う」感(笑)
田中哲司さんの、"男感強めで別に悪い人じゃないんだろうけどちょっと雑な乱暴な感じが滲み出る匂い"みたいなのが、完璧すぎて、来た来た来た~!とニマニマしてしまいました(笑)
ちなみにお父さんの名前、「基春」さん。
その息子だから、春の次で「夏」と名付けたんですかね。
ゆき子さんも「雪」の連想で冬のイメージがあるし、季節で繋がる親子、だったのかな。
なんて勝手な妄想ですが、夏を名付けた時の少なくとも幸せだった基春さんとゆき子さんを勝手に想像して、エモ切なくなりました(忘れた頃にまた使う)。
理想と現実
海を見て、「なんじゃこの子」と基春。そりゃそうだ。
夏だけかと思ったらいきなり一緒にいる小さな女の子。驚きますよね。
娘だと伝えた夏に、「ゆき子あいつそういうのは連絡くれたっていいのになあ」と基春。
夏に娘がいるということはフラットに普通に受け止めるんですよね。
この一言から、ゆき子さんともあまり連絡を取っていなさそうな様子がわかります。
いつ結婚したの?離婚した?事実婚ってやつか?
一応夏に確認はするものの、どれにも当てはまらないようで、説明を始めようとした夏を制して、「やっぱいいわ。俺関係ないし、いいよそういう複雑な事情みたいなの。苦手なんだよ聞かされるの。で、何?」と基春。
この時、基春さん、伏し目がちであまり夏と目を合わせようとしません。
一方夏は、「え?」という表情で基春を見ています。
「二十うん年してから会いたいって、ただ会いたいってことないだろう。」と基春。
そりゃそうですよね。
突然連絡が来て、何事かと思って会いにきたのではないでしょうか。
最近娘がいることを知り自分も父親に会っておきたいと思うようになったと話す夏に、拍子抜けしたように「ん?それだけ?じゃあもう終わり?会えたけど。」と基春。
久しぶりに連絡があり会いたいと息子から言われたからには、もしかしたら何か良くない知らせとか、息子を捨てた父親として罵倒されたり非難されたりネガティブな感情をぶつけられることを想像していたかもしれませんね。
それでも拒否せず、息子に会いに来た基春さん。
そう思うと、来たこと自体が、やっぱり親として来たんだろうなと思えるし、あまり目を合わせられず、ちょっと空回りするくらいの"基春節"で現れたことも、基春さんなりの鎧で、基春さんなりの精一杯だったんだろうなと、理解出来ます。
ただ、夏くんにはこの時そんなことまで思いを馳せる余裕なんてなくて。
抱いていた理想と違う基春に戸惑いながらも、聞きたいことがいくつかあると続ける夏。
このあたりから基春さん、さっきまでの気まずそうに狼狽えていた視線が、少しずつ夏を捉えるようになります。
夏が一番初めに基春に聞いたのは、「写真、趣味だったんですか?」でした。
それに対して、「写真?」と基春。
まったく覚えがないようにも見えたし、「3歳の頃の記憶あるのか?」と驚いたようにも見える、絶妙な表情でした。
「趣味って言ったら釣り、競馬、時々麻雀くらいかな。パチンコは行かないんだよ。」と基春。
ここで流れるBGM、思っていた"父親"と違う基春を前に、淡く抱いてしまっていた期待のようなものがふっと消えていくような、そんな夏の心情が表現されているようで、とても切なく響きました。
パチンコは行かないというあたり、基春さんが盲目的にギャンブルに溺れているような人ではないというか、勝てないことはしないというか、そんな感じが伝わりますね。
ギャンブルばかりして家庭を顧みない、みたいなタイプではなさそうで、多分普通に働いて人とコミュニケーションも取りながら意外と愛されちゃうような人かもしれません。
典型的などうしようもないダメ男、って感じではなさそう。
だってゆき子さんが好きになった人だし。
きっと子どもが出来て、育児との向き合い方、責任感という部分でズレが生じてしまったために離婚したけれど、好きで付き合って結婚したそれだけの魅力がある男性なのだろうと思います。
夏にとって、父が残したカメラはきっと唯一自分と父を繋ぐもの。
お父さんのカメラ、しかもデジカメじゃないフィルムのカメラ、そんなものを残されたら、写真が趣味だったのかなって、思いますよね。
これで家族のこと撮っていたのかな~とか、なんとなく思いながら、なんとなく父親を感じながら、そのカメラがいつからか自分の趣味になっていた夏くん。
まず一つ目に聞きたかったこと、それがこの話だったということは、夏にはきっと、なぜいなくなったのかとかそういうことを問い詰めたいという気持ちなんて全然なくて、純粋にお父さんに会ってみたくて、会えたらお父さんのことを知ってみたくて、もしかしたらカメラの話、写真の話、お父さんと出来るかなって、そんなことを想像していたのかなと感じました。
釣りも競馬も麻雀もしないという夏に、「お前ほんとに俺の子?」「あとは?何聞きたいの?」と、どこか茶化すように、どこかはいはいって流すように、早く終わらせたいかのような雰囲気の基春。
夏くんの表情の変化からは、寂しさとか、期待外れ感とか、後悔とか、理想と違う現実を前にした虚しさのような感情が伝わります。
「やめてね。愛してたかどうかとかそういう話なしね。産んでもないし自分の子って保証もないだろ、男親なんて。お前の子かどうかわかんないよ。」
適当なラフな感じで、海の目の前で、そんなことを言う基春。
夏の表情にここから怒りが宿って、夏は黙っておとなしく二人の話を聞いていた海の手を握ります。
海の名前を聞き、「変な名前。母親が変わってんだな。」と笑う基春。
ここで我慢の限界を迎えた夏は大和に電話をかけ、待機していた大和に、海を連れて出て行くように頼みます。
電話を受けてすぐにやってきた大和。
電話越しに夏の声を聞いて、自分が待機していた意味も踏まえ、少し慌てた様子でやってきた大和でしたが、海ちゃんを見つけたらすぐに表情を和らげてニコっとしてあげた大和くんが、どこまでも大和くんで、素敵でした。
現れた大和が夏の弟だと聞き、「ああ。再婚のあれの、連れ子」と軽い口調で言う基春に、声を荒げて「弟」と言う夏。
夏は海に大和と待つようにと伝え、海は夏を心配そうに見つめながらも、基春に手を振り、大和と一緒に店を出ます。
この一連の流れでの夏の怒りのお芝居、目黒さんの目や表情に宿る怒りの表現が見事でした。
第1話、水季の葬儀の時に、友人に対して「いや生きれなかったから今葬式してんだろ。」と珍しく声を荒げた夏くん。
「怒り」がここまで露わになるシーンって、それ以来かな?
沸々と怒りが湧いて、でも冷静になろうとなんとか耐えられたのは、海ちゃんがいたからですね。
子どもの前でこれ以上は見せてはいけないという、大人としての冷静さが、夏くんにあってよかったです。
夏、なんでこの場に海を連れてきてしまったの、とも思いましたが、夏はきっと当然、こんな展開になるなんて予想していなかったんですよね。
いや、厳密に言うと、どこかで万が一の可能性は考えていたからこそ、大和に近くで待機していてもらうように頼んだのだろうとは思うのですが、多分、流れ的にはやっぱり、職場で藤井さんの話を聞いて、「親は孫に会いたがるもの」みたいなイメージもきっとあっただろうし、自分が今海ちゃんに対して愛情を抱けるようになったからこそ、"父親"ってきっとそういうものなんだろうなという想いがあったから、だから自分の実の父親に対しても、どこかそんなイメージを、期待を、勝手に抱いてしまっていたのでしょう。
声を聞いただけで「夏?」と気付いてくれたこと、会いたいと言ったら応じてくれたこと、そういう経緯もあったから、自分の娘を連れて、親になった自分で会いに行けばきっと、喜んでくれるだろうし、会話も生まれるかな、そんな気持ちで、海を連れて行ったのかなと思います。
大和くんに関しては、もしかしたら、夏があらかじめ万一に備えたのではなくて、大和くんが夏や海を心配して、俺も行くよ、何かあったら行くから連絡して、とか申し出るファインプレーをしたかもしれませんね。
兄ちゃんのこと大好きで心配な大和くんならそれもあるかも。
どちらかはわかりませんが、とりあえず、大和くんがいてくれて大正解だったし、嫌なことを言われてもぐっと耐えて自分の役割だけ果たして海と出て行った大和くん、ありがとう。
基春という人
基春さん、すごく嫌な感じ。
嫌な感じなのだけれど、前に水季や津野くんが言っていた「知らないでしょ」という言葉、夏も言っていたしこの物語のテーマとしてもずっと描かれてきた「わかった気になってはいけない」という言葉が、頭の中で聞こえてきて。
基春さん、あまりにも嫌な感じだけれど、私この人のこと何も知らない。
何も知らないんだから、決めつけてはいけないな。
今までこの物語が伝えてきてくれたことを思い出して、ただただなるべく冷静にフラットにと意識して、基春さんを観察して見守りました。
このタイミングで基春をこういう登場のさせ方で描いたのって、嫌な感じに映す明らかな意図がきっとあって。
だからって条件反射で嫌い!!と決めつけずにこの人のことを見てよ、知ろうとしてよ、というメッセージを感じます。
きっとそれが、この物語で今まで描いて伝えてきたことのひとつだし、「silent」「いちばんすきな花」も経てきた私たちは、そして「海のはじまり」を7週間観てきた私たちは、"わかった気にならず決めつけず、その人をちゃんと知ろうとする努力を、見ようとする努力をしましょう。今見えているその人は、その人の一部でしかありません。"という訓練を重ねて登場人物たちを見つめ続けてきた精鋭ですからね。(自称)
見ましょう、知りましょう、基春さんを。
しかし基春さん。
すごく嫌な感じに描かれているけれど、実際こういう人、いますよね。
なんか乱暴で、自分で地雷撒いて全部自分で踏んでいって無邪気に「あっれ~すっげえ爆発してる~」って振り返ってくるような、悪気があるんだかないんだかよくわかんないけど全部不正解、みたいな、そういう人。(悪口w)
優しい人しかいなかったこの物語では異質な人物に見えるけれど、現実世界に結構こういう人って、いて。
「自分の子って保証もない」とか「連れ子」とか「変な名前」とか、そんなこと言う?ってこの文脈だと思えるけれど、現実世界には結構こういうこと、迂闊に言ってしまう人っているんですよね。
その人に悪意はなくても、ぱっと発した何の気なしの一言が、ぐさって相手を刺すことがある。
例えば夏だって、海の実の父親として現れた当初は朱音さんや津野くんからすごく敵意を向けられて、基春と言葉は違えど、結構ぐさぐさと刺されたりしてきました。
もちろん朱音さんも津野くんも、基春さんとはまったく立場も状況も違うのだけれど、なんていうか、こういうことをやってしまうのって結構あるあるで、基春さんはその極みみたいな描かれ方にはなっているので極端に映るかもしれないけれど、私たちが基春さんに「嫌だ」と感じられるのはこれまでの夏を見て背景を知っているからこそであり、そういう背景を知らない他人がこんな風にズケズケと平気な顔で地雷を踏んで人をかき乱すことって往々にしてあるよね、と、妙なリアルさも感じさせる存在でした、基春さん。
でもそんな基春さん、登場してからのちょっと狼狽えたような視線だったり、大和のことを夏に強め口調で「弟」と言われたらすぐに黙ったり、ちょいちょい夏の表情を伺いながら、全然言葉は選ばないんだけどMAXまでは踏み過ぎないようにとどまる感じとかが、田中哲司さんのお芝居で繊細に表現されていて。
なんか嫌、すごい嫌な感じ、なのだけれど、ああこの人って別に悪人ではないんだろうな、すっごい不器用なんだろうな、これがこの人の全てではないんだろうな、どうか本心が別にあってくれ、良い人であってくれ、みたいなほのかな可能性も感じさせる、本当に絶妙なお芝居でした。
これは確かに田中哲司さんの醸し出す雰囲気あってこそのキャラクターな気がする。
しかしどんな演出を受けたらこんなお芝居が出来るのだろう。凄すぎる。
田中哲司さんが演じられるからには「THE男」みたいなサイドの新たな風が吹く気がする、的なことを前回書いたけれど、想像以上の暴風が吹き荒れて、ちょっとドキドキしましたが(笑)
お芝居の緩急とかこのシリアス感を楽しむ上では、田中さん行け行け!と、またすごいものを観てしまった!しかも無料で!と、興奮しました。
「自分の子って保証もない」発言なんかも、視聴者がきっとどこかでほんの数ミリは思っていたかもしれないことで。
私も、別に水季のことを疑うわけではないけれど、本当に夏の子なのかどうかって夏本人も弥生や家族も誰も言わないんだなあ、やっぱりそれは言ってはいけないことと思ってみんな口に出さないのかな、というようなことをいつかの感想で少し書きました。
基春さんってこういう、今まで7話まで観てきてそれぞれの事情や想いを知ってしまったがゆえにみんなが口に出せなかったことを、あえて言葉にするためのキャラクターとして、今このタイミングで出て来たのだろうなとも思いました。
確かに基春さんにしか言わせられない台詞があるわな、と妙に納得もして。
連続ドラマの7話とか8話とかってちょっと退屈になりがちなタイミングだけれど、はっと目が覚めるような強烈インパクトの仕掛けと、ずっと観てきたからこそ汲み取れるような仕掛け、その両方を用意してくださるこの作品、本当にありがたいです。
夏の怒り
海と大和が出た後の喫茶店、夏と基春の二人。
「ちっこい子どもいてなんで再婚とかするかねえ」と基春。
「あれ、2か月前に知ったって言った?何それマジ?それもう絶対お前の子じゃないぞ。女ってそうだろ。ずるいよなあ。産めるってずるいわあ。」
基春の言葉を聞きながら、荒くなる呼吸、必死に言葉をかみ殺しているような喉の動き、そして限界を迎えて思わず椅子を蹴飛ばす夏。
ここ、目黒さんの怒りのお芝居が引き続き素晴らしかったのですが、良い大人がどうしようもなくて物に当たってしまう感じ、これ、血縁のある実の親の前だからこそ剥き出しになってしまう子どもの本物の感情、みたいなものの表現かなと思いました。
いつも言葉にする前に頭の中でぐるぐる考えて考えて、整理がついてやっと言葉に出来る夏くんが、言葉が追い付かない状態で感情のままに椅子を蹴飛ばしたわけですから、これって異常事態で。
でもどんなに怒りの感情が沸き起こったって、相手が月岡家や南雲家や弥生さんや津野さんだったら、絶対こらえますよね、夏くん。
それは、その人たちのことを知ってしまっていて、関係性があって、好きで、好かれたいから。
基春さんは親だけれど、ほとんど記憶もないし、基春のことなんて知らないから、そしていかにも「何こいつ」な感じの最悪な再会だったから、この人とは別にどうなったっていい、もう会うこともないとすらもしかしたら思える相手にだからこそ、剥き出しに出来る本音なのかな。
夏くんってこれまでたまに声を荒げるというか、ぷんぷんする時はあったけれど、ここまでの暴力性が現れたことって今までなくて。
それが、感情に任せて物にあたるという行動になって突発的に表れてしまったことって、もしかしたらこう、やっぱり夏の中にもある"男さ"みたいなもの、目の前にいる基春から血脈で受け継ぐ"男さ”みたいのものがあることの表現かもしれません。
基春や夏が暴力をふるう男性だ、ということを言っているのではまったくありません。
なんと言葉にすればいいのでしょう…あえて男女の二つの性で言えば、女には無い、男ならではの男性性というのでしょうか。
平たく言うと"男らしさ"?うーん、カジュアルすぎるか。
今この第8話において、夏は"父"になる意思を固めた段階ですが、そこであえてこの基春という男性との対峙をさせて、かつその基春を前に引き出された夏の中の男性性に直面をさせる。
この展開をあえてこの段階に持ってくるのって、夏や私たち視聴者に、「"親"になって育児に参加することはわかったけれど、果たして男性がやる"父親"って何なんですかね」を、もう一度ぶつけてきているような。
基春が出来なかったそれを、基春と同じ性にある夏は、あなたは、どうやってやっていきますか?あなたと基春の違いは何ですか?という問いかけというか。
うーん、言語化が難しい。
夏って、まどろっこしいところもあるけれどまあ"いい子"で、海ちゃん含め周りの人に寄り添うし、何かを押し付けたり閉じ込めたりしない、あんまり男男した力を誇示しないタイプで、この物語で登場する朱音やゆき子、水季、弥生、海という女性たちに良い意味で合わせてうまくやっていけるタイプで。
"これから時間をかけて夏くんらしく向き合っていけばきっといいパパになれるよ"、みたいに思わせるようなところがあって、それ自体は別に良いことなんですけど、じゃあいいパパって何?父親とは?父性とは?がやはりこの物語のテーマなんですよね。
"夏くんは良いパパになれそうです。みんなも幸せになれそうです。めでたしめでたし。"のストーリーではなくて、夏がぶち当たる父親、父性というものがテーマの物語。
あらためて、そこをがっつりと本当にド正面から描こうとする作品なのだなと、この基春というキャラクターを観て感じます。
夏がやるのは"親"だけれど、いなくなった水季の代わりではないし、いいパパって、ママみたいに親をやれることではない。
やっぱり父親と母親って、それぞれに役割がある。
それは別にどちらが外で働いて家事に従事してという物理的なところだけじゃなくて、なんだろう、精神性というかなんというか、やっぱりあると思います。
加えて、母と娘の関係性とも違う、父と息子という男同士の関係性ってきっとあるし、前回にもあった「母性」「父性」というキーワード、母性ってふわっとしつつもなんとなくイメージが浮かぶけれど、「父性」ってなんなの?っていう話。
その父性というものがあるとして、それを担うのが、男性であり、夏なんですよね。
基春も、その役割で家族に、育児に参加するはずだったけれど、ゆき子に求められるものとあるべき論に対してハマることが出来なくて、途中でその役を降りた人。
基春と夏、一緒に過ごした時間は少ないけれど、どうしたってある血脈。
基春って全然夏と違うタイプの人、と思わせておいて、やっぱりどこか似ている通じる部分があって、それは過ごした時間がどうこうではない、どうしたってある血の繋がりであったり、「男」という性、共通する男性性が醸し出すもの、そのことを描くための基春であり、この男親と息子という二人な気がします。
だからこの椅子を蹴飛ばす表現って、きっとすごく重要で。
夏くん自身も自分がそんな行動するんだって驚いたかもしれません。
俺はこの人の血を引いているんだという事実。
和哉さんとかからは感じない匂いというか、男さ。
それを持っているかもしれない自分がなるのは、誰の代わりでもない海の"父親"、男としての海の親。
それってなんだ?と、あらためて問いかけられた気がしますし、こういう男さを持った人物は、今まで物語の中では描かれてこなかったけれど、全然特別なことじゃなくて世の中の男性陣みんなが持っている性質だよ、という問いかけでもある気がします。
念のためもう一度言いますが、男性が暴力的だとかということではありません。
語彙力が追い付かず…もし不快にさせてしまったら申し訳ありません。
そしてこの後、基春さんは周囲の客に詫びながら椅子を戻し、「お前今いくつ。まだ反抗期なの?」と聞きます。
この台詞の言い方が、今までのちょっと茶化したような基春節とは少し違って、ちょっと穏やかになるんですよね。まともな大人みたいな。
その前、夏が椅子を蹴飛ばした直後に夏のことを見た基春さんも、驚いたというのとは少し違う表情、なんだろう、言うならば「来たな」みたいな表情?言葉にしがたいのですが…そんな表情をしているような気がして。
さっき決めつけてはいけないと言ったのにいきなり決めつけるんですが(笑)、多分やっぱりどう考えたって基春さんって、超絶不器用人間じゃないですか。
かつ、垣間見えるどころか前面に押し出されて映るこの乱暴な感じ、粗雑な感じって、多分そういう性質が基春さんにあるからこそ滲み出ているわけで、ここでのこの基春さんのキャラクターが、本当の基春さんと全面的に乖離しているとは全く思えないですよね。
でも、やっぱりどこか、今自分が夏に呼ばれた意味、夏が自分に会いたがる意味を、基春さんなりに探っているような接し方だったり、ぽつりぽつりとした夏の言葉足らずの説明から汲み取っただけでも何やら複雑そうな状況を感じて、「お前本音はどうなん?」と探りを入れているような感じもあって。
夏に椅子を蹴飛ばさせたかったわけでも、怒らせたかったわけでも、傷つけたかったわけでもないと思いますし、基春さんに兼ね備えられた天然仕込みの不器用さが大爆発している感じもあるのだけれど。
でも、もしかしたら基春さんの中での夏に対する大前提の部分に、「自分は父親になれなかった」「良い父親が出来なかった」「息子を置いて去った」「育てていない」そういう負い目のようなものがあって、だからといってかつての自分は変わることが出来なかった、そして今さら変わろうとも思えない、そういう、どうにもなれなかった自分に対する一抹の後悔、諦めのような感覚、そしてある種の開き直りみたいなものがあって、だからこそ、そんな自分のまま、憎まれ役の自分を貫いて、そういうタイプの"親"として、夏が感情をぶつける矛先になる覚悟で会いにきた、みたいな、そういう感覚があったのかなと、思いました。
だからといって、「それが今の俺に出来る愛情だ」とか、「やっぱり俺は親だから」みたいな美しさはきっとなくて。
立場的には親と呼ばれるものに一度なったけれど、結果として親というものになれなかった人、変わることが出来なかった男性、としてのキャラクターの基春さんの、このいかにもな感じの描かれ方の意味って、そういうことなのかなと考えました。
これは初見でリアタイした時からぐるぐるぐるぐるずっと考えて、なんとか基春さんを理解したくて、至った勝手な見解です。
切り取られる基春さんの表情には含みがあって、何を伝えたいのかな、何を表現しているのかなと、想像してみて、でもわかるようで全然わからなくて、自信が無い(笑)
そして多分私、田中哲司さんが好きすぎて、どうしても基春を愛したいというフィルターがかかっているかもしれません…(笑)
皆さんは基春さんという人のこと、どう思われましたか?
残念だったね
大学生の時の彼女が別れた後に子どもを産んでいた、その人が病気で2か月前に亡くなった、葬式で子どもがいたことを知ったと、経緯を話し始める夏。
相槌だけ打って、夏の話を聞く基春。
そう言われた夏の顔に浮かぶのは失望と、じわっと瞳に溜まってくる涙。
夏はもうこれ以上何も言わず、席を立ち、店を後にしました。
ここ、「俺の子です」と言った時の夏くん。
今まで認知するとかそういう言葉はあったけれど、「俺の子」とここまではっきりと明言したのって、初めてですよね。
頭では思っていただろうけれど、言葉にすることで強く固くなる意思ってあるから。
もちろんこんなかたちで言いたくはなかったとは思うけれど、海ちゃんは自分の子だ、俺は父親だと、そういう思いを夏があらためて固く出来たシーンだったのではないかなと思います。
そして、基春さんの台詞。
これを言われた夏くん、辛いね。
これって多分基春さんの本心ではあると思う(心にもないことを言っているわけではない)けれど、でもこの台詞を言う基春さんの表情がやっぱり、発している言葉に対して、感情に少し影があるような繊細さを感じるというか。
うーん、基春を愛したいフィルター、かかってますかね?(笑)
さきほど私がつらつら書いた、負い目のようなものを感じて憎まれ役的な立場としての親として会いにきた説、を前提に考えると、やっぱり自分はそういう"子どもを想い愛する理想の父親"にはなれなかったという烙印みたいなものを基春は自分自身に押していて、それを受け入れていて、そんな烙印を背負った親として、夏と会おうが会うまいが生きてきた人、というか。
多分、再婚もしていなさそうだし、再婚しなかったのも意思なんじゃないかな。
この「育ててない親なんて」という言葉にも表れているように、自分は血の繋がり上の親にはなったけれど、命を育てる責任を伴う親にはなれなかった、という思いがあるんじゃないかな。
だから今こうして久しぶりに再会したところで、今さら調子よく"いいお父さん"に変わる資格もなければ変わる気もないし、変われもしないから、夏は血の繋がった実の息子とはいえ、彼の人生に必要以上に近づいてはいけない、近づくべき人間ではない、自分はもうそのポジションを自分の都合で降りてしまった親だから、だからやっぱり息子とは一定の距離は取る、線を引く、言い訳もしないし、取り繕いもしないし、いい顔もしないし、中途半端な手は差し伸べない、みたいな、ある意味ではそういう覚悟を背負って生きている男性なのかなと、感じました。
夏が去った後、ぽつんと残った基春さんの背中には、どう考えたって「面倒な息子がいなくなってほっとしたぜ」感はなくて。
これが正しいなんて思っていないけれど、こうしか出来ない。
あいつは別に俺がいなくたって生きていけるし、生きていけるように守って育ててきたのは、そしてこれから支えていくのは、俺じゃない。
そんな烙印と不器用さを背負っている印象を、基春さんの背中に抱きました。
パパというあだ名
海を連れて出た大和。
夏くんのパパ、大和のパパと全然違ったと戸惑う海に、「みんな違うんだよ。パパってあだ名みたいなもんでさ、みんな違う人なんだよ。」と大和。
そんな二人を後ろから追いかけて来た夏。
この時に「大和」と呼んだ声が、いつもの夏くんより少し荒くて、追いついた時の表情もまだ強張っていて。
「ごめんね」と海に夏が謝りますが、そんなちょっとした変化を敏感に感じ取る海は「怖い」と言います。
「怖かったね、ごめん」と、基春との会話で怖い思いをさせてしまったと慌てる夏ですが、「怖い顔してる。怒ってる?」と海。
海ちゃん、二人の会話はおとなしく聞いていたけれど、あんな夏くんの表情は初めて見ましたね。
水季の具合が悪くてそれを隠す津野くんの表情を何か感じ取りながら不安げな表情でじっと見ていた海ちゃんや、葬儀場で話しかけてきた参列者の話を聞いていた時の海ちゃんの姿が重なりました。
何があったのかはわからなくても、何かあったことはわかる。
そういう記憶は、残る。
「怒ってないよ」となんとか笑い、抱き着く海を抱き上げて歩き出す夏。
抱き上げ方が手慣れてきていて、ああこの二人は親子だなと思えた一方、その様子を心配そうに見る大和でした。
「自分の子どもが一番縋れる」
今回は翔平さんが、そして前回はゆき子さんが言っていたこの台詞。
「縋る」って、頼りにするとかつかまるという意味。
何かこう、苦しい時や辛い時に、その力が唯一の頼みかのように強くつかまりしがみつくようなイメージのある言葉ですが、親子関係におけるこの「子どもに縋る」というのはきっと、自分が揺らいでしまいそうな時、感情に負けてしまいそうな時、何かのせいにしたい時に、「この子がいるんだからしっかりしなければ」「私はこの子の親なんだから背筋を伸ばさなければ」、そんな風に、なんとか足を止めず、歯を食いしばって進んで行くための、つっかえ棒みたいな存在のことを言っているのかもしれませんね。
苦しくて自分の身を委ねる縋り方ではなくて、この子がいる、この子のためにという、自分を奮い立たせるためのつっかえ棒。
その意味では、今日この場所に海ちゃんを呼んだことは、海ちゃんを怖がらせてしまったかもしれないけれど、夏にとっては、縋れる存在があったからこそ、あそこまでで踏みとどまることが出来たのかなと思います。
ゆき子さんもこんな風に、もうダメかもしれないっていう時に、夏という息子に縋って、なんとかやってこれたのかもしれません。
夏がいたから、きっと基春と離れるという決断が出来たのだろうし、一人で育てる時間を耐えたのだろうし、再婚したのだろうし、大和とも親子になれた。
一人だったらもしかしたら逃げ出してしまったり、諦めてしまったことも、夏がいたから、逃げずに諦めずに、選んだり挑んだり向き合ったりしてこれたのかもしれません。
ここでいうこの「縋る」という感覚は、子から親への矢印にはない、親から子への、その関係性ならではの独特なつながりかもしれません。
パパってあだ名みたいなもの。
この表現は、パパにもママにも当てはまる、私たちがつい一括りにしてイメージを植え付けてしまうものですね。
「パパ」。
翔平さん、和哉さん、基春、そして夏。
みんな同じ「父親」という立場を担う存在ですが、一人一人のキャラクターも、立ち位置も、父親になった経緯も、この物語だけでもまったく違う。
当然ながら、うちのお父さんとお隣さんのお父さんがまったく別人であるように、一人一人がまったく別の人間で。
それでも、みんながきっと「良い父親」になろうとしてもがいたり、努力したりして、結果なれた人、なれなかった人、ならざるを得なかった人、本当にみんな、それぞれ。
それぞれなのに、どうやら私たちは「父親」というものについて、「こんな父親が良い父親」「こんな父親は悪い親」って、ある程度一般化された固定のイメージのようなものを抱いていて。
そんな「良い父親」を目指してみんな頑張るけれど、その「良い父親」って、実態は、なんなのだろう。
夏がずっと向き合ってきた、海の父親になるということ。
みんな結局、自分の親しか知らないし、なりたい親とか、築きたい家庭とかって、自分自身の親や家族に肯定的な育ちをしてきた人はきっと、まず自分の親や家庭を思い描くのではないでしょうか。
逆に、否定的になってしまう環境にいた人は、そうじゃない方、自分が知っている「良くない」の逆を目指すようになるのかな。
みんな、自分が知っている「良い」と「良くない」は分かるけれど、正しいかどうかはわからない。
正解なんてないのに、正解を求め続けていく、つくり続けていく。
その旅には終わりも始まりもない。
子育てって、親をやるって、あらためて深く遠い道のりです。
新田写真展
新田写真展を「久しぶり~」と訪れた基春。驚く新田。
後に、基春は夏といた頃に夏の写真を撮っていたことが明かされます。
この二人、その頃からの縁なんですね。
その後離婚したこともきっと新田は知っていて、気付けば今度は夏がここに通うようになって。
新田さん、コガセン、ヤマシゲさん。
本当に、不器用な人と人を繋ぐちょうどいい場所にいてくれて、いつもありがとうございます(笑)
ヤマシゲさんがあえてこの、コガセンと重なる新田さんを演じられるのは、「silent」ファンの視聴者に対するごほうびみたいな、遊び心みたいな、そんなことが感じられて、嬉しいです。
今回も新田さんが登場するだけでどこか安心するし、新田さんと繋がっているなら絶対に基春悪い人じゃないじゃん、という無言の肯定がされたようで、嬉しいです(笑)
でもこの新田写真展って、夏くんが今住んでいるアパートの近くなのかなって思っていたのですが、昔基春と暮らしていた頃もこのあたりに住んでいたんですかね?
新田さん、夏の小さい頃の様子も知っているような感じだったので、基春がまだ幼い夏を連れて新田写真館に来ていたのかな。
夏と新田さんの出会いや、夏がこの写真館に通うようになった経緯も、もしもいつか知ることが出来たら嬉しいです。
夏にとっては、カメラだけでなく、この新田写真館の新田さんも、自分と実の父親を繋ぐ数少ない"つながり"だったのかもしれませんね。
弥生さん
公園で遊ぶ海と、ベンチに座りそれを見守る夏。
そこにやってきた弥生に、「すいません呼んじゃって」と駆け寄る大和。
夏を海と二人にしてしまうことを躊躇い、大和が弥生を呼んだのでした。
ベンチに座る夏を見て、「月岡くんなんか怒ってる?」と敏感に感じ取る弥生。
弥生もやっぱり夏のことをよくわかっているし、あんまりこんな顔をする夏のこと、見たことないのかもしれないですね。
驚きつつも、夏の隣に静かに座る弥生。
弥生が座って早々に、夏はぽつりぽつりと話し始めます。
弥生さんが来て、当たり前のように自分の気持ちを話し始める夏くん。
自分と基春との間に起きた出来事を弥生さんがすべて知っているかのように話し出す夏くん、やっぱり説明下手なところがもはや愛おしいのですが(笑)、穏やかにただ隣にいてくれる弥生という存在に対する安堵感を感じます。
夏にとっては弥生さんも、ある意味では縋れる人なのかもしれません。
弥生さんも、自分の家族の事をこんな風に普通に話せるようになって、きっと楽なはず。
弥生さんが夏にかけた言葉は、夏より先に、夏より多く、期待とは違う親の姿と向き合ってきた弥生さんだからこそ、言える言葉でした。
親も子を選べないけれど、子も親を選べない。
でも、親は先に"大人"になっているから、人格とか性格とか、どうにもある程度固まってしまった状態の大人がどんなにもがいたところで変われない部分ってきっとあって、そういう、ある意味仕上がった"大人"を前に、それを受け入れて折り合いをつけていかなければいけないのは、いつも子どもの方なのかもしれませんね。
そんな親と向き合ってきた弥生の「もう会わないの?」の言葉は、夏くんに今いちばんじわっと響く言葉だったかもしれません。
夏くんも、期待を裏切られたようなショックは抱きつつも、やっぱり基本的に"わかったつもりにならない"人だから、うまく話せなかったことへの後悔とかもあるでしょうし、喧嘩別れみたいになったまま永遠に会えなくなってしまった水季のこともあるから、このまま終わったら悔いが残るってきっとどこかで思っていたんじゃないかな。
別に、会った方がいいよとも、会わない方がいいよとも、弥生さんは言わないけれど、それとなく、「たった1回会ったくらいじゃわからないよ」ということを伝えてくれる弥生さん。
穏やかで、大人で、繊細で、頼れる人、縋れる人、なんだよなあ。
二人と一人
そんな感じだったのに!!!(涙)
「弥生ちゃん!」と笑って駆け寄ってきた海ちゃん。
「遊びに来ちゃった」とサラっと言ってあげられる弥生さん、やっぱりどこまでも大人で優しい人。
逆上がりを披露すると言う海の首元にネックレスを見つけた弥生さん。
「おしゃれなのしてるね。遊ぶ時危ないから取ろっか。」と、ネックレスを外そうとした弥生を見て、慌てて「やめて」と言った夏。驚く弥生と海。
「ママ」と言ってネックレスを見せる海。
「遺灰を…」と言う夏の言葉に意味を理解した弥生は、「可愛いからアクセサリーかと思っちゃった。ごめんね勝手に触って。よかったね。ずっと一緒にいられるね。」と笑います。
もう!!!!誰も悪くないのに!!!!!!やだ!!!!!!!(涙)
ネックレスって引っかけたら本当に危ないし、大切な物ならなおさら壊したらいけないですからね。
ネックレスに気付いて外そうとしてあげた弥生さんは、"親"としては大正解だったと思います。
ちゃんと海ちゃんのことを見ている証だし、そのネックレスの意味をもし知っていたとしても、鉄棒とか引っかかりそうな遊びをする時は外そうねって言ってあげる方が、保護者としては正解だったんじゃないかなとも思います。
一方夏も、別に悪くなくて。
このネックレスを夏が海にあげた経緯として、ママが自分のそばからいなくなってしまうことをどこかで感じて本能的な寂しさを感じている様子の海を見て、そばに水季を感じられるようにと用意してあげたのがこのネックレス。
弥生さんに対して「俺の水季に触るな!」とかそんな幼い感情じゃなくて、単純に「海ちゃんが大切にしているものを勝手に外さないで」という気持ちだったんじゃないかなと思います。
海ちゃんは水季をそばに感じたくてこのネックレスをしているのだから、勝手に外すようなことをしたら、悲しむかもしれない。
だから勝手に無理やり外さないで、って、ただそれだけで、反射的に「やめて」って言ってしまったんじゃないかな。
基春と会わせた自分のせいで怖い思いをさせてしまったこともあったから、これ以上海ちゃんに不安感を与えたくないという、夏なりの親心でもあったかもしれません。
でも感情のままに動くことに慣れていない夏くんですし、さっきまでの基春さんとの出来事の憤りもあるから、思わず発した「やめて」が、思ったより声が大きくて、ちょっと弥生さんも海ちゃんもビクっとなってしまいましたね。
ネックレスについて理解した弥生さん。
「ごめんね勝手に触って」。
演出的にはやっぱり、葬儀場で海の色鉛筆に触れるなと津野に言われた時の夏や、家族の荷物に触れないでと朱音に言われた時の津野と、重なってしまいますね。
人の物、人が大切にしているものを、勝手に他人が触ってしまう、それに対して、"家族"や"近くにいた人"、"つながっていた人"という線を、パっと目の前で引かれて拒絶されるような。
「ごめんね勝手に触って」って、海に対しての言葉でもあり、夏に対しての言葉でもあるような。
このシーン、私は夏が弥生よりも水季を想っているということの描写だとは全く思えなくて。
また、弥生さんも、別にそんなことは感じていない気がします。
というのも私は結構、もう夏と弥生さんは、恋愛みたいな幼いステージはとっくに超えているというか、超えることを見据えて、そのかたちを変えるために頭を悩ませている段階だと思うし、二人には二人の信頼関係というものがあるから、弥生が何か水季に抱く感情があるとしたら、それはきっと前回も言葉にされたように、女同士の恋愛上の嫉妬ではなくて、羨ましいとか、死んじゃっててずるいとか、そういうことだと思います。
無駄な嫉妬心とかもう、この期に及んで無いと思う。
ここでも、海ちゃんが水季を肌身離さず身につけていること自体には負の感情を抱いていないだろうし、夏が慌てて「やめて」とつい大きな声で言った理由も理解している。
だけどやっぱり、自分が入り込めない領域みたいなもの、夏と海との間に確かに築かれている関係値があって、自分はそこに対してはイーブンではなくて、二人と一人みたいな感覚、それをあらためて突きつけられてしまったのかなと思いました。
鉄棒の方に走っていく海を笑顔で見守りながら、「優しいね」と言った弥生。
これも、きっと嫌味でも強がりでもなんでもなくて、遺灰を入れたネックレスを海にあげたことというよりも、海の大切なものを無理に外すことを阻止した夏に対する、シンプルな「優しいね」だったんじゃないかなと思います。
もしかしたら弥生さんのことだから、確認せず勝手に外そうとした自分のことさえも、また失敗しちゃったって責めているかもしれませんね。
弥生さん、ちょっともうそんなに自分を責めないでね。
今のは仕方ないし間違ってないしネックレス付けて逆上がりは危ないから大丈夫、間違えてないよ。
でももう、そうですね、きっともうここ最近の弥生さん、どんどんどんどん理想の母親像に対する減点法でしか自分を評価出来なくなっている気がします。
私がハナマルあげるし、なんならちょっとお茶でも飲みに行く?カラオケがいい?昼から飲んじゃう?話聞くよ、聞かせてよ(うるさい)
弥生の目線は、ずっと海の方。
そんな弥生の横顔を、なんとも言いがたい表情で見つめる夏。
今までは、待ち合わせや食卓で向かい合ってきた二人。
いつも向かい合ったり、並んで隣に座りながら、なんとか想い合ってきた二人。
今回は、スーパーでの買い物のシーンから、ちょっと二人の立ち位置はずれていて、向いている方向は同じかもしれなくても、目が合いません。
私はもう個人的に、弥生さんが母になろうがならなかろうが決められなかろうが、なんでもいい(ただ自分の幸せを選んで欲しい)と思っているんですけれど、いかんせんどれを選ぶにしても何かしら決めるまでにはこんな風に悩むフェーズを乗り越えなくてはならないから、弥生さん、しんどいよね。
それに対しては、夏も、してあげられること、すべきこと、すべきでないこと、限界があるからな。
弥生さん、ちょっとお茶でも(以下略)。
ありがとう新田さん
新田写真館に写真を引き取りにきた夏。
新田さんが、「釣りと競馬と麻雀どれがいいか」と、基春からの伝言を伝えるかたちで、二人を仲介します。
新田さん曰く、夏と会った日以来、基春は毎日「夏来たか」とこの新田写真館を訪れているとのこと。
電話番号知ってるのにね。ちょっと間にワンクッション挟まないと向き合えない不器用親子。
新田さん、いつも私共の男たちがご迷惑をおかけしてすみません、いつも大変お世話になっております。
そう。二人とも説明下手なの。ちゃんと聞いてないの。
理想と違ってショックで、へそ曲げちゃって、きっかけがないともう一度向き合えないの。手がかかるの。
新田さんほんとありがとね。(誰)
なんか、まだ夏が幼い頃、きっと基春は高頻度でこの写真館で現像に出して、「こいつ面白いだろ~」とか言いながら夏の写真を見て新田さんと話していたのかなと思うと、そんな幼い頃から夏を、そしてこの親子を見守っている新田さんのこの一連の言葉って、めちゃめちゃ温かい。
勝手にそういう過去を想像して泣けてきます。
やっぱりここでも、他人である新田さんの存在感が、親子である二人をつなぐんですよね。
津野回の時にも言ったけれど、やっぱり他人ならではの関わり、他人だからこそ出来ることって絶対にあるから、他人って重要な登場人物なんですよね、人生において。
親子の物語、家族の物語、恋人の物語、どれにも絶対、大切な"他人"がいる。
「第三者」って「当事者以外の人」っていう意味だけれど、「他人」っていう言葉になると「血のつながりのない人、親族でない人」という意味が入るんですよね。
だから、「他人」。
なんか、「他人」が愛おしくすら思えてきますね。すごいドラマだ。
必要ない人や影響与えない人なんて一人もいなくて、みんな関わってる。
あなたも私も。ただいるだけで、きっと救われる人もいると信じたいですね。
新田さんの「釣りして待ってるよ」という神アシストを受けて、夏は、基春が待つ釣り場へと向かうことになります。
面白かったんだよ
釣り場にやってきた夏。基春の姿を見つけて、少し距離の開いた隣に座ります。
同じ方向を向いて、横並びになった二人、あらためて話します。
このくだり、今この感想を書くために再度観直したんですけど、なんだか今までこれだけ基春基春って書いてきたからこそ、もう並んでいる姿を見ただけで涙が出てきてしまいます(笑)
基春さんの後ろをてくてくとついていく夏くん。
夏が小さい時もこんな感じだったんだろうなあと思わせますし、浜辺で自分の後ろをついてくる海を面白いと思って笑った夏くんや、海ちゃんや水季が面白くてパシャパシャ写真を撮った夏くんにも重なりますね。親子なんだよなあ。
夏が水季や海に対して抱いていた興味や関心、それは愛情でもあって、同じようなものを、基春も夏に対して抱いていたんだろうと、重なります。
基春の口から語られた、「面白かった」という言葉。
結果的に自分は"父親"をやれなくて、家族から降りてしまった人間だという烙印をどこまでも背負って、自分は育児はしていない、育児は面白くなかった、ただ子どもが面白かっただけだと言い張る基春。
俺なりに愛していたとか、そんな言い訳は一切しない、あくまでも自分で自分に押した烙印を背負い続けるつもりの基春さんに、ぐっときてしまいます。
夏からカメラを受け取り、懐かしのカメラのファインダー越しに夏を覗いてみる基春。
その基春の横顔、何かが込み上げてくるような、そしてそれを必死に押し殺したような、あの一瞬の表情。
何事ですか。爆泣きです。どうしたらそんなお芝居が出来るのですか。
「ここだめだ、魚が生意気だ」とごまかして歩き出した基春。
またその後ろをてくてくとついていく夏。
もう。もう。やっぱり親子なんだよ。(涙)
求められる"父親"にはなれなかったのかもしれない。
期待される責任感や覚悟は持てていなかったのかもしれない。
でも、息子のことは面白くて、それはまぎれもない愛情だったはずで、だけど言い訳せず、自分が悪かった、自分が出来なかったと受け入れて離れたであろう基春さん。
二十数年ぶりに再会した息子が、大きくなってて、でも昔と変わらずてくてく後ろついてきて、父親になっていて、自分はやっぱり、父親で。
どんな気持ちでファインダー覗いたの基春さん(涙)
この釣り場での基春さんは、喫茶店での基春さんと全然雰囲気が違いますよね。
相手を制するために自分からふっかけていく感じとか、探り探りな感じとかがなくて。
夏に会いたくて写真館を毎日訪ねて、会うために釣り場で待っていた基春さんの顔や態度は、夏の話を聞こうとする、まぎれもない父親の顔だったように思います。
基春の背中
会話が良すぎて全部書き起こしてしまいました。だから長くなるのに(笑)
その後、先を歩く基春の背中に向かって、少し距離を空けて歩きながら、自分の本音をこぼす夏。
ぽろっと話し出してしまって、話すうちに止まらなくなって、ちょっと感情も乗っかってくる、その繊細な変化がとても丁寧にお芝居で表現されていて、"言っちゃいけないと思っていたけれど、でもずっと誰かに聞いてほしかったこと"が溢れてくる切実さがありました。
それに対して、最悪だとか、被害者だとか、夏が誰にも言えずに黙って飲み込むしかなかった感情を、そして悪意のない良い人達、優しい人達の前では口を閉じるしかなかった言葉を、基春さんがあえて言ってくれたり否定しないでくれた感じもとても良かった。
夏が基春の背中に向かって一方的に吐き出した言葉たちが、夏に向かう刃になって返ってくるわけでなく、基春さんの背中に全部吸収されていったような、包まれていったような、こんなキャッチボールもあるんだなと気付かされるような、そんなシーンでした。
なんか、愛だった。親子だった。
基春さんがやたらと「俺の子っぽくない」といったことを繰り返したのは、あくまでも自分は"父親をやれなかった"側の人間としてずっと居続けることをあえて選んでいるような烙印を背負った基春さんが、血の繋がった息子に対して、お前は俺とは違う、俺はやれなかったけどお前は出来るのかもしれないな、というエールを送っているようにも聞こえました。
だからと言って夏が父親をやれるかどうか、向いているかどうか、そんなことはわからないし、そこに対して基春さんは責任は負わないけれど、大和が言っていた「パパってあだ名なんだよ」にも通じるように、同じ「男」でも、血のつながりはあっても、遺伝や似ているところはあったとしても、それでも自分とお前とは別の人間なのだから、という線引き。
自分はあくまでも、親をやれなくて、そのステージから自ら降りた人間。
今まで夏を育てて支えてきたのも、今そばにいるのも、これから支えていくのも、自分ではない。
一緒にいて育てるということは出来なかった人間だし、今さらこれからそれをやり直すことは出来ないししないけれど、でも、どうしたってやっぱりお前の父親だから、もし何かあったら、それがどんな目的でもいいから、どんな感情をぶつけたっていいから、俺を使えよ。
ダメな元父親として、そして血が繋がった実の父親として、そういうかたちの父親としてずっといるために、再婚もせず、烙印を背負ってきた基春。
あまりにも父親で、ある意味ではずっと父親で居続ける覚悟を決めた人、なのかもしれません。
この物語のサブタイトル「選べなかったつながりは、まだ途切れていない」。
そしてBakc numberの主題歌。
すべて、この基春さんを父とした視点で親子や父性について考えると私はすっと腑に落ちた感じがあって。
どうしたって断ち切ることの出来ないつながりは、希望にも絶望にもなる。
親でも大人でも、それぞれに上手に出来たものも、上手に出来なかったもの、手に入れたもの、手放したもの、色々あって、その全部を受け継いで、次の世代に渡して、つながっていくこと、その上で生きられるのは、それぞれの人生でしかないこと。
親子とか命とか育つとか育てるとか関わるとかって、そういうことなんだろうなと、壮大なことがぎゅっと詰まったような第8話だったのではないでしょうか。
興味しかなかった
夏が「面白いと思えたなら、なんで一緒にいようとしなかったんですか?」と聞くと、基春はこう答えました。
ここも。これをこのタイミングで言わせる基春を登場させる脚本、すごい。
夏が海の父親になろうと気持ちを固く出来た理由のひとつに、海と一緒に過ごすことで海に対して沸いた興味や愛情があったと思います。
面白いな、かわいいな、自分の子だ、愛せる。
それを確認出来たことが、父親をやろうと決意するに至ったひとつのきっかけだった、だからこそ、基春にこの質問をしたのだと思います。
それに対して基春は、面白かった、でもそれだけじゃダメだった、という現実を突きつける。
この現実というのは、あくまでもゆき子さんと基春さんの夫婦間における問題であって、それが必ずしも夏に当てはまるわけではないけれど、前回からも出ている「趣味」というキーワード、楽しみとして向き合うだけでは、ひとつの命を育てていくことは出来ない、それに値する"親"になれないというボールが、夏に返ってきた。
その子を面白いと思えるのって、愛情だと思います。
基春も、他の子には湧かない興味が自分の子に対しては湧いていたわけで、理想とされる父親ではなかったかもしれないけれど、別に子どもや妻に危害を加えていたような人物ではないし、基春なりの愛情を持って接していたはず。
でもそれだけじゃだめだった。なんでだ?
愛情ってなんだ?興味?趣味?何が違うんだ?
今自分が海に対して抱いているそれは、違うのか?これだけじゃだめなのか?
夏にとって、とても考えさせられる言葉だったと思います。
また、ここでの基春がやっぱり一切の言い訳をせず、納得した、興味しかなかったと言い切るのも、やっぱり"出来なかった"という烙印を背負う父であり男として居続ける覚悟、その重みみたいなものを感じます。
連絡しろな
トイレに行こうと立ち上がった基春。
その後ろをついていこうとする夏のことを笑うところ、よかったなあ。
非現実的なダメ親父ではない、どうしようもないダメ男ではない、そこそこちゃんとしてて、愛情もあって、人たらしみたいなある意味での魅力もある感じ。
現実世界にいそうだからこそずしっと響くものもある、この重量感。
やっぱり田中哲司さんだからこその基春さんですよね。
重ね重ねキャスティングが神すぎる。
最後に基春が言ったこと。
お前も親だな、って、夏のことを肯定しつつ、親として大人としてちゃんとダメなことを注意してくれる人。
夏くんもちょっと嬉しそうでしたよね。
今まで夏くんって結構女性たちに叱られてきたけれど(笑)、こんな風に、夏のことを一人の親として大人として認めた上で注意してくれる人って、実はあんまりいなかったのでは。
なんかそれも、嬉しかったんじゃないかな、夏くん。
返事はせず、でも受け止めて、歩いて行った夏。
その夏の背中を、少しだけ笑って見送った基春。
今後また連絡をとるかどうかはわかりません。(個人的にはもう少し基春さんを見たい)
でも、連絡しようがしなかろうが、どっちでも別に、二人は親子だから。
この二人の、親子のかたち。
二十年以上の空白の時間は、止まっていたわけでも失われていたわけでもなく、ちゃんと時が流れていて、今のこの二人で再会出来たからこそのコミュニケーションがちゃんとあった。
やっぱりあれですね、新田さんありがとう。それで締めます(笑)
これ再会した場所が競馬とか麻雀だったら多分ちゃんと話せなくてヒートアップしちゃってまた喧嘩してたかもしれないからね(笑)
不器用な男たちの「話したい」の意図を汲んで、ちょうど良い釣りを推してくれたことも含めて、ありがとう新田さん。好き。
それだけ
月岡家に帰宅した夏を出迎えた和哉。
夏は実の父親に会った結果を何かしら話そうとしたのかな、一瞬少し緊張したような表情を浮かべましたが、美味しいビールがあるから飲もうと、何も気にしていないかのように言ってくれた和哉さん。
思わず笑ってしまった夏、キッチンのゆき子さんも、いつも通りの「おかえり」を言ってくれるから、夏もいつも通り、「ただいま」と笑います。
この、帰るべき場所に帰ってきた感じ。
さきほどまでの基春との対面での緊張感から打って変わった、いつも通りの日常、居心地の良い家族。
親子ってなんなんだろう、父とは、親になるとは。
あれこれ色々考えてしまうけれど、でも、言葉にならない確かなつながりとか安心感っていうのも絶対に会って、それが夏にとってあるということは、やっぱり救いですよね。
ゆき子さんも、大丈夫だと思ったから夏を基春の元へ送り出したのだろうし、基春と夏がここから関係をまた再構築していったとしても、今ここにある家族というつながりは変わらない。
この物語は「家族っていいよね」を伝えたいわけじゃない、と生方さんは仰っていましたが、このシーンはやっぱり、「家族っていいよね」と思えるシーンでしたね。
少しかしこまって、海を認知する届けを出して正式に親になろうと思うと伝えた夏。
基春との対面があっても揺らぐことのなかった夏の強い意思が確認出来たのもあるし、基春との対面があったからこそ、意思が固くなった部分もあったと思います。
いろんな親がいる、いていい、自分も、自分なりの親をやろう。
そんな決意が固まったのかな。
とはいえ夏目線で考えたら、いきなり7歳の子を迎えることってもう人生における重大な出来事で。
でもそれに対して、「そ。」「りょうかーい。」と軽めな返事をするゆき子さんと和哉さん。
夏は「それだけ?」とでも言いたげな拍子抜けした夏。
そこにやってきた大和は、「おめでと」と笑顔。
「うん。それだけ。」と笑った夏。
そう、そうだった、それだけ、だね。
戸籍がどうとかって、ひとつの区切りだし、重大な出来事なんだけれど、別に戸籍が変わるから何かが変わるわけでもなくて、そこから「はい親が始まります」ってことではない。
そもそも「親を始める」って、やっぱり何?なんですよね。
ひとつの区切りを決めただけ。ひとつのかたちを選んだだけ。
なんかこんな風にあえて軽く受け入れてもらえることでほっとすることってありますよね。
「おめでと」と言ってくれた大和くん。
夏に娘がいたと知った時にも言っていましたね。
責任とか立場とか手続きとか、現実世界では色々あるけれど、命が生まれて、愛したいと思える子を育てることって、「おめでとう」でいいんだよね。
ずっと張りつめていた空気がほぐれた、月岡家らしい癒しの雰囲気に、視聴者もほっとするシーンでした。
手紙
南雲家にて、海に「パパはじめようと思う」と認知する意思を伝える夏。
「もうパパだよ」と言う海に、戸籍上は~と大人な説明をする夏。
夏らしい(笑) だし、もうパパなんだよね。
一緒に暮らしたいという意思も伝えた夏。海ちゃんは笑顔。
一緒に暮らすとか現実的なことは色々とまだ心配も多いけれど、もう意思を固めたんだから、ひとつひとつやっていくしかないね。
頑張ろう、夏。
朱音さんにもその意思を伝えた夏。
受け入れた朱音さんは、水季から「親になるって決めたら渡して」と預かったという夏宛ての手紙を夏に渡します。
この手紙を受け取った時の夏くんの表情、とてもよかったな。
もう水季とつながれる術なんてないと思っていた夏くん、ずっと会いたくて、話したかった水季が、自分へと残してくれた手紙。
きっと嬉しいだけじゃない、怖さとかもあったと思うけれど、水季とつながれる手紙、それを受け取る表情が、とてもよかったです。
この手紙は朱音さんの言う通り、もし夏が自分の意思で親になると決めたら渡してほしいと水季が用意したものですから、もし夏が南雲家とつながることが無ければ、そして親になることを選ばなければ、渡されることのなかったもので。
夏が親になると意思で決めたなら、その時に渡してほしいと用意したのも、水季らしいなと思いました。
やっぱりまだ、水季がなぜ黙って産んだのか、そして夏と会わなかったのかは明かされていないけれど、その理由がわかる内容が、この手紙にあるかもしれませんね。
明かされるまで、邪推はせずに待ちたいと思います。
帰りの電車でその封筒を開いた夏、中には二つ折りにされた便箋と、もうひとつ、イルカのシールが貼られた、小さく折りたたまれた便箋。
この折り方、よく学生時代に折った懐かしい折り方でした。女子あるあるかな?
女同士の手紙って感じでちょっと微笑ましいし、夏に読まれないようにちゃんとシールで留めているのも水季らしい。
これが「夏くんの恋人へ」と宛てられたものだったから、夏はそのままの足で弥生の職場まで行き、水季からの手紙だと伝えて、それを弥生に渡します。
前回明かされたように、水季は夏のアパートにて、夏と弥生の仲睦まじそうな様子を見ていました。
でも、この手紙を残した時って、夏がこの手紙を読むことになる時にまだその女性(弥生)と付き合っているかどうかなんてわからないわけですから、弥生さんかもしれないし、弥生さんじゃないかもしれない誰か、自分が産んだ娘の親になると決めた夏の隣にいる誰かへと、願いを込めた手紙ですね。
その人へあえて手紙を残したこと、受け取る弥生からしたらちょっとドキドキしてしまうけれど、多分、夏の性格をわかっている水季だからこそ、そして自分の意思で決めるということにこだわる水季だからこそ、「夏くんの恋人」に伝えられるメッセージが記されているのではないかなと思います。
かつて、弥生がノートに残したメッセージを受け取った水季が、今度は弥生へ送るメッセージ。
お互い顔も知らないけれど、水季が「夏くんの恋人」に願っていることも、幸せになるための選択をしてほしいということかもしれませんね。
巡り巡って伝わるメッセージ。ドラマチックです。
そして弥生さんに、「海ちゃんにも親になるってこと話した。またゆっくり話そう。俺たちがどうするかは。」と言った夏。
この二人も、何かしらの決断をするために、向かうべき時ですね。
「海ちゃんに"も"」と言っているあたり、認知しようと決めたということについては、南雲家に行く前に弥生さんには話しているんじゃないかな。
夏くん不誠実ではないし、夏が認知するかどうかは夏が決めるものと弥生さんも思っていたからこそ見守っていたわけなので。
ここからどうするか。どうなるか。夏と弥生。
本音
図書館で津野がいる受付に一人でやってきた弥生。
本を借りることを口実に、津野と話したかったという弥生に、「生きづらそうな性格ですね」と淡々と言う津野。
津野くんもね!!(笑)
生きづらい二人、津野弥生コンビ、大好きです。
水季からの手紙を受け取ったと話す弥生に、「恋人へってやつ?」と津野。
津野くん、その手紙の存在は知っていたんですね。
病室とかで水季が用意していたのを見たのかもしれません。
中身までは知らないという津野、「何書かれてるんですかね?」と言いながら笑っちゃう感じ、めちゃめちゃ面白かった(笑)
なんというか、弥生を馬鹿にしてるとか茶化してるとかっていういじわるさではなくて、「死んだ元恋人から手紙残されるとか怖っ」みたいな、「うわーマジー?」みたいな(笑)、弥生が言葉に出来ないけれど思ったであろう感覚だったり、「この人の今のこの状況結構最悪じゃない?」みたいな、最悪すぎて笑っちゃうみたいな感じで、絶妙な塩梅の笑っちゃう感じがとても面白かったです(笑)
何が書いてあるか怖くてまだ読めていない弥生さん。
「海ちゃんの母親になる人に宛てた内容なら、私が見ちゃうのも…」と、ぽつり。
その言葉を聞いて少し表情を変えて、ため息をつく津野。
弥生さんの気持ちの揺らぎ、前回会った時の「母親になりたい」モードから変化した弥生さんを感じた津野くん。
ここでの津野くんの言葉、言ってることはあたたかいのだけれど、言い方がちょっと呆れてる感じっていうか、絶妙でしたよね。
別に百瀬さんが母親になろうがならなかろうがどっちでもいいと思いますけど。
どっち選んだって責められないでしょ。
月岡さんが優しいとか悲しそうとかって別に今に始まったことじゃないんじゃないですか。
僕関係ないんですけど、なんで僕のところ来たんですか。
僕多分欲しい答え言ってあげられませんよ、他人なんで。
みたいな、津野くんの声が聞こえる(笑)
"部外者"としてある意味で弥生と立場の近い津野だからこそ感じ取れるもの、わかりあえるもの、それに縋りたくて、弥生さんはここに来たのかもしれません。
「何も言えなくなるんです。多分月岡くんもそうです。私が辛そうにするから、無駄に優しくするから、本音、言えなくなってます。」と言った弥生。
これ、今もそれがしんどいけど、母になるってなったら多分、ずっと続くもんね。
一緒にいることを選べば、しんどさがきっとずっと続く。
しんどいことだけじゃなくて、よろこびや幸せもきっとあると思うけれど、多分そのしんどさはずっとある。
お金がどうとか時間がどうとか、生活スタイルとか育児スキルは、工夫したり経験を積めば身についていくかもしれないし、具体的な解決策を見つけていけるかもしれないけれど、こういう心理的なしんどさがずっと付きまとうとなると、それをわかってそこに飛び込むって、それを決めるって、しんどすぎる。
いっそ巻き込まれてしまえば言い訳も出来るけれど、自分の意思で決めるって、しんどいよ。
ましてや弥生さん、彼女の過去、一度子どもを堕ろした時って、相手や母親との関係性の中で本音を言えなくて、自分の意思を示せなくて、それがずっと弥生さんの中にきっとトラウマみたいにあって。
そこから変わろうと努力して変わってきた弥生さん、夏の前でもその過去を打ち明けられたことでやっと少し軽くなれたはずなのに、そんな弥生さんにとって、本音を言えなくなってしまうことって、またトラウマが蘇るみたいな、きっと一番怖いことなんじゃないかな。
次回、どう夏と向き合っていくのか、怖いけれど、見守りましょう。
この弥生さんの台詞の合間に一瞬挟まれる夏のカット。
自宅で何かを読んでいる様子、ここで手元は映っていないけれど、水季からの手紙を読んでいるようです。
「私が辛そうにするから~」と話す弥生さんの表情と、水季からの手紙(多分)を読む夏の表情が、似ていて、二人とも、苦しそう。
最後、手紙を読み終えた様子の夏くんが、やや深刻そうな表情、決して明るくはない表情で少し顔を上げるところで第8話が終わりました。
この顔、なんだろう。
水季からの手紙、「ごめんね。ありがとう。海をよろしくね。」みたいな単純なものではない気がするので、何が書いてあったのか、そしてここから何がはじまるのか、次回を待ちましょう。
はあ。聞いて下さい。37,800字くらい書いてます。
もしももしもここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当に感謝です。
「語りたくなるドラマ」。
それにしても、語りすぎる私。
毎回毎回、今回が最長かな!と思うのですが、最終回までどこまで行ってしまうのか。乞うご期待(誰も期待してない)
また来週です!ありがとうございました。