大人になって【踊る大捜査線】を観返したら想像以上に胸が熱くなった話
小学生だった私
踊る大捜査線。
きっと誰もが知っている日本の名作ドラマで、1997年のテレビドラマ放送当時、小学生だった私も、小学生なりに「踊る」のファンだった。
当時の私は夜21時には寝るようにと親に言われていたのだが、このドラマだけは特別に観ることを許されていた。
夜にドラマを観る自分。「昨日の踊る観た?」と友達に得意気に言う自分。
ちょっと大人になれた気がして、嬉しかった。
最も記憶に残っているのは、1998年に公開された映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」。
それまでわざわざ映画館で映画を観るといえば子ども向けアニメ映画くらいだったと思う。
自分が観たいと言ったのか、父が観たかったのか、記憶が定かではないが、珍しく父と二人で「踊る大捜査線 THE MOVIE」を観にいったのを覚えている。
青島が刺されてしまい、室井さんが運転する車で病院へ向かうシーン、「青島くんが死んでしまう」ととても怖くて、悲しくて、そんな中、シーンと静まり返った劇場に響き渡った青島くんのいびき。
なんだよと拍子抜けして、でも青島くんが生きていたことが嬉しくて、人のいびきを聞いて泣いて笑ったのなんて、きっとあの時が初めてだったと思う。
映画館で映画を観て泣いたのも、もしかしたらあれが初めてだったかもしれない。
あの時青島くんのいびきを聞きながら泣いたこと、泣いていることを隣に座る父親に知られたくなくてこっそり涙を拭ったこと、まるで泣いていませんよという顔で「面白かったね」と映画館を後にしたこと、それらは今でも、鮮明な記憶として残っている。
その後公開された映画も、映画館で観たのかどこで観たのか正直記憶は定かではないが一通り触れてきたし、青島くんや室井さんのモノマネをする芸人さんを観て「似てる似てる」と笑ってきたし、たまに特別番組などで放送されるドラマや映画の名場面を観ては「これよかったよなあ」と懐かしさに浸っていた。
「レインボーブリッジ封鎖出来ません!」はレインボーブリッジを車で通る度に脳内で再生したし、社会人になりいっちょ前に仕事で苛立った時には、「事件は現場で起きているんだ!」と仲間と愚痴り合ったりなんかもしてきた。
「踊る」は、人生と共にあったと言うと大げさかもしれないし、そんなにしょっちゅう思い出しているわけではなかったけれど、それでもそんな風に、いつもどこかに青島くんがいたし、室井さんがいたし、和久さんがいたし、すみれさんがいて。
私の中で「踊る大捜査線」は、幼いながらに夢中になって観たあの頃から、当たり前のようにずっとそばにあったドラマだった。
衝撃の再会
そんな「踊る大捜査線」、今年2024年の最新プロジェクトとして公開決定した「室井慎次 敗れざる者」「室井慎次 生き続ける者」。
「へえ、また映画やるんだ」と、久しぶりに「踊る」の話題を耳にして薄めの関心を抱いていた頃、テレビドラマシリーズが地上波で一挙再放送されたタイミングで、良い機会だと久しぶりに観返してみた。
1997年の放送から、27年ぶりの再会。
当時小学生だった私も、もう30代後半の立派な大人になった。
青島くんって、当時何歳だったっけ?今の私の方がとっくに年上か?
そんなことを思いながら観返したテレビシリーズ。
第1話冒頭から、私は衝撃を受けた。
青島くんって、脱サラして警察官になったんだ。
自分でも自分に引くくらい驚いたのだが、そんなことすらも忘れていたのだ。
いや、忘れていたというか、きっと当時小学生だった私には、よくそれを理解出来ていなかったのだと思う。
私の中での「青島くん」は、なんだか無鉄砲だけど正義に向かって熱く現場を駆け回る警察官で、グリーンのモッズコートを羽織りながら組織や室井さんに向かって吠えている人、というイメージだった。
それは確かにそうなのだけれど、彼が元サラリーマンであるという設定どころか、ドラマのストーリーのほとんどを、まるで覚えていなかったのだ。
名場面や名台詞は記憶にあっても、起こる事件、話の展開、どれもこれも私の中にずっとあると思っていた記憶は本当に薄っぺらいものだった。
おかげでとても新鮮な気持ちで再放送を楽しむことが出来た。
時代が変わり歳をとった今こうして観返しても、多少無茶はありつつやっぱりとても面白いドラマで。
あんなにも夢中になって観ていたはずのドラマの記憶がこんなにも薄れていたことには驚いたし、人はどんなに夢中になったものでもいつの間にか忘れてしまうものなのだなと、一抹の寂しさを覚えた。
でも一方で、時間が経って、自分なりにさまざまな経験をして、大人になった今の私がこうして再び「踊る」に出会えたことに、巡り合わせを感じた。
「踊る」は、あの頃よりも何倍も深く、何倍も熱く、今現在の私の心を揺さぶってきたのだ。
本当の「踊る」を知る
ドラマ放送当時の私にとって、「踊る」の登場人物たちはいつもアツくて、まっすぐで、信じる正義を胸に突き進む、強くてかっこいい大人たちだった。
警察官ってかっこいい!大人ってかっこいい!
組織って面倒!偉い人たちって正しくない!
そんな風に思った当時小学生の私にとって、室井さんや青島くんたち湾岸署のメンバーは憧れだったし、かっこよく見えたし、青島くんはまるでヒーローのようだった。
平たく言うと、組織や犯人という悪に立ち向かう破天荒な情熱刑事・青島、みたいなイメージだった。
これはもう、いくら当時小学生だったとはいえ、あまりにも物語をきちんととらえられていない、本当に浅はかな解釈だったと思う。
この程度で「踊る」が好きだと言ってきた自分が恥ずかしい。
大人になってドラマを観返した時、そこにいた青島くんは、組織の中でもがき抗い時に無気力になり疲弊する、ただの一人の人間だった。
主人公らしい熱さやまっすぐさももちろんあるけれど、サラリーマン経験があるという背景がちゃんと効いているからこそ、長いものに巻かれたり、うまく渡り歩こうと何かをごまかしたり、愚痴を言いながらいやいや働いたり、そんな風に組織の中で働く、ただの一人の人間だった。
全然完全無欠のヒーローじゃないし、そもそも「踊る大捜査線」は、巨悪に立ち向かう正義の物語ではなく、組織で働く人々の物語だったのだ。
そんなことも理解しない小学生の私でも楽しめるくらい、シンプルにキャラクターや展開が面白い作品なのだが、そんなことを理解出来る大人になった私にとって、27年ぶりの「踊る」との再会には、とても胸を打たれた。
現場でもがく青島くんも、組織で孤独に自分を貫こうとする室井さんも、引退を目前に次の世代へ想いを託そうとする和久さんも、男社会の中で凛として闘うすみれさんも、みんなが、自分が生きるこの社会と地続きで繋がるどこかの組織で踏ん張り働く同志のように思えたからだ。
テレビドラマ放送当時、青島くんは30歳前後、室井さんも30代半ばくらいの年齢設定だろうか。
彼らの年齢を通り越した私が、社会人経験の中で自分なりに通ってきたこと、楽しさ、虚しさ、くだらなさ、そのすべてが詰まっていた。
この当時に大人だった人たちがきっとそこに大きく共感をしたからこそ、これだけ支持される巨大コンテンツになったのだろう。
きっとそうやって社会の中で闘ってきた大人たちが現場から想いを込めて紡いだ物語だからこそ、こんなに愛される作品になったのだろう。
大人になった今だからこそ理解出来ることが、あまりにも多すぎた。
当時一緒にテレビドラマを観ていた父は、室井さんより少し上くらいの年齢だったはず。
家族のために組織で働くサラリーマンど真ん中だった父は、どんな想いでこのドラマを観ていたのだろう。
笑って、時に泣いたりもしながら、「踊る」でスカっとして、背中を押されて、毎日スーツを着てネクタイをしめて電車に乗って出勤していったのだろうか。
貫きたい正義が折れそうだった時も、何かのために大切なものを曲げなければならなかった時も、出勤がだるくて仕方のなかった朝も、頭の中で「踊る」のテーマソングを流しながら、青島俊作を胸に、歯をくいしばって出勤したのだろうか。
父は青島くんだったのだろうか。室井さんだったのだろうか。
父のそばに、和久さんや湾岸署の皆のような仲間はいたのだろうか。
父と「踊る」の話をしたくなった。
再放送で「踊る」と再会出来て、今のこの年齢で「踊る」をあらためて理解することが出来て、本当によかった。
激アツだった「ぽかぽか」
テレビドラマを一気に見返して胸が熱くなった私は、配信で観られるものは全て観直し、27年ぶりに「踊る」にどっぷりハマり直し、来る「室井慎次 敗れざる者」の公開に備えた。
その公開が迫った先日、映画の宣伝でフジテレビの「ぽかぽか」に柳葉敏郎さんが出演された。
番組内のコーナーにて、「踊る」のファンであるという番組ADさんが選ぶ名シーンを柳葉さんと一緒に観る、というなんともアツいコーナーがあった。
何気なく見ていたお昼の番組が、まさかあんな胸アツ展開になるとは。
ADさんが選んだシーンは、物語をしっかりと理解した本物のファンでなければ選ばないようななかなかツウな場面ばかりで、「踊る」見返したてホヤホヤの私にとってはとてもアツかったのだが、柳葉さんもそのADさんの想いの本物さに感心されたようで、少し照れ臭そうにされながらも本当に嬉しそうにADさんにありがとうと伝えていた。
また、選ばれた場面の中に、室井慎次にとって和久平八郎という人がどれだけ大きく大切な存在であったかを示すようなシーンがあり、その撮影当時のこと、室井慎次にとっての和久さんや、柳葉さんにとってのいかりや長介さんのことを、柳葉さんが思い返し語られ、涙される姿があった。
その涙は、本当に誇らしそうで、苦しそうで、温かくて、重くて。
「踊る」が私たちの人生とともにあった以上に、柳葉さんにとってはこの作品や室井というキャラクターが本当に重く大きな存在であったのだろうと、胸がアツくなり、きゅっと締め付けられるような、そんな姿だった。
柳葉さんにとって、当時室井慎次を演じることは決して楽しさ嬉しさばかりではなかったようで、役があまりにも大きくなりすぎて、それはきっとかけがえのない誇りであったと同時に、色々な役を演じる俳優という仕事に生涯をかける役者さんにとっては、時にとても重い荷物のようだったのだろうとも思う。
それでも、そうやって背負って演じて届けてくださったその姿が、室井慎次という人が、当時の働く大人たちの心を掴んで揺さぶり、幼い子どもたちの憧れになった。
そして、当時子どもだった私はそれなりの大人になり、大人になった今でも、室井さんや「踊る」のメンバーたちは、かっこよくて、情けなくて、憧れで、仲間で、同志で、友達のようで。
撮影はたった数ヶ月だったかもしれない。
それでも27年という月日をかけて背負ってきてくださった役が、作品が、こんなにも人の心に存在し続けているのだということを、感謝の気持ちを伝えたくなったし、きっとそういうことをADさんの熱量から受け取った柳葉さんが嬉しそうだったのが本当に嬉しかったし、ファン代表としてアツい踊る愛を柳葉さんに直接伝えてくださったADさんにも感謝したい気持ちだ。
そんな風にほくほくになった心を抱いて、昨日、「室井慎次 敗れざる者」を鑑賞した。
観て良かったと思ったし、後編「生き続ける者」までしっかりと見届けたいと思った。
「室井慎次 敗れざる者」
「室井慎次 敗れざる者」は、明らかに「踊る」ファン向けの作品であったし、後編がある前提での前編としての物語。
展開もさほど多くなく、全体的にゆるやかなストーリーで、映画レビューは人それぞれ、いろいろな評価があるのだと思う。
でも私は、室井慎次という人と再びスクリーンで会うことが出来て、彼が生きてきたこれまでの27年間を少しだけ覗くことが出来た気がして、とても嬉しかった。
かつて、「こんな大人になりたい」と憧れた室井さん。
強くてかっこよかった室井さん。
青島との約束を胸に、組織に一人、立ち向かっていった室井さん。
そんな室井さんが、警察を辞め、秋田の山奥でひっそりと暮らしていた。
あれから27年、きっと上に行けば行くほどに、現場との距離も生まれ、いっそう孤独が増し、そんな状況で闘ってきた日々は、どれだけ苦しく重かっただろう。
青島には現場の仲間がいたかもしれない。
けれどきっと室井さんの周りは敵ばかりで、本当に一人で、孤独に、それでも抱いた信念を貫き通すために、正しいことをするために、歯を食いしばってやってきたであろう日々。
そんな室井さんが、定年前に自ら退職し、秋田の山奥で、すべてを投げ出し、さらなる孤独を選んだ。
長年闘い続けて、敗れて、もう身も心もぼろぼろで、疲弊しきって、本当に限界だったのだろう。
誰とも関わりたくなくて、何も思い出したくなくて、もっと一人に、孤独になれる場所を選んで、静かに生きていたであろう室井さん。
その姿が想像出来る回想シーンには、とても苦しく、胸が締め付けられた。
27年という月日の流れにとてもリアルな説得力があって、室井慎次でさえ、組織に敗れたのだと、その現実はとても冷たく、寂しかった。
そこから、犯罪関係者の子の里親になるという道を選び、二人の少年の里親となり暮らすようになった室井さん。
相変わらず口数は少なくて、でも時に見せる自然な笑顔や、穏やかな表情、優しくまっすぐな言葉に、ああこの人は本来こういう人だったんだなと人間味を感じてほっとすると同時に、そんな人があんな風に組織で働いて、どれだけ気を張り続けてきたのだろうと、室井さんの27年間に思いを馳せてしまった。
疲れ果てた室井さんが、孤独になり、今度は里親という立場で家族というある種の組織を築き、子どもたちの未来のために、そばにいる大人として生きる。
ああやはりこの人は、本当の室井さんは、ただ愛を持って人と繋がりたくて、犯罪により生まれる悲しみに寄り添いたくて、人を守りたかった、だからきっと警察にいた。
周りから向けられる刃や投げられる石から、その想いだけを守り続けて、"いつか"を願い信じながら闘ってきた、本当はそれだけだったのだろうなと思った。
彼にとって、組織を変えること、正しいことをすることは、手段に過ぎなくて、その先に守りたいものが、自分の夢が、あったのだろう。
自分は敗けた、約束を守れなかったと、自分を否定する室井さん。
彼は本当に敗けたのだろうか。彼はもう終わりなのだろうか。
「生き続ける者」、後編で描かれる彼の物語を、絶対に最後まで見届けたいと思った。
室井慎次という男を通して「踊る」スタッフが描こうとする物語の結末を、そのメッセージを、受け取りたいと思った。
こうして30年近い月日が流れた今も、そこにいて、室井慎次を演じて、その背中を見せてくださる柳葉敏郎という俳優に、感謝の想いでいっぱいになった。
物語の結末がどうであれ、「踊る」シリーズの最新プロジェクトとして、きっともしかしたら最後のプロジェクトとして見せてくれるこの物語を、見届けたいと思った。
室井さん、聞こえますか
室井さん。聞こえますか。
あなたの人生は、私たちの人生で、やっぱり私たちはあなたに敗けてほしくなかった。
だから私たちは、いつの間にかあなたに正しさを背負わせすぎてしまったのかもしれない。
私たちが願っていたのは、あなたが偉くなることでも、あなたが組織を変えることでもなく、あなたがそうやって闘い抜いた日々の先で、いつか正しいと思える場所で翼を休めて、幸せに笑う姿だったのかもしれない。
前編「敗れざる者」を観終えた私は、心の中でそんな風に室井さんに話しかけていた。
後編「生き続ける者」、そこにはどんな室井さんがいるのだろう。
どんな姿でも受け止めて見届けたい、その準備は出来ています。
どんなあなたに会えるのか、楽しみです。