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【ちょっと雑談なのですが】「『笑い』の解剖」を読んで

仲のいい先輩とよく雑談してるような内容を、そのときの雰囲気で書いてみようと思い。

この前、「笑い」についての本を読みました。
(「笑い」の解剖 中島隆信)

コミュニケーションとか共感とかひと対ひとの間に生まれるものに興味があるのですが、「笑い」もそのひとつで。まあここらへんは多くの人にとって興味があるものなのだと思います。「笑い」がテーマの卒論とかもわりと多い気がする。

わたしが勝手に「笑い」について感じていること、
「笑う人がその対象に対して好感を持っていることが前提になっている」。

好きなアイドルがライブの企画コーナー等でコントをやることがあるけど、会場はすごい笑いが起きる。でも多分、TVに出ているお笑い芸人さんたちのスキルと肩を並べられるかというと難しいと思う。でも笑いの量はそれくらいある。ほぼスベらない。

それって、ライブ会場には彼らを好きな人たちしかいないということがベースにあるからなんだろうなと。

あと、「例えツッコミ」は、ある事象Aと別の事象Bの共通点の気づき(アハ体験的な)が面白いポイントなのだろうな、とか。

「笑い」については多くの学者もそうでもない人もそれについて語っているだろうから、本読んでみたいなと思っていました。
(この本によると、ギリシャ時代から議論されているとのこと)


そして、「『笑い』の解剖」を読んだ感想。

・「笑いの原因は世の中の”不自然さ”にある」
 ⇒不自然を感じるためには、その前提となる自然な状態=「当たり前」が共有できている必要がある。だから、相性がいいときに「笑いのツボが同じ」と言うことがあるが、つまり笑えるポイントが同じということは根底の価値観に共通点が多いということで、相性の評価に用いられるのは道理に合う。

・「笑いというのは、その不自然さを”チャラにしている”のではないか」「笑うのは(その”不自然さ”に対する)負荷が軽減できたときで、笑わないのは軽減ができなかったとき」
 ⇒「なんのために笑うのか」という「笑う」行為の目的、その行為によって引き起こされること。笑いはただの反応ではなく、作用がある。これは気づき。

他、著者は、笑いが生まれるためには「対象に親しみを持てること」「”不自然さ”に対する非当事者性があること」を必要条件としている。

「対象に親しみを持てること」は、わたしが考えていた「対象に好感を持っているかどうか」に近しい気がする。また、「非当事者性」というのは、その”不自然”が他人事かどうかということ。確かに「自分の不自然さ」を指摘されたときにはなかなか笑えない(自虐は「自分の不自然さを自ら指摘すること」なのか)。それと、この定義からすると「共感性の高い人」は、笑われる対象に感情移入してしまいやすくそれ故に笑えない場合が増えるのではないかと思った(「共感性羞恥」の仕組みもこれ?)。

あと面白いなと思ったのが、”不自然さ”をチャラにせず、D・カーマンのいう理性的な働きであるシステム2を稼働させ続けると、その事象の理由を追及する方向にいくということだった。確かに、物語に登場する真面目と言われるキャラクターは、笑うことが期待される場面で大真面目な顔をして「何故、~?」と疑問する形の反応をしている。

他にも、笑いと性別に関する記述も面白かった。
ユーモアを使う目的が異なるとか、笑わせる側/笑う側の関係とか。

漫才の構造を考えてみると、ボケで不自然さを生み出して(その不自然さは「当たり前」から距離があるほど笑いが大きくなりやすい)、ツッコミで「この不自然さは笑っていいものですよ」の合図を観客に送る、ということだろうか。

笑いも時代によって異なる点は多々あるんだろうなと思う。
ギリシャ時代における笑いについても興味がある。

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