役に立つことを書くのやめました。書きたいって何を書きたいの?
このnoteを遡ってみれば分かるように
私は育児のちょいお役立ち情報みたいなことを書いてきた。
初めての育児をしてる奴が?
保育士でも、助産師でも、保健師でもない奴が?
ただの子どもを産んだばかりの奴が?
わたしが天才アイデアマンだったら
日々の赤ん坊との暮らしで驚きと発見ばかりがあって、
みなさんをワッと驚かせる斬新なアイデアを提供できたかもしれない。
でも残念ながら私は私なのだ。
特別仕事ができるわけで、
特別頭がいいわけでも、
特別文章が上手いわけでも、
残念ながらない。
「なんか書きたい」
そう思ってnoteを一生懸命書き始めたけど、
わたしは何に向かっているのか、
なんか思ってることとやってることがチグハグだぞ?
とちょっとずつ気付いていった。
これを続けてどうする?
育児お役立ち本の出版をお声かけを待つのか?
なんか育児でバズって、なんちゃって育児専門家にでもなるのか?
望んでもいないし、
到底現実味もない。
違うのだ。
わたしが書く楽しさを知ってしまったのは、中学生の時。
毎日毎日心の嬉し悲しを綴っていた。
自分の心を澱を掬い上げて文字にする
この作業がたまらなく楽しいのだ。
最近わたしは師匠から
正論はあなたが言わなくてもいい。
あなたが言わなくてもいいことを、あなたがわざわざ言わなくてもいい。
自分にしか伝えることができないことを発信せよ。
と教わった。
あぁ、まさにそうだ。
少し前の私は
私が言わなくてもいいことばっかり言って、
そのおかげで発信するハードルが下がったという
メリットはあったけど、
多くは時間の無駄だった。
と言い切ってしまうのも悲しいけど、80%は無駄だった。
専門家の書いた本も、
専門家監修のネット記事もお役立ち情報も溢れている中で、
ど素人の出産したばかりの私が育児の発信をしたとて
何の意味もない。
それと同時に、
最近逆に心の澱を掬う作業を少しずつ思い出している。
これからそんなことを書いていこうと思います。
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