詩か恋のどちらかでも好きなあなたへ「あなたと読む恋の歌百首」/読書感想
詩とか歌とか一ミリも興味なかったんです。
周りに詩が好きな人なんて聞いたことなかったし、関心を持つきっかけも今までありませんでした。
ここ数ヶ月で詩が好きな人に数人も会ったので、これは読んでみようと思いました。
なぜか集中的にある事柄が目に付く期間ってありませんか?
今日はやけに妊婦をたくさん見かける。
今日はやけに赤のヘルプマークをたくさん見かける。
たまにあります。不思議。
ここ数ヶ月はやけに詩好きを見かける。
そう思って、一旦触れてみようと思いました。
以下、私が愛誦したい歌です。(愛誦という言葉を覚えました。)
いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり
今、自分が一人でいるということ。
それは、どんな人とも二人になることができる可能性を秘めている。
そして今、自分が二人でいるとしたら、それはやがてくる別れを含んでいる。
・・・人生において対立するかのように見えるもの(幸福/不幸、希望/絶望)は、実は同じことの表と裏なのだ。
ふたりのときはひとりを想像するし、ひとりのときはふたりを想像する。
今ふたりなら
いつか別れるんかなあ。死別は想像できる歳じゃないけど、どっちから振るんだろう。俺が振られるんかなあ。って。
今ひとりなら
次は誰と付き合うんだろう。今は新しい出会いないし、かといって今いる場所から恋人ができるとも思えないし。かわいい子がいいなあ!。って。
まさに表裏一体。
ふたりのときにひとりなんて想像しない恋が最も若くて幸せな状態なのかも。幸せだろうなあ、そりゃ。
私の場合はふたりの状態でもなんだかんだひとりを想像しちゃうようなものばかりだったような。
駆けてくる髪の速度を受け止めてわが胸青き地平をなせり
やっと会えた喜びを、体いっぱいに表しながら駆けてくる彼女。
髪のクローズアップが、躍動感とスピード感を伝えて効果的だ。
両手を広げ、彼女を抱きしめた彼は、自分自身の胸の中に、地平を感じた。
「青き」から私は、海と空を連想する。
この瞬間、自分は彼女にとっての世界なのだという充実感が下の句からは伝わってくる。
とにかく情景がわかりやすいし、女の子に駆けてこられたら一発で落ちる自信がある。もし俺が駆けてこられてきたとしたら、絶対に落とせられてたと思うか?(かまいたち)要は、素直な女の子が一番だってことだ。
男は人の気持ちを察する能力が基本的に女の子より低いので、素直であることだけで非常に楽だし魅力的だ。
恋愛において素直な女の子ってもはや架空だと思う。ユニコーン。
約束の果たされぬ故につながれる君との距離をいつくしみをり
付き合っていた頃の約束は、別れた今となっては、相手と自分をつなぐほとんど唯一のものとなり、また、おそらくは永遠に果たされないものでもあるだろう。
その気になれば今日にでも実行できそうなささやかな約束。
けれどそれが、永遠にありえない二人の距離。
でもだからこそ、永遠に有効な約束。
果たされてしまったら、約束は消えてしまうものなのだから。
果たされなかった約束ってずーっと残る気がします。
こんどあそこ食べ行こうねで行かずに終わったら、そこに行った時その約束思い出しますね。
その食べたかった料理を食べる度にその人思い出してたら、重症です。ご愁傷様。
果たされることのない約束の永遠性と呪縛性。
恋愛の別れならまだ”えもい”で済むけど、そうでない別れなら一生付き纏う恐ろしいものだろうな。
好意という香り燻りししばらくも儚ごとにて人と別るる
好意が恋へと発展することなく終わってしまった時の気分が、香りのイメージに重ねて捉えられている。
・・・最初は新鮮に感じられた香りにもすぐに慣れ、煙がやがて消えてしまうように、早々と現実が見えてくる。
解説文に大きく共感。
”好意”は理由がはっきりしているけれど、”恋”は理由がはっきりしない。
わかるなあ。
なんで好きかわからないほど、よりもっと好きな感覚。
adieuのナラタージュの歌詞に”理由ばっかり 尋ねる世界で ワケなど一つもなく 恋をした”ってあるんです。
その歌詞が大好きで、やっぱりそうなんだなって改めて思います。
あの好意は、もしや恋だったかもしれない。
あの恋は、じつは好意だったかもしれない。
よくよく思えば、そんなふうに感じる過去があるかもしれません。
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
並木道があれより長かったら、決意が鈍ってしまったかもしれない。
並木道があれより短かったら、勇気を出す時間が足りなかったかもしれない。
そこには、愛を告白する時の微妙でデリケートな若者の心がとてもよく表れている。
告白する時のドキドキ感は何回やっても変わらないと思います。
次のバスが来るまでに、次の曲がり角までに、とタイムリミットを設けないとやってられません。
当然のように、その時のバスの予定到着時刻や曲がり角の場所はしっかりと覚えています。こわぁ。
心臓を口から出しながら告白するんです。
背中を押してくれる・えいっと踏み出せる合図がないと、まじで無理ですよね。
風に揺るる鞦韆ひとつ傷つきしほどは傷つけ来しと思えり
風で揺れるぶらんこは前に揺れれば後ろにも揺れる。
同じように、自分が誰かの言葉に傷ついても、相手は気づかない事もある。一方で、相手が自分の言葉に傷ついても、自分は気づかない事もある。
私が思うに、
・傷つけたから、傷つけられる
誰かを傷つけたら、誰かに傷つけられます。因果応報です。
・傷つけられたから、傷つける
傷つけられた分、優しくできるなんて全部に思いません。
傷つけられた後は自分が傷つきたくないから、別の誰かを傷つけることもたくさんあるはずです。
そう、繰り返しです。
傷のつけ合いは相手を超えて時間を超えて行われるものだと思います。
あなたと私だけで傷のやりとりが行われるわけではなく、あなたからもらった傷を私が別の誰かに与えることもあります。
風に揺るる鞦韆はいつか止まるんでしょうか。
傷の終着点ってどこにあるんですか。
傷を優しさに昇華できたら、終着点ですか?
もしくは、ある点で自分が誰かを傷つけたことを棚に上げて幸せになるんですか。
そういうことなのか。(言い過ぎじゃん…)
ギリシャ悲劇観てゐる君の横がほに舞台の淡きひかり来てをり
劇場における至近距離の感じが、とてもよく出ていると思う。
基本的には普段は正面向きだが、隣を盗み見ることは、可能だ。
好きな人の無意識の表情を、そっと垣間見る時の幸福感。
そして、気付いてない相手を、心の中で思い切り愛でる充実感。
そんなしみじみとした幸福と充実が、一首には満ちている。
彼女に届く舞台の淡い光のように、作者の心もまた、彼女を柔らかく包んでいるのだろう。
好きな人の無意識好きです。わかります。
特に寝顔ね。
起きている時は恥ずかしがって隠すような顔も無限に見れるんですよ。
大バーゲンセール?食べ放題?みたいな。
寝てる場合じゃないよねえ!!
この本をおすすめしたいひと
身近なジャンルを通して詩の良さを知りたいあなた
恋愛の感情に浸りたいあなた