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ご自愛という習慣

自暴自棄だし八つ当たりしてくる最悪な人格の数日間

情緒が不安定になる。わけもなく涙が出る。些細な一言でこの世の終わりを感じる。
毎月1週間程度はこの状態が続くことを、心の底から疎ましく思っている。
PMSと呼ばれるこの症状は(もちろん人によって他にも様々な症状が出るが)ここ数ヶ月過去に例を見ないほど酷くなっていた。

たとえば、いつもは気にならない恋人からの短いメッセージに「私と話していても楽しくないんだな」と思い込み、不貞腐れて寝ようと思うと涙が溢れて止まらなくなる。
人からかけられた些細な一言が自分を全否定しているかのように感じられ、それを相談した相手から思ったような励ましが得られず、混乱し地の底に沈んだ気持ちが浮かんでこなくなる。
何があったわけでもない日に、急に自分の存在価値を感じられなくなり、このまま消えてしまえたらいいのになと思う。

一見すると、普段は割と精神が安定していて、どちらかというと「いつもフラットでいいね」と言われる人間とは思えず、人格が変わってしまったのかというほどに自分で自分の気持ちが制御できなくなってしまう。

そんな自分にほとほと疲れてしまい、そして周りにこれ以上心配や負担をかけるのもごめんだという気持ちになり、病院のお世話になることにした。

思ったとおりにPMSという診断になり、漢方薬を処方され、しばらくは定期的に通院することになった。
自分でそうだとは思っていたものの、専門家に話を聞いてもらい、プロの判断で薬を処方されるとやはり安心するのは人間の性かもしれない。

ただ、私は漢方薬を飲むだけでこの症状が改善されるとは思っていなかった。
この数ヶ月症状が酷くなった原因は、以下の3つがあると考えている。

①SNS(Twitter, Instagram)の見すぎ
②仕事のことの考えすぎ
③気分転換がうまくできていない

特に①は、自分の周りの友人たちのプライベートな投稿だけ見ていればまだいいものの、芸能人や諸業界でのスキャンダル、政治家の差別的な発言に対する意見、ここ1年間の自粛生活によって溜まった鬱憤などの掃き溜めとなったSNSを見ていると、自分の魂に有象無象の言葉や意見が土足で入り込んでくるような気持ちになり、無意識のうちに生気を吸い取られていたようだ。

そんな風に疲れていく中で、自分の存在価値をどうにか発揮しようと仕事だけはと思って踏ん張っていたわけだが、この日は休もうと決めた日もなんとなく作業にあたってしまったり、諸々の返信を早く返さねばと躍起になったりと、結局ほぼほぼ毎日働いてしまった(お給料は頂いているのでご心配なく)。

こんな生活を続けていくと、何も考えたくないなと思って過ごす日もあるが、そういう日もSNSをダラダラ見たりなんとなく仕事をしてみたりといつもと変わらない1日を過ごしてしまうせいで、ろくに気分転換もできていなかったことに気がついた。

一念発起で悪習慣を絶つ

そんな私を見かねた恋人から、「SNS一旦辞めてみたら?」という助言をもらったので、いっそ最近の悪習慣を一気に絶ってしまおうと上記3つの解消に向けて以下のことを試した。

①SNSのアプリをホーム画面から消す(iphoneにいつの間にか追加されていた、アプリ自体は消さずホーム画面には出さないという機能を活用)
②オフの日は共有カレンダーに「仕事しません」という旨を書く+仕事をしない日にもらった連絡には休み明けに返すので十分という気持ちを持つ
③ジムに行き適度に運動する・本を読んで活字に触れる

特に効果的だったのは何だっただろうと思い返すが、正直3つとも心の底からやってよかったと思っている。
まずSNSは、消してもブラウザ版を見てしまうのでは…という疑念もあったが、結論10日間以上見ずに過ごすことができた。
理由はやはりスマホのホーム画面にアプリがないことと、SNSの代わりにnoteを読むようにしたことだと思う。
noteを久しぶりに開き、見ず知らずの様々な人の考えに触れるたび、他人の言葉や思考に触れることの面白さを改めて感じた。その中には仕事でちょうど欲していた情報があったりもし、非常に役立ったので多方面で良かったと思える代替案だった。

休みの日は仕事の連絡を返さない、というのは一見連絡無精に思えるかもしれないが、私自身常日頃からもらった連絡には極力速くレスポンスすることを心がけており、それが度を越してしまい結果的にストレスの原因になってしまっていたため、負担の軽減には効果があった。
もちろん緊急の連絡にはなるべく速く反応するようにしているが、相手も「これはあとで大丈夫です」と言ってくれているものに無理やり即レスする必要はないということに気が付けてよかったと思う。

また、活字に触れるという点では本もnoteも同じだが、やはり紙媒体の本に実際に触れながらそれしか読めない状況で集中して読書するというのは、格段に気分転換になると痛感した。
カフェに行くときにはPCかipadを持ち込むのが常になっていたが、本と財布とスマホだけ持ち、テーブルには本だけを出して読書すると、自分の精神状態がどうであれ目の前の物語にだけ集中していればよく、それが今の私には心地よかった。

生活を続けるために

そんなわけで2週間弱上記のような生活をしていたわけだが、見違えるようにとは言わないまでもかなりメンタルの調子が改善し、些細なことが気にならなくなり、毎日をポジティブに過ごせるようになってきた(もしかするとPMSが酷くなる期間が過ぎ去ったからかもしれないが)。

PMSの症状を改善するというためだけではなく、一度世間の意見がごった煮になっているSNSから離れたり、オンオフをしっかりと区切って生活したりということは、自分自身を大事にするためにも継続してみようかな、という思いでいる。

また、ちょうどPMSの症状に悩んで困り果てていた頃、友人と会ってその話を切り出したとき、友人も同じような症状に困っており、そういうことあるよね、困るよね、と話せたことで心が軽くなったのを覚えている。
なんだかこんなことで苦しんでいるのは私だけなのではと思いつめていたが、1番身近な友人さえも同じ悩みを持っていたということにとても救われた。
最近は忙しいことを言い訳に友人との時間を作れていなかったが、久しぶり(とは言っても1ヶ月ぶりではあるが)に会った友人に非常に助けられたことで存在の有り難さに改めて気付かされ、こういう関係性をきちんと大事にできる人間でありたいなと思った。
そういう風にいられるためにも、オフの日は大事な人たちとの時間を作り、世間の話題ではなくお互いのことを話し、また明日から頑張ろうという気持ちを自然と湧かせられるようにしたい。

近年「ご自愛」が度々話題になるが、ご自愛は自分のためにも周りのためにも日頃から意識的に心がけたい習慣である。
ご自愛だけで片付けられない問題は専門家に相談することももちろん大事だし、時には薬や治療で改善していくことも必要なのだと思う。
基本的には人は毎日ひとりで生活を続けていくものだから、ベースとなるご自愛力はきちんと持って、自分を大事にし、ひいては周りも大事にできる人間でい続けたい(時々ご自愛と自責をごっちゃにする人がいるが、「ご自愛」は自分の機嫌は自分で取るべきという「べき論」ではなく、自分の機嫌や調子をうまく認識したり事前に崩れるのを防いだりして、自分も周りの人も大事にしていこうという話なのだと個人的には理解している)。


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