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【終わらない幸せ探し】真っ黒なアスファルトが光り輝くとき

こんにちは、ゆうです。
皆さんにとって、「幸せ」とは何ですか?(唐突な哲学的質問)

誰かにとっては、恋人や友人といる時間、かもしれません。
誰かにとっては、欲しいブランド品が買える金銭的余裕があること、かもしれません。
そして、誰かにとっては、生きていること、かもしれません。

「何が幸せか」、それは人それぞれだと思うんです。むしろ、そもそもの幸せの定義、生きている環境、価値観、様々な要素が複雑に絡んでいるので、全員同じって言われる方が不自然な気がします。

でも一方で、
「自分にとって『何が幸せか』が分からない人が居る」のも事実です。

私もその一人です。大学生時代は「幸福」について書いてある本を、片っ端から読みました。それでも「これが自分にとって間違いなく幸福だ!」と自信をもって言えるものは、まだ見つかっていません。
(もしかしたら、そんなものは、存在しないのかもしれません。)

でも、1つだけ、これなんじゃないかな?と思うことはあります。

それは「真っ黒なアスファルトが光り輝くとき」です。

(なんか辛いなあ、って人はきいてみてください。私がしんどいときに、きく曲の1つです。)

真っ黒なアスファルトがダイヤモンドになる瞬間

皆さんは、「光り輝くアスファルト」見たことありますか?

何言ってんだコイツって思ったかもしれません。コイツの目の中、ミラーボール入ってるから光ってるんじゃね?っと思ったかもしれません。自分でアスファルトに蛍光塗料を(ry

しかし、私は光り輝くアスファルトを見たことがあります。
それも、何度も。

アスファルトが光り輝く瞬間、それは「雨上がり」です。雨上がりのアスファルトは光り輝いているんです。
雨が降り、水たまりができたアスファルトは、夕焼けや夜の街灯に照らされキラキラと光って見えるんです。

「おっけ~ぐーぐる」をしても、丁度いい写真を見つけることはできませんでしたが、夕焼けが反射してキラキラ光っているアスファルトは本当にきれいです。
是非皆さんも、雨上がりは、空にある虹だけでなく、地面のアスファルトも見てみてください。自然と人工物の奇跡のマリアージュです(さすがに大げさ笑)。

探し物の幸せは、そこに落ちている

真っ黒なアスファルトが光り輝くのが「雨上がり」で、凄くきれいなのは分かった。でも、これと「幸せと感じる瞬間」はどう関係しているの?ってなると思うので、そこの話をこれからします。

冒頭に、私が思う幸せの瞬間は「真っ黒なアスファルトが光り輝くとき」なんじゃないか、と話したのを覚えているでしょうか。

これ、凄くかっこつけている感じがするんですが、
もっと抽象的な表現にすると、

「普段何気なく気にも留めない事が美しいと気づけた瞬間」です。


そうです。私は、幸せの瞬間とは、
「普段何気なく気にも留めない事が美しいと気づけた瞬間」なんじゃないかと思っています。

「私の幸せはどこにあるんだろう」と宝物のように幸福を探すのではなく、もしかしたら、幸せは自分の周りに在って、自分が気付けていないだけ、なんじゃないかと思うわけです。

まさしく、アスファルトが光り輝く瞬間っていうのが、分かりやすい例です。

ほとんどの人にとって、アスファルトは気にもならない存在です。普段から、「このアスファルトは比較的黒いなあ」なんて考えながら、アスファルトを見ないですよね。

でも、雨上がりのアスファルトは凄くきれいに輝いています。しかし、たいていの人はそんなこと気づきません。
それよりも、気になることがありますからね。

「帰ったらあれやらなきゃ!」とか、
「また先輩に怒られちゃったなあ」とか、
「自分の幸せって何なんだろうなあ」とか。

殆どの人が、そのきれいに輝くアスファルトの存在に気づいていないんです。「自分の幸せって何だろう」って考えることに囚われ過ぎていて、真横で輝いているアスファルトに気づけないんです。

(なんかクッソ偉そうに話していますが、過去の自分自身がこんな感じで、目の前にある幸せに気づけていませんでした。「【急募】幸せ」って張り紙を張ろうかと悩んだほどです。
そんな過去の自分の為に書いている、という意味合いもあるので、許してください🙇)

泥だらけの池に、突如咲いた一輪の花

普段気にも留めないことにこそ、実は幸せを見つけられるのかもしれません。

それらの多くは、失ってはじめて気づくことが多いです。
しかしまた、失ってからでは遅いことのほうが多いです。

クラスメイトが転校してから、彼(彼女)の優しさに気づいたり。
自分のペットが亡くなってから、自分が助けられていたことに気づいたり。

大事なのは、「当たり前を当たり前じゃないと思うこと」

世の中は、目まぐるしく変わっていきます。10年前の当たり前は、今の当り前ではありません。そうであるにも関わらず、私たちは「身近なこと」になると、なぜか永遠に続くものだと考えてしまいます。
毎朝欠かさず飲んでいるコーヒーが、明日以降も必ず飲めると考えているんです。もし、コーヒーが毎日飲めない世界線を見たら、「毎日コーヒーを飲めている今」が幸せなことだと、気づくかもしれません。

当たり前に思っていることを、当たり前じゃないと気づけたとき。
その瞬間、私は幸せだなあと思えるんです。

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〇Photo by Matthew Henry on Unsplash
〇Photo by MI PHAM on Unsplash
〇Photo by Annie Spratt on Unsplash

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