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お金が欲しい。
お金が欲しい。
何か買いたいというわけでなく、ただお金が欲しい。目的も無いのにお金が欲しいだなんて目的と手段が逆になっているじゃないか。そんな自問を悶々としている。重い、お金の重さに耐えかねている。
子供の頃に握りしめた500円玉は、万能感の象徴だった。なんでも買える気がした。友達にチェリオだってご馳走できるし、お母さんにあずきバーの1本や2本買って帰るのも屁のかっぱだ。
万能感。おそらく、神に近づいていたと思う。
今はどうだろう。ただただ足りない。「足ることを知れ」と呪文のように唱えても、横目には羨ましいことばっかり。「隣の芝生は青い」というけど、アパート暮らしで育った僕は隣の芝生を見たことがない。
あぁ、お金が欲しい。あぶく銭が欲しい。汗や血のにおいのしない金が欲しい。お金はもっと軽やかでいいと思うのだ。
まわれまわれ、お金よまわれ。
千客万来、商売繁盛。売り手も買い手も世間も良し。そんな感じではどうだろう。
僕は不満だ。この良いものを安くという価値観をどうにかできないだろうか。この風潮が重苦しい。「適正価格」に負い目を背負うなんてバカらしい。投げ捨てたい。
会社の土台はどこまで行ってもお金だ。お金が無いと立ち行かない。いくら夢や理想が素晴らしくても、金の切れ目が縁の切れ目。それが実体だろう。
だから「適正価格」の誇りを植えつけたい。「安い買い物だった」じゃなくて「良い買い物だった」と思われるようにせにゃならん。
お金ばかり追い求めたら、金持ちの尻ばかり追いかけるはめになるのでは。必要な人に届かなければ意味がない。お金ばかりで卑しい……。分かる、その気持ちは分かる、
けれど、お金がないと困る。みんな困る。必要な人に届けるためと、頑張り、辛い思いで「安く」では長続きはできやしない。それでは四方八方困るだろう。お金をいただく方法はお客さんだけではない。だから勘定合うように仕組みに知恵をしぼってほしい。
お金があるだけで安心する。大人だって万能感は湧いてくる。
僕らはできる。僕らは正しく稼いでいる。そう誇っていいと思う。
だけどお金への気持ちを貯め込みすぎて重たくなってはいないか?
もっと軽やかに。
気持ちよく稼いで気持ちよく使う。
「お金があるってハッピーだなぁ」。そんくらいでつきあっていきたい。
こんなにおいしいお菓子は仲間にも食べさせたい!、今日はいいワインを買って帰ろうか、今夜はステーキ食べちゃうぞ!
生活のためじゃなく、生活を彩るために稼いで使ってほしい。
そうして「適正」に敏感になってほしい。
適正な価格、適正な利益、適正な給与に。
適正で何が悪い!
人にも組織にも「万能感」がほしい。
だから、適正価格で稼ぐことにもっと誇りを!
ご覧いいただきありがとうございました。
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