きっと誰もがみんな 手を取り合いたいと思っているとは思うのに
人が、人を陥れることに、きっと確たる理由はないのだろう。
何かが、自分とは違う。
何かが、合わない。
何かが、気に食わない。
何かが、腹立たしい。
それは自分の感情であるのだろう、か。それとも、理性を持った判断なのだろう、か。
仲間を作り、徒党を組み、敵を作る、敵を作る。わざわざ。そうして、敵を排除する。
それは何がしたいのだろう。
承認欲求? 快楽? 見下したい? 満たされたい?
私にはわからない。
結局、今でもまだ、わからない。
もっと、純粋に、手を取りあえばいいのに。
もっと、単純に、調和を保てばいいのに。
それはなあなあな空気を作るとか、事なかれ主義とかではなく。
きっと、強く言葉を使う人は、厳しくしないと回っていかない、ちゃんとしない、と思っているのか。そうしていかないと生きられない人なのか。
私の感覚で言うならば、喧嘩できることがいいのだと思う。それは感情ではなく、論理的に、理性的に。
喧嘩、という表現が強いなら、何でも腹を割って言い合える、そんな空気感。
そして、それが終わったら、それでおしまい。後は、決まったことに向けて方向を合わせて歩く。
それができないから、ぐちぐち言うのではないか。攻撃するのではないか。
何でも言い合える、それは相手を認めることでもある。自分の感覚だけを押しつけない。
そういう人は、相手の人格を否定しない、攻撃しない。あくまで客観的に、行動と理由、そしてそれがもたらす結果についてで論議できる。
それを共有することで、調和を保ち、手を取り合って、おもしろい絵ができあがればいい。
本当に、そんなふうに、できれば、いいのに。
みんな よくしたいのは一緒なんだ。
みんな よくするために考えているんだ。
あなただけではない。
私には理由はわからないけれど。
それは、なかなか、一筋縄ではいかない。
いかない。
それが人なのだと
人とのかかわりなのだと
そう 思う
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。