それぞれの特性を活かしておもしろい絵を作れたらいいのに
職場における部署の違い、それによって、楽、大変、ということはたしかにあると思う。
けれども、それは端から見えているものと、実際に働いている人の感覚と、そして個人的な感性や資質によって、まるで違うものになるとは思う。
私にとって、大変なことは、別の人からすると楽なことかもしれない。それは逆も然り。
先日、前職の方と話しをしていて、改めてそんなことを感じた。
その人からすると、ある部署の人は、楽だ、と言う。業務的、というより、特徴的に、たしかにその部署は、見え方によってはゆるく、楽かもしれない。
けれど、私からすると、より臨機応変な対応、日によってまったく違う形態、出勤退勤の時間もその日によって違うということが、私にとってはきついものであった。ときおり、ヘルプに入っていたけれど、私には合わなかった。
当時、そのときから、いろいろな方と話しをしていたけれど、仕事において大事なことは、適材適所に当てはめることだと、今でも思う。
得手不得手がある以上、誰もがみんな、何でもできるわけではない。
変な異動を命じられたばかりに、その場にその方の能力が合わず、辞めていく人を何人も見ているし、それはとてももったいなく思う。
どうしても、口の立つ方、オールマイティ(に見える方)、が優遇されていて、特化型(と私は呼んでいる)の方は下に見られている気がする。
その人にしできない、というレベルの特化型は、たしかにその人がいなくなってしまったとたんになくなってしまうため、それはそれで問題があるかもしれない。
ただ、私から見るに、多くの場合、オールマイティ、というのは幻想であって、どんなに多様に対応できるように見えても、実は特化的なのではないか、と感じる。し、そこでならできる、といったもので、環境に依存をしている場合もありうる。もちろん、本当に何でもできる方もいるのだろうけれど。
特化的な方の集まりでも、それぞれの得意を合わせていけば、流れとして噛み合っていくのではないかな、という想いがある。
それだけに、それらをつなぎ合わせておもしろい絵を描くように、当てはめていくほうがうまくいくのではなかろうか、と感じてしまう。
以前チームケアについて書いたときには、職種間でのことを書いたが、この場合はその人個人の特性。
シロクマはハワイで生きる必要はない。
ーー梨木香歩 著 不思議な羅針盤 より
私も、そう思う。
たぶん、もともとこの言葉は、私が今使っている意味とは違う方向性ではあると思う。
それでも、ある人の楽さは別の人には大変なものになりうる、というものに、ふさわしい言葉だと感じたので、使わせてもらった。
自分ができることは案外、他の人には難しいことかもしれない。自分ができているのは、この環境であるから、かもしれない。
なんとも、難しいものである。