言葉には力があるが、万能ではない
言葉を知ることがとても難しいものだと気づくのに、どれだけの時間を費やすだろう。
けれど、大人は知らない。いいや、大人だからこそ、実感するのだと思うのに。
英語でも、中国語でも、ロシア語でも、フランス語でもいい。
その言葉を突然言われて、何を意味しているのかわかりますか?
わかるわけない、なんて思う人もいると思う。
けれど、子どもに対して、そうやって子ども自身がわからない言葉で話していることが多い。
日本語なのだから、意味がわかって当然? と、本当にそう思ってしまうのだろうか。
人との関係をする中で、言葉に依存してしまい、そこに囚われ過ぎてしまう人もいる。
自分がわかることは、相手もわかるはずと認識し、わからずに自分が思っていることと違う行動に対して苛立ち、怒る。
私はそんな場面を見て悲しく思う。
子どもは特に、圧倒的経験不足。実感していないことも多いので、それが認識できなければ、想像できないこともある。
どんな言葉であれば、届くであろう。
どんな言葉であれば、伝わるだろう。
やさしい声かけがいいわけではない。
叱らないことが いいわけではない。
たぶん、問われているのは、真剣な心。
一貫していてぶれない、切実なる想い。
怒ることと叱ることが違うように、その違いに心を傾けていくように。
相手を否定しないように。
人格を否定しないように。
伝えるならば、行動を。
その行動に目を向けて、耳を傾け、ではどんな行動であれば望ましかったのか。
言葉、だけでは足りない、言葉、なくても足りない。
そんな あいまいな ものに 依存する 私たち
そんな あいまいな ものだから
そんな あいまいなのだから
言葉だけでは通じない こと
そんなことを意識するだけで、きっと、世界は変わるもの。
自分が思うことと、相手が思うことは違うのだ、と。
自分の想いだけが、相手に伝わるわけではない、と。
相互に、かかわりを。
相手の、世界に、理解を。
言葉ではなく、伝えるではなく。
まずは、そこから。