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話し合う、ために
話し合いが話し合いとして成り立つために、相手のことを認めなければ、それは話し合いに似た、ただの意見の押しつけ合いだと思う。
相手の声や言葉に反論を持って聞いている内は、その中身よりもどう言葉を返そうか、どう言えば自分の考えが伝わるかーーもっと言うなら、あなたは間違っていて私は正しいーーということが伝わるか。そんなふうにしかならない。
話しの中で、それは無意識なのかもしれない、その言葉を受け止めるより先にそうした反論や反応が見られるのは、聞いているようで聞いてはいないのだ。ゆえに印象にも残らず、跡形もなく消え去り、残るのはただ、自分の考えだけ。
相手の言葉をすなおに受け止めようとしたら、きっと言葉なんてすぐには出てこない。その人なりの考えや感じ方があって、正しい、とか、間違っている、とか、ではなく、すなおな気持ちそのものだから。
相手の気持ちを受け止めて、受け入れて、私はこう思う、こう感じる、とすなおに気持ちを伝える。それを互いに認め合い、つなげていく。そうでなければ、話しをし合うなんて、とてもではないが成り立たないものであろう。
そのために、私はどうであるのか。どんなことをしていきたいのか。実感として、その想いを持っていることは、とても大切なことだと思う。
その中心があるからこそ、すなおな気持ちを言葉に変えて伝えることができる。
その中心があるからこそ、反論したり否定したりする必要もなく、相手の想いをすなおに聞くことができる。
それを、ただ、伝えればいい。
話し合いが、そうしたものであれば、もっと。気持ちのよい、かかわりができるのだと、思う。
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