今 この 私
ここのところ、妙な気持ち悪さを感じる。それは突然、なんの前触れもなくやってくる。
なんとなく原因がわかることもあれば、ふいに背中を押されたような衝撃のときもある。
とりわけ、人の波を感じるときはだめだ。
いや、そんなに大勢の人ではなくても、だめだから、なんとも言えない。気持ち悪い、と。感じてしまう。
気持ち悪さを感じる前に、何かしらの映像が一瞬流れこんでくることもあるのだけれど、それがなんなのかがまずわからない。どこかで見たような、まったく見たことがないような、記憶なのか夢なのか、それさえも判別のつかない曖昧な蜃気楼みたいなものが、映るのだ。
そうして瞬間的に気持ち悪くなることもあれば、しばらくの間動けないほど、気持ち悪くなってしまうこともある。それはそのときになってみなければわからない。
ずいぶん前からそうであったのだけれど、ここのところはひどい。一日に何度も、そんなことがあるのだ。
かといって、何ができるわけでもなかった。ただ、過ぎ去るのを待つばかり。
いつまで、こんなことに付き合わなければいけないんだろう。そんなことを思っても、きっとこれから先も同じようにあるのだろう、と諦めてもいる。
同僚にもうまく話せず、誰にも伝えられていない。
こうして日記のように認めているけれど、それも吐け口になっているというよりは、こんなことがある、ということを残しておきたいのだと思う。これから先もきっと変わらないのだから、今、残していなかったとしても、それが風化することもないのだろうけれど、今、感じていることと、過去、に思うこと、そして、未来、に何かを馳せることは、まったく別物であろう。
そうこうしている間に何度、気持ち悪くなったかな。
今、これを読んでいる私。
何を、感じていますか?
それを知る術はないのだけれど、それがいつか、そのときの私でもいい、私が、わかれば、うれしい、と思うーー
なんていうことを書いていたことも忘れ、正確に日付も書いていないものだから、これがいつ書いたものかも、覚えていない。
たまたま見つけた日記に書かれていたことは、今でもあるし、それはときおりではあるのだけれど、何を感じたか、なんて……うん、わからないな。
人、というものを、かかわる中で少しずつわかってきたこともある。けれど、かかわっていくうちに、ますますわからなくなったこともある。私には、永劫、理解できないものなのかもしれない。
それだけに、この気持ち悪さも残っている。変わることなく、続いている。
これを書いたときに何を感じていたかなんて、今の私にはわからないのだけれど、それでも。
今、たしかに、私が感じていることはある。
これを読んで感じたことではなく、日々の中で、感じていること。
それをあえて、私は、書こうと思わない。この先の私が何を残すのかはわからないし、とやかく言えるものではないのだけれど、少なくても、今、この、私。私は、何も、残すものなんてない。
私は読み終えた日記を再び段ボールにしまうと、押し入れに戻す。
ふぅ 一息ついて、辺りを見回す。まだまだ、片づけは終わらない。
今後もまた、こうした、過去の何かが発掘されるだろうか。
私は大きく伸びをすると、片づけを再開した。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。