澄んだ差別
こんな話しをしよう。なんて、気取った物言いでなくても、いいのですけれど。
澄んだ差別、という言葉を使いましたが、その言葉は、梨木香歩 著 りかさん の中に出てくる言葉。
主人公とおばあちゃんの最後の場面の話し、植物染料と化学染料の色合いの違い、染めの話し、があり、その場面で出てくる。
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「ーー植物のときは、媒染をかけてようやく色を出すだろう。頼んで素性を話してもらうように。そうすると、どうしても、アクが出るんだ。自分を出そうとするとアクが出る、それは仕方がないんだよ。だから植物染料はどんな色でも少し、悲しげだ。少し、灰色が入っているんだ。一つのものを他から見極めようとすると、どうしてもそこで差別ということが起きる。この差別にも澄んだものと濁りのものがあってーー」
「ーー澄んだ差別をして、ものごとに区別をつけて行かなくてはならないよ」
「どうしたらいいの」
「簡単さ。まず、自分の濁りを押しつけない。それからどんな『差』や違いでも、なんて、かわいい、ってまず思うのさ」
ーーあのときのことはあまりにも重く大切で、今はまだ、簡単に言葉にしたくはなかった。それで、そのことに焦点を合わせながら、直接それに触れないような言葉を自然に選んだーー
「そうやって、頭でなく言葉でなく、納得して行く感じは、そういう『悲しいもの』が『昇華に至る道筋』をつけるんだよ。難しいね。でも、本当は簡単なことだ。簡単なことほど、言葉で言おうとすると難しくなる」
ーー梨木香歩 著 りかさん より 一部抜粋
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かなり、端折っておりますが。
ここで描かれている意味と、もしかしたら違う意味で使っているかもしれない。しかし、そうであったとしても、ここで感じられる想いから引き継いだものであることには変わりない。
この言葉だけではなかなか何を伝えたいのか曖昧なところもあるが、それは仕方ないこと。この一文で理解できてしまうのなら、小説なんていらないと思う。
もちろん、ただ言葉の印象だけでも、いいとは思うけれど、伝えられることは、伝えていきたいとも思う。
きっとまた、印象が変わる。
そう、思う。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。