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平穏

 心に浮かんでくる顔に唾を吐き捨てて、これでもか、とぐちゃぐちゃにしてやりたい。というか、いつも、そうしている。なんなら、もっとぐちゃぐちゃにするよい方法はないか、模索している。

 それでもなお、自然に、性懲りもなく浮かんでくるその顔は、笑顔の貼りついた気持ちの悪い表情をただ私に見せるためだけに存在しているようにも感じられた。

 ずいぶん前に相談したこともあったけれど「そんなの、むしろ浮かんでくるなんて、好きなんじゃないの?」何にも相談にならなくて呆れてしまった。相談の熱意に力が入り、あまりに拳を握りすぎたのだろうか、いつの間にか腫れ上がった手のひらを見て、それ以来その子と話すことはなくなった。

 それはいつ、どこであろうと、何もお構いなしに突然現れてくる。

 そのたびに私は、これでもか、というくらいにしてやるのだけれど、それは何の変わりもなくただ笑っていて、気持ち悪い。私のほうが嫌になって根をあげても、何にも変化がないのだ。いっそ無視してやろう、としても、かえって好都合と言わんばかりにただただその笑みを見せつけられて、ときおり叫び出してしまう。

 私は相談の代わりに、それとなく他の人にも同じようなことがあるのか尋ねたこともあった。

「うーん、出てくるときあるかな」

 と答えた人もおり、よくよく聞くと、浮かんでくる人のことが好きらしいことがわかった。参考にはならない。

「嫌いな奴の顔が浮かんでくるときはむしゃくしゃしているとき」

 って言う人もいて、身を乗り出して話しを聞くも、こっぴどくやってやって泣かせるところまでがセット、というこれもまた、ある意味参考にはならなかった。

 けれど、そうした話しは私の中で積み上がり、たしかな情報となっていつでも引き出せるようにしてあった。

 そんなある日のこと、急にまたあの顔が心に浮かんでくると、それはいつもと違って何やら言葉を発しているようであった。耳を澄ましてみるが、まったく聞こえない。聞こえない、というよりは、意味につながる音に聞こえないのだ。

 私はいらいらして、いつものようにぐちゃぐちゃにしてやろうとする。それでも、心に浮かぶどころか貼りつけられた笑顔は変わることもないし、ぶつぶつお経みたいにつぶやくのも変わらない。むかむかする。

 どうしたものか。
 どうしてやろうか。

 私はふと思いついて、

「ありがとう、いつも不快にさせてくれて」

 お礼を言ってみた。

 すると、ぴたりとその声がやみ、真顔になって、見つめてくるようである。そうして、これまでとは違う、貼りついたようなものではない、満面の笑みを浮かべると、すぅーっと、心から消えていった。

 消えたときにはびっくりしたが、正直ほっとしながら拳を握る。これでようやく安寧の日々が訪れる、と。そう思った。

 しかし、何度見ていても、今思い返しても、あの笑顔が誰なのかわからない。ただ、笑顔、というものであって、それは誰の顔でもないように感じたのだ。

 それでも、何でも、どうでもいい。もう、終わったことだ。

 その日から私は、その笑顔が見える前に戻った日々を送ることができた。

 心が晴れやかになったような気さえする。解放された感じが脳の大部分を占めていて、抑制も必要ない。あの笑顔に向けていた苛立ちがもうないのだ。それもそうだろう。

 ふいに、私は自分の部屋の鏡を見た。そこには誰も映ってはいない。しいていうなら、ひび割れた顔が見えるだけだ。そういえば、私は自分の顔なんて、久しく見ていない気がする。

 どんな、顔だったっけ。

 そんなことを思い出そうとしながら、皮膚から滴る血をきれいにしようと、洗面台へと向かった。

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。