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同じ言葉でも姿勢によって届き方が違う
あなたのことを 思っている
あなたのことは わかっている
なにを?
なにを わかっているというのだろう
そうして人をたぶらかし、陥れようとする心が透けて見える。
と、考えてしまうのは、私の心の狭さから、だろうか。
わかっている
そう言われてしまうと、反射的に「何を?」と感じてしまうし、私のことを何でそんな簡単にわかるの? なんてことをついつい思ってしまう。
寄り添う、ということの大切さ、寄り添うことについてよく考えているくせに、そうした寄り添い方をしようとする人を見ると、どうしても信用ができなくなる。
何となくではあるけれど、その言葉の裏には、上から目線の寛容に似たものと、アピールが見えてしまうからかな、と思う。
そこには、相手の想いを飲みこんだ上で「わかっている」という言葉ではなく、あくまでその人自身の感性の中で完結してしまっているものが、見え隠れしてしまうから、かもしれない。
アイ・ノウ
「梨木香歩」の『西の魔女が死んだ』に出てくるおばあちゃんが言う「アイ・ノウ」という言葉は、すべてを飲みこんだ上で余計なことを言わずに「わかっていますよ」と同意してくれる、ことに共感を覚える。
それは、もしかしたら贔屓目で見ているものかもしれない、けれど、自分の中の感覚だけで理解しているものと、相手が感じているであろうものを想像した上で同意したものでは、その意味はまるで違うものになると思う。
そう、無意識に使っていたけれど、この「同意」というものが、大事なことなのかもしれない。それは、肯定でも否定でもない、相手のことを認めた上で寄り添おうとする気持ち。
そうだ。寄り添う、でも、いろいろな形がある。
矛盾したことを考えていたつもりでも、その根底は一貫していたのかもしれない。
書きながら考えをまとめていったので、文章的にはおかしいところもあるかもしれないけれど、こうやって想いを書きながら整理していくのは、いいものだな、なんて改めて感じる。
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