不適切ケア
虐待ではないけれど、不適切なケア……。
虐待もどき、と表現されるものもあれば、そこまでもいかないけれど、はたして、適切であるかどうか。
それが問われる。
たぶん、当たり前のように行われている支援の中でも、実は不適切ケアにつながってしまうものもあると思う。
私たちが意識しないといけないのは、これが正しい、と思いこまないことだ。正しい、と感じてしまうと、それ以外のことが見えにくくなってしまう。実は不適切なことでも、それを曲げることができなくなってしまう。
ではそもそも、何をもって不適切となるか。それは、人権、という観点から考えられるものが主だと思う。
そこまで堅苦しい言葉を使わなくてもいい。自分にとって望んでいないことをされる、嫌なことをされること。それを口にできない故に、そのまま流されてしまうこと。
個人の尊厳や自由、プライバシーなどなど、何気なく侵されてしまう場面がたしかに見え隠れする。
大人なのに、大人扱いされない。
排泄や体重のことを他の人にも聞こえるように伝達してしまう。
声かけもなしにケアをする。
本人の持ちものを勝手に触る。
などなど
人によっては流れの中で、つい、行ってしまうこと。しかし、本人にとって、それは本当に不快ではないのか、考える必要のあること。また、
人によって考えることや大切なものが違う以上、見えてくるものも違うのだけれど、それははたして、本人によっているのか? 自分のやり方、にこだわるのもよいが、それは本当に、本人によっているのか。
作法や礼儀も関係することがあると思う。それが当たり前の人にとって、いけないこと、と思うこと自体が難しい。認識を変える必要があるものの、なぜそれがいけないのか、理解することが難しいのだ。
不適切ケアは、たしかに法律や基準等で定まっているものではないし、それを行ったからといって、罰せられるものではない。
けれども、確実にそれが利用者さんを不快にさせてしまうのなら、やめたほうがいいものであろう。
罰するのは法律ではない、自分自身が本当に
「それでいいの?」
と問うこと。
利用者さんが、快く過ごせる以上に、必要な支援はないのだから。
これが絶対に正しいなんて思わずに、考えて、感じて、よりよいケアを目指して、常に対応していくことが、大切なのだと、思う。