年月はそれを構築するのに必要な段階を踏めてしまう
人の記憶は改善されていく。
それはいい、悪い、ではなく、年月と共に変化していく種々のものと同じように、どんなものでも時間の影響を受けないものはないのであろう。
以前の職場の方と、久しぶりに電話でお話しする機会があって、いろいろ話しをしているうちに、おや? ということが何度かあった。
その人は何の疑いもなく「そうであった」と断定するように話しを進めていたが、そんなことはなかった、と思うことがあったのだ。
それが第三者のことであれば、私のほうこそ記憶が改竄されているのではないか、と疑うところであるが、この場合は「私のこと」であったので、そうではないと、信じることができる。
けれど、その人からすれば、ずっとそのように信じて年月を経てきていたので、きっと私の言葉は信じられないのであろう、ということが、話しをしていて切に感じたことである。
人の記憶は改竄されていく。
それは都合のよい方向となりがちなのかもしれないけれどーー防衛本能のように自己を守るために必要な改竄もあるのでーー長年信じたものは(その人の)事実になり変わってしまう、ということであろう。
事実と真実は、まったく別物であるけれど、いつの間にか事実が入れ替わっていたとしたら、それが偽りであったと、誰がわかることであろう。
私は話しをしていて、私の想いこそが改竄されているのではないか、という錯覚も覚えた。
果たして合っているのは、私かその人か。
それはきっと、誰にも、もう、わからない。
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