自由であることは
自由にしていい
というのは、本当に自由なのだろうか
自由である
それは、本当になんでもしていいことなのだろうか
言葉の上澄みを掬って、いいところしか見えずに、見ずに、言葉の威を借る狐にならないように。
自分の都合のよいところしか見ずに、疑問という名の形で、最終的に、自由なんでしょう? の言葉で締める。それは、なんて無責任なのだろう。
言葉の真意をはからずに、自分を律することもなく、相手の存在も考えず、自分のことばかりの野放図。
自由とは、責任を伴うこと
自由とは、己を律した上でのこと
何をしてもいい、というのは、相手に迷惑をかけてもいい、ということではない。もしそれが自由でないというのなら、すべてのしがらみを取り払うべきだと思う。
それは、土地も、経歴も、家も、補償も、国も、何もかも。
何をしても、何をされても、よい、というのが自由なのであれば。
自分の都合のよいものだけしか考えず、その前提が守られている甘えからなのも考えず。
自由という不自由さ、その中でも、自由に振る舞える発想を持つ、その大変さと大切さ。
自由である
という、言葉の持つ力を、
もっと、考えてみてほしい。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。