私は どうしたい
こんなにも、必要とされていない、と感じていることはない。
私はいらない人間で、いてもいなくても変わらない存在で、そんなつまらないことを吐き捨ててかまってほしいわけでもなく、ただ、思い、想い、こうして何も言わずにここにいる。
そんなことしか、できない。
私がどう思うか、なんて関係はなく、周りが、相手が、どう思い、どう感じたか、がすべてであって、そこに事実も真実もいらない。多くの人がーーそれがたとえ、ひとりであったとしても、影響力があれば、それがすべて。すべて、そうなってしまう。
どんなに伝えようとも、どんなに言葉を尽くそうとも、何も変わりはないし、届くものなどない。
そんなものなのだ、なんてこと……もうずいぶん前から知っていたようにも思う。
それでも諦めないで、いたのだろうか。それとも、諦めつつも伝えざるを得ない、そんなふうに、思っていたのだろうか。
今は、すべて、どうでもいい。
どうでもいいし、何でもいい。
理解も納得も必要ないし、私の想いや考えも必要ない。何も考える必要も、何を感じる必要も、ない。与えられたものをただこなす、それだけでいい。
矛盾、なんて、私自身、そうなのだから。そんなものなのだろう、とも思う。
それとも、そんなことも、ただのわがままで、子どものようにふてくされ、ないものねだりにものを乞うような、そんなものなのだろうか。悪いのはすべて私で、わたしで、変わらなければいけないのはただ、わたし、だけ、なのだろう、か。
自分が変わらなければ何も変わらない、そうだとも、思う。考え方を変え、気持ちを変え、視点を変え、流れを変える。とても、すばらしいことだと、思う。
これまで大事にしてきたことも、大切だと感じていることも、すべて、すべて変えて……。それは、本当に、よいものなのだろう、か。
仮によいものだとしても、もしも、そうなのだとしたら、私にはもう、何もわからない。わからない。
それなら、やっぱり、必要とされていないのであろう。そんなこともわからないのだから。
そんなことすらすべて飲みこんで、悟ったように、そんなもの、と蓋をして。伝える、とか、届く、とか、そんなことではなく何もしないことが…‥何もしない、なんて、そんなことではないのだろう、けれど。
堂々巡りに、いつまで経っても、ここにいる。
私は、どうしたいのだろう。
迷っているのも動いている証拠、だなんて。
そんなことも、どうでもいい。
ただ
私は、どうしたいのだろう。
結局、そう、私は、ここから、動けないでいる。何もできずに、立ち止まっているに等しい。
それでも、日々は過ぎていく。
心がどんな状態でも、お腹もすけば、眠りもする、時間は止まらず、日々は変わらない。
今、ここで、何をするか。
何が、できるのか。
相談も、話しも、何もかも、何の意味も持たない。
誰のどんな言葉も、誰のどんな行動も、それがどんなにすばらしいものでも、最終的に決めるのは私なのだから。
私は、どうしたい?
答えは、どこにも、ない。