そうすることしかできない
白い空が冷え切った空気を降ろして音まで消えてしまったような、そんな静けさがあった。昼だというのにどことなく明るさのない、けれど、街はそれでも動いている。
そんな中で、ある部屋の灯りが ぱっ! と輝いているのが見える。声の調子も高らかに思え、思わず耳を澄ましてみるーー
「あぁ、もう、なんてすばらしいのでしょう! 先生はうれしいですよ」
そこでは何かの授業をやっているようだ。先生、と自分で名乗るからにはそうなのであろう。
しかし、生徒……であろう、か。そこにいる子たちからは、えー、という声が響く。
「本当にいいと思ってる?」
ある子がそう言った。
どうやら、誰ぞが描いた絵を発表し、見せているところらしい。当の本人は、恥ずかしそうな顔をしているあの子なのであろう。うーんぼくもまだまだだと思う、なんて言っている。
けれど、先生はそれを遮って、
「そんなことないわ。ちゃんと自分で思う、感じることが描けているすばらしい表現だわ」
またも高らかにそう言う。
それを聞いた生徒のひとりが
「じゃあ、何でもいいの? 何でも売れるの? 表現さえできていたら」
と聞く。その言葉に、おっ、たしかに! とみんなで がやがや 騒ぎながら、それなら俺は漫画家になれるかな、私はものかきに、ぼくは映画監督に、わたしは画家に、などなど、好きなことを言っている。
けれど、それには先生も首を横に振って、
「それはまた違うわ。売れる売れない、となるとまた別物。厳密に質は存在するし、いいものだから売れる、そうでないから売れない、というわけでもないし、表現をすることと、商売になる、というのはそう簡単なものではないの」
それには生徒も、そっかぁ、と落胆したり、じゃあどういうこと? と納得がいかなかったり、様々わかれているようであった。
目を凝らさずとも、熱気に溢れているのがわかる。先生はそれでもその熱に浮かされすぎずに一度深呼吸をして、整えていた。
整えた後も、先生は何も言わなかった。熱は当然のことながら冷め始め、覚めてきたようなぼんやりとした空気に成り変わりつつあるように感じる。そうして、静けさが、窓から入りこんでくるように、瞬く間にこの部屋を包みこみそうになった。けれど、それはすぐにまた生徒の手によって解かれる。
「それなら、やっぱり、これはすばらしくないんじゃないですか? とても、売れるとは思えません」
それは、当の描いた本人であった。先ほど、恥ずかしそうにしていたあの子だ。熱気が戻り、力強くみながうなずいている。それもどうかと思うが、それはまた違うらしい。一致団結、という言葉がふさわしいような光景にも思え、むしろ当のその子を称賛しているようにも感じられた。
それには先生も ほっこり 笑みを浮かべながら、落ちついた声音で返す。
「表現、というものは、売れるからすばらしい、のではないの。ーーそもそも、表現をする、ということは商売ではないのですから」
周りを見渡しながら
「自分の想いを、伝えるために、残すために、吐き出すために、解放するために」
大きく 力強く
「それが評価されようが、されまいが、誰かに見られていようが、なかろうが、関係もなく、ただ、ただ、そうすることしかできない魂の叫びーーそれが、表現、なのだ、と」
高らかに
「たしかに、質だけを考えればまだまだ未熟なのはわかるわ。けれど、私がすばらしい、と伝えたのは、しっかりと自分の腹底から生み出された想いが垣間見られたらから、こそ。私は、それを、伝えたい」
伝え
そうして、周りを見渡した。
ぽかん と口を開ける者 睨むような目をしている者 力強い瞳をした者 ぽへぇ と明後日を向く者
そんな、様々な、方向性を持った、可能性たち。
そんな、様々な、表現をしている、可能性たち。
などと、言うのもおこがましいのだろう。
しかし、それはまさしく表現なのだ、と称するべきものに思え、その先生の笑みや子どもたちの顔が何とも言えずにおもしろいものだ。
それはひとつの風景に過ぎない。ひとつ、窓から見える、日々に過ぎない。
きっと、どこでも、行われている、光景のひとつ。
それでも、どこでもは行われていないかもしれない、景色のひとつ。
だからこそ、かけがえのないもの。
誰もが当たり前にできるものではない……のだから。
それはまだ、この子たちには想像がつかないかもしれないーーいや、もしかしたら、永遠に。
気づく間もなく、覆われ、隠され、表には出せず、内の光も消え、ただ、過ぎていく。あるとしても、反射や反応に似た、何か。
……などと、そんなことも、おこがましい。
窓から見える、そこから耳を離す。
聞こえる、聞こえる、さて、どこに、耳を澄ましてみよう。