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箱の中のカブトムシ
思考実験の中で「箱の中のカブトムシ」というのがある。それは、それぞれの持つ箱に「カブトムシ」と呼称するものが入っており、共通の話題として会話できるものの、実際には箱の中に何が入っているのかわからず、それを覗くこともできない。見られるのは常に、自分の持つ箱だけ。
これは、何を表しているものなのだろう。
単純に想像するには、箱、というのは自分自身の内面であり、同じ言語、同じ言葉、で会話は成り立ちはするけれど、実際のところ、同じものを指しているのかわからない、そういったものであろうか。
はたして、
言葉とは意味を持つものなのだろうか。
心とは推し量れないものなのだろうか。
自分の内面をいくら見つめてみても、相手の内面などわからない。そもそも、私には、私の心を見ることもできないのだ。相手の心なんて、見えるわけもない。
同じ、人間、という、種、である。
ということ以外、同じことはないのであろう。
それこそ「箱」という外側は同じでも、内側まで同じかどうか、わからないように。
支援をしていく上で、この思考実験は、とても参考になるテーマだった。
相手の喜びや痛み、幸せや悲しみが私と同じものである保証はない以上、簡単に共感することもできなければ、寄り添うことも容易ではない。
その言葉が何であれ、それは相手の心にまで響いているものなのだろうか。相手の内面に映る「言葉の意味に似たようなものに」どれだけ近いものなのだろうか。
私には、わからない。
人は笑顔のままで泣いているときもある。
目の前に見えているものですらその内面や感情、心を表していないものなのだから。
私には、わからない。
けれど、
だからこそ、理解しようとする気持ちを。
だからこそ、寄り添おうとする気持ちを。
忘れずに、肝に銘じて、心を尽くし、かかわりを持つ。
できる、できないではなく。
まずは、そこから。
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