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誰かの言葉だけの世界

 その場面を実際に見ていないのに、誰かの言葉だけを鵜呑みにしてそこまで感情が曝け出されるのはなんなのだろう。

 責められているほうを、どうしても庇護したくなってしまうのは、わからなくもない。そちらに寄り添いたくなってしまうことも、わからなくもない。

 けれど、本当に悪いのは責めている(本人たちからしたら)ほうなのだろうか? それは、本当に、責めているのだろうか。

 私が見た場面で考えれば、責めているよりもむしろ、伝わりにくいかもしれないけれど伝えようとしているふうに、見えなくもなかった。

 その場面だけでは、なんとも言えない。
 実際に長々と時間をとって話しをしているのはハラスメントではなかろうか、とも思う。

 けれど、実際にその場面を見ていない以上、どんなふうに伝えているのかは、わからない。

 受け取り側に問題がある場合、もしかしたら時間のかかることもあるかもしれない。受け取り側の感じ方によっては、不当に責められている、と感じてしまうこともありうる。そうしてその感じたことを伝えようとして、変に捻じ曲がってしまうことだって、十分あると思う。

 私は、その人の言葉だけであんなにも多くの人が、ありえない! と感情を曝け出している場面を見て、それこそどうなのだろう、と感じてしまった。その中でひとりだけ、録音したデータを聞いたら意外と優しく諭す感じだったらどうだろうね、と冷静に言う姿を見て、改めてちゃんとした視野を持っている、と感じた。

 そう、その人の感覚だけ、その言葉だけではわからない。それがすべてではない。

 そうなのに。
 なぜなのだろう、なぁ。

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。