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【 権利を与えられるということ 】

「人権蹂躙」(じんけんじゅうりん)という言葉があります。
私がこの言葉を知ったのは、つい先日のことでした。
この言葉は「人権」と「蹂躙」の二つの単語が合わさって、一つの意味を成しています。
それぞれの意味を次に記します。

「人権」とは、すべての人が生まれながらに持つ、人間として幸せに生きていくための権利です。
人であれば、どこにいても、誰にでも、いつでも尊ばれ、守られるべきものとされています。

「蹂躙」とは、権力など力のある者が強権を振るい、弱い者の権利を踏みにじったり、侵害したりすることを意味する表現のことです。

つまり「人権蹂躙」とは、人間としての権利を無視したり、不法な行為をしたり、不当に手荒く扱ったりすることを意味する言葉です。
差別やいじめ・虐待・ハラスメントなどが含まれています。

恐らく私はほかの人たちよりも、医療や福祉制度のお世話になってきたと思います。
特に精神科医療や障害者福祉の分野では、たくさんの恩恵を受けてきました。
私は10代の頃から現在に至るまで、欠かさず精神科を受診し、服薬をしています。
デイケアを利用していたこともありました。
福祉に関しても20代から、何かしらのサービスを受け続けています。
その中で私は、多くの支援者と出会いました。
そしてたくさん助けていただきました。
今の私があるのは、支えてくれた支援者の方々のおかげだと思っています。
感謝の気持ちでいっぱいです。

私に「人権蹂躙」という言葉を教えてくれたのは、現在お世話になっている心理士さんです。
私にとって生きることは、大きな苦しみを伴うもの。
それにもかかわらず、なぜ生きていなければならないのか。
その理由を教えてほしいと、心理士さんにお願いしたことがありました。
このままではそれほど遠くない未来に、私は自らを殺めてしまう。
だから生きる目的が欲しい。
自分を引き留める何かを探し求めていました。

それを僕に求めるのは違うと思う。
生きる目的を見つける手伝いはするけれど、与えることはできないよ。
それは人権蹂躙だから。

これが心理士さんから頂いた答えです。
私はすぐに「人権蹂躙」の意味を調べました。
そして心理士さんの言わんとしたことを理解したのです。

私は医療や福祉の支援者から、さまざまな権利を奪われてきました。
当時の私はつらく、苦しい日々を送っていたと記憶しています。
だけど、気づかぬうちに、「人権蹂躙」という名の沼にどっぷりと浸かっていました。
そこから救出されたにもかかわらず、自分の意思で決めることを放棄しようとしたのです。

私には人間として幸せに生きていくための権利があります。
そして、その権利を誰にも踏みにじられることはありません。
あってはならないことなのです。
そのことに気づかせてくれた心理士さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

これから私は「生きる目的」を探す旅に出かけます。
道中、困難なことに遭遇することもあるでしょう。
そんなとき、今の私には適切な助言をしてくれる人がいます。
大きな不安と期待。
それらを両手に持ちながら、ゆっくりと歩んでいこうと思います。
それでは、いってきます。

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