私は、ツナグに頼むつもりは無い。
『ツナグ 想い人の心得』を読み終えた。
著書にある、「ツナグ(使者)」を簡単に説明すると、
「ツナグを通じて、生きている人は、死者に一晩だけ会うことが出来る。ただし一度だけ。死者はそのリクエストを受けることが出来る。死者として会えるのも一度だけ。ただし、断ることも出来る。その場合は「一度だけ」にカウントはされない。」というもの。
生きているときと、死者として会えるのは、それぞれ一度ずつ。
例えば、生きている私が、亡くなった母に会いたいと言って、会ってしまうと、母は弟からのリクエストには応えられず、会うことが出来ない。
例えば、生きている私が、もしもこの後、妻や息子が先に亡くなったりしたときのために、そのカードは取っておいた方がいいのではないか、とか。
色々と、考えさせられる。
考えさせられるけれど、私の中で少しどんよりとしたその空想も「ま、小説の中の話だからな」と思えば、スッと消えて無くなる。
ただ、これを考えたときに、思い出したことがある。
2016年12月、父は白血病を患って入院していた。その二年ぐらい前に一度は寛解したものの、再発して入院していたのだった。
父は普通に会話も出来るし、食べたいものも色々リクエストし、買って持っていくと、それを美味しそうに食べた。それでも12月の中旬、医師は「年を越せないと思う」と信じられないことを言った。それは医師から父本人にも告げられた。
その数日後、私と弟は病室で、父の生い立ちや、葬儀に呼ぶ親戚のことなどを父から聞いてノートにとっていた。まるで他人事のように冷静な父。私たちも映画でも見ているように、感情は自分たちのものではないようだった。
病室には毎日行ったが、日に日に弱っていくのはわかった。
大晦日、私はコンビニでソフトクリームを買っていくことにした。父は嬉しそうに、美味しそうに食べ、「美味しいなぁ」と少しろれつが回らない口調だったが、感想を言ってくれた。
元旦。その日も私は朝から病室に向かった。けれど、父の言葉は完全に聞き取れない状態になっていた。看護師から「夜、お父さんが息子さんに言いたいことがあるようなことを言っていた」と伝えられたが、それは何だったのか確認することは出来なかった。
もしも、私が、ツナグにお願い出来るのなら、父に会って、何を言いたかったのか、それを聞いてみたい。と、この本を読んで、あの日を思い出した。
でも、ツナグがいなくて良かったと思う。私は、あのとき父が何を言いたかったのか、わからないままだけれど、それも含めて完結しているから。
けれど、父は願っているのかな。
頼んでみようかな。
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