名乗る。
note上で私は以下のように名乗っている。
ことば好きな社会人。HSS型HSP。アフリカにsecond homeあり。 コンテンツ→文章いろいろ、絵、podcast、歌etc. Instagram→ https://www.instagram.com/p/CUD3DW6BkFe/?utm_medium=copy_link
noteデビュー当時から今までにこの数行を、何回変えただろうか。大きな変化があったわけでもないのに。
名乗ることが私にはひどく難しく感じる。結局、自分を何と名乗ればいいのか分からないまま、ここまできてしまった。
目を奪われた。
又吉は元々好きだったが、この動画については反射的に再生ボタンを押していた。アイキャッチの衝撃が大きすぎて、何回も見直すことになる。
HSS型HSPと名乗ることがどれだけ恐ろしいことか。私のnoteを見たHSS型HSPの方が、まったく共感できずに苛立ちを覚えているかもしれない。そう考えるだけでも恐怖に苛まれる。
現実世界で出会った人のうち、ごく一部にもHSS型HSPだと言ってみた。
「へーそうなんだ、わかった」
「考えすぎない方がいいよ」
「本当に?そうは見えないけど」
反応はまちまち。どれもが恐ろしい。
理解されたら本当に分かっている?と聞きたくなるし、考えすぎるなと言われればますます考える。否定された挙句には地獄だ。
何のお仕事をされているんですか?
社会人であれば何度も聞かれるこの質問。
何かを創作することを職にしているから、クリエイターとも言える。ただ、クリエイターだけで食べていけるのか。本当に日々懸命に創作に向き合っているのか。そう問い詰められたら、その場を逃げ出して嘔吐しそうだ。
物書き。編集者。インタビューアー。ディレクター。どれもやってるといえばやってるし、やっていないといえばやっていない。
だから「ことば好きな社会人」に逃げている。仕事は依頼されたらするかもしれないが、自分にできるかを考えると恐ろしく、肩書きすら名乗れていない。
私は、本当に弱い。
訂正する可能性が、ある。
人文系の研究者の先輩からいただいたことばだ。
修士課程、博士課程と研究の道を歩んでいると、周囲からは「研究者」として見られるようになるらしい。なんだか大変そうだと思っていたら、先輩がこう言った。
自分のことを研究者だとは思っていないけど、周囲がそう見るならそうなんだと思うようにしているよ。
今は研究者ってだけ。訂正しないことによって、将来的に違うものになる可能性を残すことができる。
あえて誤解を解かないことで、未来に可能性を残す。この話を聞いたのは1カ月以上前だが、そのときの先輩の表情や声のトーンは鮮明に覚えている。
編集者として生きてみよう。
つい先日、向き合いたいことの輪郭が少しだけはっきりとした。それを共にやっていく仲間ができた。だから私も腹を括る。
編集者として私は生きます。将来に可能性を残しつつも、向き合いたいことからは逃げません。自分自身を、世界を変えてやる。
20211005 Written by NARUKURU