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依存先を複数持てる幸せ
私は大学時代、体育会弓道部に所属していて、引退した後は弓道部OB会に所属しています。月に一度は月例会といって主に広島在住のOBが集まり、時に現役の弓道部の学生を呼んで話をします。最近はなぜか私がとりまとめをすることになっていて、毎回月例会には出席しています。
大学で体育会などの練習量の多い、言い方を変えれば拘束力の強い部活動などに所属していた人なら分かるかもしれないですが、そうした部活動で共に過ごした仲間たちというのは、引退した後も気の置けない仲であり続けることができます。引退し、卒業したら別々の進路に進んでしまって職業は異なったけど、改めて集まる機会があれば、離れていた年月を忘れて昔のように仲良く酒を交わすことができます(私は酒は飲まないけど)。
先日も弓道部OB会で持っている施設である「山の家」に8名ほどのOBが集まり、夜通し話をしていました。
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こういう仕事と関わりのない、気兼ねなく話をできる間柄の人たちと交流があることが、私にとって非常にありがたいことだと最近しみじみ思います。
仕事をする仲間とも仲が悪いわけでは無いですが、やはり仕事を通して縁ができていることから、どうしてもビジネスライクな関係になりがちです。それが悪いわけではないのですが、腹の底から気を許して接することができる間柄では残念ながらありません。お互いに利害関係がありますからね。どうしてもそこを意識してしまいます。
それに対して部活動で共に過ごした先輩、後輩、同期、OBの方々といった相手は、自分の学生時代の情けない姿や数々の失敗を知っているので、今さら取り繕う必要もなく気安く接することができます。また、相手の数々の失敗も知っているので、お互いに相手の駄目な部分を知っている、という気安さもあります。
そういう間柄の相手であれば、くだらない冗談を言ったり、近況を愚痴ったり、朗報を祝したり、本当に気楽な会話ができます。
私は最近になって、こうした気を許せる間柄の人たちと交流できるようになりました。
一つは今まで述べたように弓道部OB会です。コロナ禍の時は集まることができなかったため、数年間はOBも集まることができませんでしたが、最近になってようやくまた定期的に集まることができるようになりました。
もう一つは、現在私が所属している環境改善グループの「野土」です。
野土の活動も仕事ではないので金銭的なやりとりが基本にはありません。もちろん、資材や道具類の調達や講師を呼ぶ講師代など、金銭的支出は発生しますが、メンバーは金銭的利益を目的に集まっているわけではないので、仕事でつながる間柄とは違う関係性を築いています。
それぞれが「環境改善」という行動を通して実現したい自己や実現したい社会というものを持っている人たちなので、話していて非常に勉強になるし、多くの刺激も受けます。
また、環境改善のための作業を一緒にすることで、メンバー間相互の信頼感もだんだんと深まってきた感があります。弓道部の部活動でもそうですが、みんなで同じ目的に向かって身体を動かし、汗を流して行動することで、理屈ではない連帯感、一体感、信頼感というのが醸成されるように感じます。
そうした信頼感をお互いが感じているから、お互いの深い話、例えば過去の深刻な病気の話や、信仰の話や、思想の話もできています。私も自分の信仰の話もメンバーには普通に話をしています。
いわゆる「タブー」となる話題をお互いにあまり持たないで話ができる、かなり気の許せる間柄であると感じています。
他にも、あまり頻繁に会うことはできませんが、「みんな違ってみんなダメ」な友人もいます。彼らとは仕事で知り合った仲ですが、今は仕事上のつながりはないため、利害関係を気にせず話ができます。
それに彼らとは仕事で一緒に作業をした仲です。やはり一緒に汗を流して作業した間柄はお互いに信頼感を感じられます。
また、ネット上ではありますが、私の仏教の話や武術の話を聞いてくれる友人もいます。私の仏教の話や武術の話を私と同程度かそれ以上の関心度で話せる相手は非常に貴重なので、そういう意味でも非常に楽しく話せる相手です。
こうした様々なところで、私が安心して話ができる相手がいることが、私の精神安定にかなり良い影響を与えているのを最近強く感じます。
特に一番大事なのは、安心して話ができる相手(場)というのを複数持っている、ということだと思っています。
仕事以外で私が安心して話せる相手もしくは場が一つしか無ければ、その相手や場に依存してしまうかもしれません。あるいは、その相手や場が失われたらたいへんなショックで、逆に落ち込んで心が弱ってしまうかもしれません。
しかし、私は幸いにして今、複数の相手、場がいるため、そのどれかだけに依存しないでいられます。もしかしたら、それぞれに少しずつ依存しているのかもしれませんが、一つだけに重く依存するよりはマシであるように思っています。
また、安心できる人や場が複数あるため、その内の一つにおいて、相手が忙しかったり何らかの都合で一時的に会うことができなくても、他の人や場があると思えるだけで安心感があります。
私は自分だけで自分の心を保つことができるほど強くないので、ほどよく頼れる人や場があることがとても心強いです。「そういう場が私にはある」と思えるだけでも安心感を抱けます。それが今の私の精神安定に強く寄与しているのを感じます。
有難いことだとしみじみ思います。
本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
最後にちょっとだけ。
noteでコメント等で交流していただいている方も、私にとっての依存先の一つなのですが、noteの記事をそれを書くとちょっとあざといかなぁと思って本文では書きませんでした。で、ここにちょこっと記しておきます。
気づく人が気づけば良いかなって笑