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「極端」でしか生きられない人

 フォローしている伊藤ぱこさんという方が以下の記事を紹介されていました。

 この記事を読んで、私も自分の価値観について改めて考えることができたので、それの言語化を試みてみます。上褐の記事に書かれている「極端」について特に思うことがあったので、それについて書きます。
 
 なお、私の以下の記事は、タルイタケシさんのnoteと意見の異なるところが出てきますが、上褐noteを批判したり否定したりしたいのではなく、タルイタケシさんのnoteを読んで改めて自分の価値観を見つめ直して気づいたことについて言語化しているだけです。私のこの記事を書くモチベーションはあくまで自分の価値観・思考を言語化したいというもので、他の方の意見を否定したり批判したりすることは目的では無いので、その点御理解いただければと思います。


 タルイタケシさんのnoteは「中庸」の生き方を勧めるものです。
 「中庸とは何か」を語る前に、タルイタケシさんは中庸と異なる二つの別の生き方を示します。

一つ目の選択肢
自分の夢や理想を捨てて
現実に合わせて生きることです。

私たちはこれを『妥協』と呼びます。

(中略)

もう一つの選択肢は、
自分の夢や理想を貫いて
現実に抗って生きることです。

これは『極端』と呼ばれるものです。

【考察日記】大人になるとは『妥協』や『極端』ではなく『中庸』を覚えること

 他人に合わせて生きる「妥協」という生き方と周囲との軋轢も気にせず自分の夢や理想を貫く「極端」という生き方という二つの選択肢。
 タルイタケシさんはこの二つとは違う第三の選択肢を示します。それが「中庸」です。

 タルイタケシさんは「中庸」の説明に孔子とアリストテレスのそれぞれの考える「中庸」を示します。
 まず孔子の言う中庸について、以下のように説明します。

孔子は

人間が良い人になるためには
自分の考えや行動が一方に偏らず
常に節度を守ること


が必要だと言いました。

そして、
自分の考えや行動が一方に偏らず、
常に節度を守ることを「中庸」と呼びました。

「偏りがなく、常に変わらない」
という意味です。

【考察日記】大人になるとは『妥協』や『極端』ではなく『中庸』を覚えること

 対立する意見があった場合、どちらか一方だけの意見に与するのではなく、双方の良いところを取り入れる考え方とも説明されています。

 次にアリストテレスの言う中庸について説明しています。

彼は人間の行動には、
やりすぎてもダメで、
やらなさすぎてもダメで、
ちょうどいいところがある
と考えました。

(中略)

勇気という性格は、
やりすぎると無謀になりますし、
やらなさすぎると臆病になります。

(中略)

中庸になると
必要なときには果敢に行動し

不必要なときには
慎重に判断することができます。

【考察日記】大人になるとは『妥協』や『極端』ではなく『中庸』を覚えること

 アリストテレスの言う中庸は程度の過剰と不足を退け、丁度いい塩梅を目指す、という意味かと思います。

 孔子とアリストテレスの中庸の思想を学び、自分の生き方の上で「中庸」を心掛けることで、"自分自身や他者や社会との調和を図り幸せな生き方を
目指すことができ"るというのが、タルイタケシさんのお考えだと、私は理解しました。


 タルイタケシさんのこの御意見は全く真っ当で、現代社会を生きる上でもとても役に立つ考え方、姿勢だと思います。「妥協」や「極端」の選択肢をとって苦しんでいる方々の中には、「中庸」の選択肢を知ることで楽に生きることができる人もいるに違いありません。
 
 しかし、タルイタケシさんの意見は非常に良いものである、ということは認めつつも、私は「中庸」ではない生き方に憧れている、と思いました。

 端的に言うと、私はタルイタケシさんの言うところの「極端」という生き方に憧れ、その「極端」な生き方をしたいと思っていることに気づきました。


 私が「極端」に憧れる理由は何だろうと内省してみたところ、一番の理由は私が「信仰者である」からだと思います。
 ある宗教を信じるということは、その宗教における価値観・世界観を受け入れることを意味しますが、その宗教内での価値観・世界観は、社会一般で受け入れられているそれらと同一とは限りませんし、逆に言えば違うからこそ宗教に意味があるとも思っています。

 例えば、私が信仰している(上座部)仏教の開祖であるお釈迦様、ゴータマ・シッダッタは、まさに極端の生き方をした方です。

 彼は当時のインドの小国の王子として生まれました。当然王位を継承し、国を治める立場に就くことを求められていました。また、世継ぎをつくるために妻をめとり、子どももいました。
 しかし、彼は自らの苦しみの真の解消のために修行の道を進むことを決め、妻子を捨て、王子という立場も捨て、身一つで出家しました。

 現代日本の状況で翻訳するなら、江戸時代から続く老舗のお店の跡取りとして生まれ、家を継ぐための教育にもたくさんお金を使ってもらって成長し、結婚して子どももいて、さあもう少ししたら店を継いでもらおうと親が思っていたところで、突然家出して音信不通になった息子、という感じでしょうか。
 当時のインド社会の価値観は現代日本とは異なりますが、上記の翻訳はそこまで外れていないと思います。

 さて、このお釈迦様の行動は「中庸」でしょうか。おそらく10人に聴いたら10人が「極端だ」と言うでしょう。私も極端だと思います。この行動が「周囲とうまく調和した生き方」とはとても言えないでしょう。

 しかし、お釈迦様はその極端な行動の末、最終的には悟りを開きました。悟りを開いたのちは多くの人に苦しみを除く方法を説き、救いの道を示しました。
 もしお釈迦様が「中庸」を心掛け、周囲と軋轢を生まない方法を模索し、例えば王子という立場のまま修行をしていたとしたら、悟りを開いていたかと言うと、恐らく無理だったと思います。「極端」な行動を突き詰めた先にようやく辿り着けたのが悟り、解脱の境地だと思います。

 

 もう一つ、キリスト教のカトリックの例が思い浮かびます。
 何度も私のnoteで言及している高森草庵での生活です。
 高森草庵は経済活動は全くしておらず、自分たちで畑と田を耕し、基本的にはその収穫物で暮らしています。光熱費や税金などは志ある方からの少額の寄付で賄っています。
 高森草庵は押田神父が「無一物で全てを神の計らいに任せたい」という想いで始められたものなので、現在の形になるのは必然でしょう。
 高森草庵は誰が来ても拒むことは無く、共同生活を求めれば受け入れるので、決して排他的な集団ではありません。しかし、実際に共同生活できる人は少数でしょう。「自給自足の生活って良いなぁ」という憧れだけで一緒に生活するのはおそらく難しいと思います。

 現代日本において、全く経済活動をしないという生き方は「極端」でしょう。しかし、その「極端」な生き方を選ばないと神と向き合って生きることはできない、と思うからこそ、押田神父は高森草庵を始めたし、今もシスターはその生き方を続けているのだと思います。

 しかし、その極端な生き方、高森草庵の言葉で言うと「修道生活」を行うことでしか得られない気づきや心の平安、信仰的生活があります。約1年間共同生活をした私は実感としてそう思います。
 


 私が二つの例で示したのは「中庸」の生き方を否定したいからではありません。「極端」の生き方を勧めたいわけでもありません。
 ただ、「極端の生き方を選ばないと見えない光景がある」ということを示したかったのです。

 お釈迦様の生き方も高森草庵の生き方も「極端」だと思います。全ての人が彼/彼女らの生き方をする必要はありません。いや、全ての人が彼/彼女らの生き方を選んだら、社会は崩壊するでしょう。崩壊しないまでも、少なくとも現代の社会の在り方は維持できません。
 ただ、その「極端」の生き方しかできない人もまた、一定数いると思っています。

 何より、私は中庸に生きられなかったために前職を辞し、今の生き方をしています。前職の時に「中庸」の姿勢が身についていればもしかしたら辞めずにすんでいたかもしれませんが、そうなると今の生き方をして出会った方々とは出会えなかった可能性が高いので、単純にどちらが良いとは言えない気がします。たぶんnoteもしていなかったでしょうし。


 お釈迦様のような「極端の極み」みたいな生き方は、多くの人にはできません。お釈迦様自身、自分で生産活動をすることを全く放棄していたので、自分の食事も托鉢で得ていました。「極端でない」生き方をする人たちの庇護を受けて生きていたのです。
 私も同じです。私が「極端」な生き方をしていられるのも、「中庸」の生き方の人あるいは「妥協」の生き方の人のおかげで出来ています。私は自分の理想と夢だけ追って生きているので、「現実」を担ってくださる方々の恩恵で生きていけています。感謝しております。
 しかし、感謝しながらも中庸の生き方に背を向けて極端な生き方をし続けているのは、私が根っからの「極端」の人間だからなのでしょう。

 

 タルイタケシさんの記事のおかげで、私自身の価値観を見つめ直すきっかけがいただけました。
 末筆ながら感謝申し上げます。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!