刃物を研ぐ行為と父の後ろ姿
私は林業を行っているため、多くの刃物を使っています。チェーンソーの刃、刈払い機の笹刈刃、ノコギリやナタ。そして刃物は使っていれば刃毀れがおきたり刃が丸くなって切れ味が落ちます。そのため、刃を研ぐことが必要になります。
私の商売道具であるチェーンソーや最近使う機会が多い刈払い機なども、日に最低一度は必ず研ぎ、刃の切れ味が落ちれば休み時間にも研ぎます。
「刃物を研ぐ」という行為を思う時、必ず思い浮かぶ光景があります。それは私の父親が包丁を研いでいる後ろ姿です。
私の父は母と共に小さな食堂を経営していました。父も母も自ら包丁を使って料理を作っていました。
その食堂は私の家と私が通っていた小学校のちょうど中間くらいにあったので、小学校が終わったらその食堂に一旦帰り、そこで宿題をした後、その食堂に置いてある漫画を読むか、公園に友達と遊びに出かけるかしていました。父が仕事の合間にキャッチボールをしてくれたこともありました。そう言えば、運動神経の悪い私は、父のボールをキャッチし損ねて顔面にボールを当ててしまい、前歯が抜けたことがあったなぁ……。下手過ぎやろっていう。
それはさておき、父は時々、食堂の裏で包丁を研いでいました。母が包丁を研いでいた姿は記憶にありません。単に母が包丁を研いでいたところを見ていないだけなのか、包丁を研ぐのは父の仕事だったのか、よく分かりません。母はあまり手先が器用でないので、父の方が包丁を研ぐのが上手かったため、父が包丁を研いでいたのかもしれません。
とにかく、「包丁を研ぐ」というのは私の頭の中では父の仕事でした。
私が食堂の裏口から出入りするところからだと、父が包丁を研いでいる姿は後ろ姿が見える位置でした。反対側に回れば父が包丁を研いでいる姿を正面から見ることができるでしょうが、わざわざそんなことをする必要もないので(あとちょろちょろ動いて父に叱られたくなかったので)、私は父の包丁を研いでいる後ろ姿をいつも見ていました。
父は包丁を砥石に一定のリズムで滑らせ、時々脇に置いてあるバケツで水をかけながら包丁を研いでいました。黙々と包丁を研ぐ背中はどこか職人の雰囲気を漂わせており、その姿を私はカッコいいと思って眺めていました。
いや、正確には包丁という危険なものを扱っていることに少し怖さを感じ、その危ないものを扱っている父にも恐れと畏れを感じ、逆にそのおそれからカッコいいという感情を覚えていました。
そして父が包丁を研いでいたため、私に「包丁(刃物)を研ぐという仕事は男の仕事」という先入観が出来上がりました。あと「刃物を研ぐのはカッコいい」という先入観も。
そういう幼少期の記憶があるため、包丁では無いですが、チェーンソーなどの刃物を研ぐ作業は私にとって少し特別な作業です。「父もやっていた『男の仕事』をやっている」という感覚があるのです。
もう何年も仕事を続けているので、チェーンソーの刃はもう何百回と研いでいますが、チェーンソーや刈払い機の刃を研いでいるうちに、ようやく最近「刃を研ぐ」ということが身体的に掴めてきた気がしています。研ぐのが上手い人には及びませんが、一応使える程度には研げるようになってきました。そして研げるようになったことが嬉しいと思う私がいます。
たぶん、父の背中を追っているところがあるのでしょう。私が子どもの頃、遥かに強く大きかった父がやっていたことを私ができるようになったことに喜びを覚えている自分がいます。まあ父が研いでいたのは包丁で、チェーンソーの刃を研いではいなかったのですが……。まあ、私の中では「刃物を研ぐ」ということで同じ行為です。うん。
今日もチェーンソーの刃を研ぎながら、父の後ろ姿を思い浮かべました。
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