勇気の知能指数
愛の認識力、愛の目利き力があると幸せに生きることができる。次は、愛の知能指数と繋がっている勇気の知能指数について説明したい。
最初は簡単な仕事、弱い相手に向かっていく姿を見てカッコいい感じる感性。同じクラスの弱そうな人には偉そうにするが、隣クラスの番長にはビビって隠れてしまう。簡単な仕事、リスクのない仕事には積極的になる。
勇気の知能指数が足りない人が上司をしていると、簡単な仕事で成果が読める仕事の成果を評価して、未知で、リスクのある仕事にチャレンジして成果が少ない人の頑張りや勇気を評価することができない。こういう会社は変化できない。
次は、チャレンジには勇気があることに理解しているフェーズ。チャレンジが大事だ!チャンレジこそ評価しなければならないとする。しかし、大体の人は、自分のチャレンジは過大評価し、他人の評価は過小評価する。あいつのチャレンジはまだまだ足りない、という評価をしてしまう。
その次は、ベテラン社員の新規事業にも、新人の初めての営業にも勇気を認めることができる。毎年毎年、新しい新人が入ってきて、はじめての仕事という通過儀礼を超えていく訳で、当たり前なのですが、その当たり前の中にも勇気があることを理解できること。
勇気は、その存在を認識し讃えると、発揮されてくる。君のその行動には勇気があったと認めてあげると、その社員は勇気を自覚してチャレンジしていくのだ。当たり前の中にある小さな勇気を認めてあげなければ、新人社員を育成マネジメントするリーダーにはなれない。
次は、勇気の質を見極めることができる。目に見えるプラス(陽)の勇気と目に見えないマイナス(陰)の勇気がある。立ち向かっていくプラス(陽)の勇気もあれば、我慢する、耐えるマイナス(陰)の勇気もある。目立たないが組織のために自己犠牲をするような勇気もある。そういう隠れた勇気に光を当てることができれば、リーダーとして組織を動かすことができる。チームには必ずと言って良いほど目立つ人と目立たない人がいる。目立つ人は匹夫の勇になりやすいが、目立たない人の方が信念のある剛勇だったりする。そこに気づけるか。
次は、勇気の純度。真心を発見できるかどうか。やむにやまれぬ想いを持っているかどうか。感情だったり、愚かさの中に隠れた勇気である。その人がなぜその行動をしているのか、発言をしているのか。いや発言や大きな行動ではなく、日々のコツコツ積み重ねている習慣にこそ純度の高い意志や勇気が隠れているものである。
次は、無私の勇気、自己犠牲の勇気。頭の計算が強く、合理的にものを見てしまうと自己犠牲の伴う行動を理解できなかったりする。その人の得にならないのにも関わらず、なぜかその行動をしている人がいる。周囲は、その人の動機を窺い知れず、ただただ甘えがちになってしまうものです。しかし、その中強烈な意志や勇気は隠れているものである。使命や天命に立ち向かうものだったりするのです。
勇気をみる訓練をすると、勇気とそうではないものの違いをきっちりと理解できるようになる。
巧詐と言ってもよかもしれない。人をコントロールするような人は、まやかしの勇気を使う。チャレンジしていそうで、リスクを嫌い、進歩しようとして実は変化を嫌っている。自分が上段に立てていることが重要なので、自分が勇気のがあるように見せて、他者に勇気がないことを責めて、問題ではないことを問題だとしてストップをかけて、物事を進めない。こういう人は勇気や責任があるように見えるが、内心はリスクや変化が大嫌いなのです。
色々な人の心の中に勇気を発見できるようになると、そういう嘘っぱちを発見できるようになってくる。