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江頭 春可 / ナラティブベース代表
2019年8月20日 10:53
無人島のこっち側かくしてわたしは、とある無人島のこっち側に着いた。もしかしたら無人島と思っていた島の向こう側には同じような人たちがいたかもしれないし、はたまた別の海にも同じような島があったかもしれない。ただ、言えることはわたしはわたしの流れ着いた場所で良くも悪くも独自にやっていたということだ。ときどき「こっちに来てみない?」と人を誘っていっしょに働いた。仲間には、なるべく勇気と好奇心のありそうな人
2019年8月19日 16:56
生き残るための戦略へ話を仕事に戻そう。株価暴落を味わったわたしは、戦略を変えるしかなかった。つまり、今までの「わたし、やるといったことはやりますから!」と積極的に責任を負い「勝ちに行く」スタイルから、降りざるを得なかったのである。わたしはこのやり方でしか成功体験を得たことがなかったので、ふつうに考えたら相当な意識改革が必要だ。しかし、どう考えても「そうせざるを得ない」状況で、意識とかなんとか言
2019年8月17日 07:26
なぜ人は追い込まれると関係ないことをしてまうのか?はなしは変わるが、人はなぜか焦っているときに限ってまったく無駄と思われることに積極的に時間を使ってしまう。わたしも、育児と仕事で1秒たりとも隙間がないと言いながら、もーどうしよう!というときほどついついSNSのタイムラインに浸っていた(笑)。今は当たり前となったSNSだが、当初(14年前?)はちょうど流行り始めたばかりで、感度が高いアーリーアダ
2019年8月16日 07:48
約束が守れない。もってこいの働き方を手に入れたはずだったわたしだが、初めての子育てはそう簡単にはいかなかった。涙が出ちゃうような心配事やウルトラ大変だった事件のようなことは人並みにあるが、ここでは本題から逸れるのでスキップしておこう。とにかく、赤子を抱えて働きはじめて痛感したのは「仕事とは約束だ」という当たり前のこと。そして、「他に優先すべきことがあれば、その約束が守れないことがある」というこ
2019年8月15日 18:18
「フリーランスになろう!」と思ったことはない。これは、18年も前の話。ただ、転職しようとしていた矢先、まわりに「仕事を探している」と話していたら魅力的な2つのお誘いを受けた。どうしても両方やりたかったわたしは、片方には週2、片方には週3行くことにした。つまりフリーランスになったのは、好奇心ゆえのなりゆきだった。やっと仕事が面白くなり始めた20代が終わるころのこと。当時はまだパラレルワーカーなど