三島由紀夫の小説など【その2:哲学小説としての三島由紀夫作品(『美しい星』・『午後の曳航』・『禁色』・『金閣寺』)】(膨張する本の記録―【シリーズ1】昔読んだ小説類の記録8)
2.哲学小説としての三島由紀夫作品
(一応節番号を振るが、思い付くが儘に続けて行くつもりで、事前に構成を考えてある訳ではない。後でこれらをまとめて、一本の「三島由紀夫論」の構成を作ることを、一応は計画と言うより期待しているが、取り敢えずは、あまり意識しない。)
三島由紀夫という作家は理屈好きで、哲学小説と呼んで良いような作品、あるいはその中に哲学的な議論を含む、多くの作品を書いている。
この理屈好きの性格は、小説と同時に数多くの評論を書いたこと、しかもその多くが単なる軽いエッセイの類ではなく、論文と言っても良いような体裁を取っていることにも表れている。特に、早過ぎる晩年には、『文化防衛論』をはじめとする数々の哲学的エッセイを書いている。
さらに、三島由紀夫が少年時代に多くの詩を書いていたことはよく知られているが、詩の要素は、短編小説の中だけではなく、エッセイの中にも紛れ込むようになったと考えられる。しかも、詩的要素と上述の理屈的要素とがドッキングし、『太陽と鉄』のような、他の多くの作家の作品の中に容易に見出すことが出来ない、硬質な「詩的エッセイ」の形に結実した。
このような、詩をさえ侵食する三島の理屈好きの文学的性格は、多くの小説、特に中編小説や長編小説に反映されている。
昭和45(1970)年11月25日の三島の死のその日から、私の三島への興味は始まり、その文章の摘まみ食いも始まったが、三島文学の本格的な読書との間には、一年以上の間があったように記憶している。
その間に、このシリーズでも既に紹介した有島武郎、ヘミングウェイ、カフカ、マルロー、その他多くの小説を読んだが、三島由紀夫の小説類(小説以外に、詩、評論、脚本が含まれていた)の読書はその後に続いた。
但し、トルストイ、ドストエフスキー、ショーロホフ、プーシキン等のロシア文学の集中的な読書の時期もあった。三島の読書がその前だったのか後だったのかは、明瞭には覚えていない。一部はそれに先行し、一部はそれと並行し、そして多くの部分はその後の時期だったように記憶している。
唯一つはっきり覚えているのは、最初のきちんと通読した三島の小説が、『美しい星』であったことである。
中学校の図書館に三島由紀夫全集が入っていたので、その前の時期には、主にそれや、その当時実家の一部を間借りしていた若い男性から貸してもらった文学全集の中の三島由紀夫集等を利用して、詩や、特に初期の短編小説(十代の頃に書かれた「はなざかりの森」や「軽皇子と衣通姫」等)の幾つかは何となく読んだり書き写したりし、また『金閣寺』やその他の小説の一部は繰り返し読んでいたが、比較的大きな一冊の著書を通読するということはなかった。
しかし、様々な小説を読んでみた後、いよいよ三島由紀夫を読むべきだと決心し、ある比較的短い時期に、集中的に読んだことを覚えている。
自分で入手して読みたかったが、全集は到底買うことが出来ない。そこで、基本的に、入手可能な文庫本をすべて集めて読む計画を立てた。
当時、三島の本の最も大きなセレクションがあったのは新潮文庫だったと思うが、それだけではなく、角川文庫やその他の文庫にも収められていた。しかし、その頃出始めたばかりの講談社文庫に三島作品は収められなかったように思う。岩波文庫にも勿論入っていない。
今、「岩波文庫 三島由紀夫」でネットを検索してみたら、演劇作品と評論集が出て来た。小説は出て来ない。岩波文庫にも入っていたのか、と興味深かった。
昔も今も、新潮社が、三島由紀夫に関しては、最も強いのであろう。
『美しい星』
三島由紀夫の小説の中で、私が最初に通読したのは、『美しい星』であった。
SFが特に好きな訳ではなかったが、SF的と銘打たれている限りは、三島作品の中でも読みやすいのではないか、と予測したことが大きかった。
また、『仮面の告白』や『金閣寺』も『潮騒』も、その他の幾つかの短編小説も、ずっと前から家にあった、赤いカバーの日本文学全集版の『三島由紀夫集』で、毎日のように摘まみ読みしていたが、それらの「名作」や「傑作」として有名な作品を敢えて避け、周囲の作品から読み始めて見たい、という気持ちも、何故か萌した。
『美しい星』は、予想に反して、普通の意味では、非常に読みにくい小説であった。
何故なら、それは、謂わば遠慮会釈のない哲学小説であり、殆どドストエフスキー並みの議論小説であったからである。
私自身はその当時から理屈好きの性格だったので、逆に興奮して読んだと思うが、「SFであるからには読み物的に面白い筈だ」という期待は、見事に外れた。
最初に通読した比較的長い作品の影響は強い。
三島は世に、濃密な美文で日本主義を鼓吹する一種の耽美的作家、というイメージで描かれていた。確かに文章は、凝りに凝り、練りに練ったもので、難しい言葉も多出する、まさに三島のイメージそのものであったが、しかしその内容はと言えば、日本主義を鼓吹するものではなく、宇宙人との対決において、地球人たる人類の運命を論じる、抽象的なもの、哲学的なものであった。
具体的に何が書いてあったのか、よくは覚えていない。しかし、世間にイメージとして流通している三島由紀夫の姿とは全く違う作家の姿が、その小説を通じて私の中に入って来たことは、確かである。
『午後の曳航』
その後次々に読んで行った三島の小説の中に、私は、幾つも「哲学小説」を見出した。
例えば、『午後の曳航』では、横浜の山の手に集う金持ちの息子達は、俗界に降り立った英雄が何故殺されなければならないのか、を巡る哲学的議論を、小親分から聞かされ、みっちりと変態的思想を刷り込まれる。そして言行一致、その哲学を実践して、彼らの英雄である、元船乗りの男を、杉田の丘の上に誘い出して殺す。
なお、この小説―『午後の曳航』―を読んでいて、私が懐かしい感覚に捉えられたのは、昭和30年代の横浜の感じがよく出ていると思ったからである。
私が育ったのは、この小説の中の金持ちの息子達が集う山の手ではなく、そこから丘二つ程内陸に入った方、息子達と英雄との最後の小さな宴が催される杉田の丘と山の手との丁度中間の辺りであるが、やがて殺人集団となる金持ちの息子達は、英雄を曳航しながら、山の手から市電で下町の方に下って行き、そして杉田の丘に辿り着く。
三島の描写では、杉田の丘では、宅地造成の工事がさかんに行われているが、まさにその描写は、私の記憶の中にある昭和30年代の、山の手ならぬ、横浜郊外の風景の記憶と、ぴったり重なる。
私が育った横浜郊外の丘の地域も、最初の記憶は、林があり、大小様々な池が幾つもあり、あちこちに草原が広がる、未開地帯のような雰囲気の所であった。しかし、それらの林や池や草原は、ブルドーザーやトラックによって、毎日のように破壊され、消えて行き、その跡は整地され、家が建った。
気が付くと、嘗ての風景は、その痕跡すらも跡を留めず、密集する家々だけの地域となった。
数少ないものながら、三島による杉田の丘の開発の描写は、そんな、良い言葉で言えば活気に満ちた、ザワザワした、昭和30年代の横浜郊外の雰囲気、様子を、よく示している。
三島の小説から哲学小説を挙げる、あるいは哲学的な描写、議論の部分を取り上げる、という行為は、殆どそのすべての小説が一種の哲学小説であり、殆どすべての小説の中に哲学的な議論が含まれているので、難しくはない。逆に言えば、三島の小説について本格的に論じようとすれば、その哲学、思想について、丁寧に見て行く作業が必須になる。
無論、ここではそういう難しい作業には入り込まない。その代わり、意識的に、「哲学小説」として読むと面白いのではないかと私が思う、三島の小説を二、三紹介したい。
『禁色』
まず、『禁色』という小説がある。
この小説は、徹底的な男性どうしの同性愛小説である。その描写は凄く、男性どうしの同性愛に興味のない男女であっても、興奮すること、間違いない。
それだけでも、強くお勧めしたい小説である。
若く美しい男性主人公を中心に、多くのゲイのみが現れる、ゲイの世界の人間模様、恋愛模様が、徹底的に、展開される。
性愛描写も多い。三島の描写は具体的な細部に及ぶぎりぎり手前で抑制的にはなるものの、その前段階における描写としては、限界をほぼ突破している。
三島はペンネームで、男性どうしが切腹して心中する物語を描いており、この小説は(題名は今忘れた)、新しい方の『決定版 三島由紀夫全集』に、三島本人の作品として収録されている。
しかし、その芸術性の点から言って、『禁色』に匹敵する現代ゲイ小説は、ジャン・ジュネの一連の作品―『泥棒日記』、『花のノートル・ダム』、『薔薇の奇跡』等―であろう。
そして異色なのは、『禁色』が、ゲイ小説であると共に、哲学小説でもあることである。
若く美しい男性主人公悠一を取り巻く華麗なゲイ世界は、しかしながら、ゲイにもなれず、女性にももてず、偏屈な心情に染まりながら、耽美小説を書き続け、今や大作家としての名声を獲得するに至っている、もう一人の男性主人公―檜俊介―によって観察されている。そしてこの檜という老人が、一人の哲学者なのである。
檜は、生涯女性に好かれることのなかった自分が、女性への復讐を遂げるために、美しい男性を、女性にではなく、男性に捧げるという儀式を敢行している(つもりになっている)。そして、女性憎悪の哲学、女性への復讐の哲学が、開陳される。
檜の書く小説の実際の文章が、小説内小説として現れるのも、この小説の一つの面白さである。
これらの小説は、三島が実際に書いた小説よりも、もっと耽美的で、ロマン的な感じのするものであり、三島由紀夫に、ある時期の谷崎潤一郎の小説を組みわせたような匂いがする。
三島由紀夫という作家のイメージは、例えば『潮騒』という小説からのイメージと一致するようなものと捉えられている傾向があるのかも知れないが、実際にその多数の小説を読んでみると、寧ろ、「格好悪いもの」・「汚いもの」に対する妙な偏愛のようなものがあるのに、結構驚かされる。
言うまでもなく、『金閣寺』の主人公はその種の特徴を持っているが、それは一見、三島が実在の事件とその犯人を、遠くから描いたもののように受け取られかねない。
しかし、「格好悪いもの」や「汚いもの」、「醜いもの」は、三島の小説の中に、最後まで、現れ続ける。
美なるものを中心とした華麗なゲイの世界と、それとは対極的な格好悪い老人の世界とを対比させた『禁色』の物語構造は、三島由紀夫という作家の物語の世界を象徴しているものとしても、捉え得る。
『金閣寺』
あの有名な『金閣寺』も、読んだ人には分かっていただけるだろうが、小難しい理屈によって全編が埋め尽くされた、一種の哲学小説である。
ここで展開されるのは、吃音の障害を持ち、コンプレックスに浸された青年が、生きて行くための哲学である。
ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』のように、この小説の主人公の前にも突然、悪の色に染まった水先案内人が出現し、主人公の精神を、導いて行く。そういう意味では、『金閣寺』は一種の教養小説であり、発展小説である。
そういう議論があるか確認した訳ではないが、『金閣寺』における柏木が開陳する、弱者としての哲学は、野間宏の『青年の環』に登場する、最も強烈な脇役たる、田口の「ちんば哲学」と類似しているように思える。
ちんば哲学とは、身体障害者としての田口が編み出した、自分の弱さを有効利用して、社会に挑戦し、大きな利益を得ようとする哲学・思想であり、誰も表立っては避難出来ない要素を突出させて、社会や他者に攻撃を加えようとする方法である。
野間宏は、もともと共産主義者であり、スターリンを礼賛する文章すら書いてしまう程のヤバい作家であったが、田口の「哲学・思想」の、批判的論述を通じて、本質的に左翼的方法を撃沈させてしまうところは、流石だと思う。単にイデオロギーに染まった、凡庸な文筆家ではない。
優れた作家や文筆家は、自身の表面的な意見やイデオロギーを、自身の筆で本質的に批判してしまう、ということをしばしば行う。
例えば、筋金入りの戦後民主主義者として、暴力を批判し、さらに昂進して、北朝鮮や共産主義中国を礼賛するような言論をも展開してしまった大江健三郎は、自身の小説(『セヴンティーン』、『政治少年死す』等)において、テロリストの生態をリアルに、迫真の筆致で、感情移入的に、描き、本質的に、単なる左翼でも進歩主義者でもないことを、謂わば自ら暴露してしまった。
その小説をはじめとした多くの作品の中に繰り返し描かれた三島由紀夫の哲学というのは、結構難解で、容易に要約することを許すものではない。
『金閣寺』を私は二回読み、主人公が最後に金閣を燃やすに至る理屈に、感覚的には納得させられたような気がしたが、しかし、論理的には、とても分かったとは言えない。
従って、その哲学の論理的な解析と理解は、今後の課題としなければならない。結句、三島由紀夫の哲学は結構難しい、という結論になってしまったが、読むこと自体が難しい訳ではない。それは常に、主人公や登場人物の思考や行動に伴って現れるので、哲学書を読むよりも遥かに簡単に読める。
しかしながら、同時に、やはり結構難しいのも確かである。『金閣寺』のみならず、私は三島由紀夫の主要な小説や脚本を二回ずつは読んでいるが、この文章にその哲学や思想のエッセンスをきれいにまとめられないのに、今気付いている。そんな小難しさも含めて、三島由紀夫の小説が、今なお恐ろしい魅力を発散していることもまた確かだ。
死後53年。
個人的には、死後数年の期間に、主要な作品をまとめて読んだ後、それから30年以上を経て、全集も隅から隅まで通読した。
しかしまだ分からない。
私にとって三島由紀夫の読書は、これから始まるのも知れない。