見出し画像

人の目を気にしていた私が、気にしていなかった大事なこと

かつての私は、人の目を常に気にしていました。

例えば、
仕事で何か質問するとき
「なんでこんなこと聞くんだろう?」
周りの人にも
「なんでその人にそれ聞くんだろう?」
って思われるかもしれない。

仕事でやり方の選択肢が
AとBの2つあったときに、
Aをやったらこの人に変だと思われるかも。
でもBだと、別の人から
「それは違う」と言われるかも…

じゃあCでは、Dではどうだろう?
と、ずっと悩んでしまう。。


この思考に振り回されて
人から評価されようと頑張っていましたが、
主体性がない」と言われて
評価されませんでした
(なんだか逆説的ですね)

自分でも、
何でこんなに気にしちゃうんだろう。
私はダメだ、このままでいいのか?

という思いはずっとありました。


そう思っていた理由となっていた
数々の「思い込み」と
そこから解放されるまでの方法を
記事にまとめているのですが
(後日公開します!)

その途中に、衝撃的な気づきがあったので
先にこれだけお伝えしたいと思い
今日の記事を書いています。


その気づきとは、

「人にどう思われるかは気にするのに、
 自分にどう思われるかは気にしないんだ」


この人がこう思う、じゃああの人は…
と、人のことはすごく気にするのに、

自分はどう思うか、どうしたいのか。
全部置いてきぼりにしていました。


そばにいる人の気持ちには
すごく注意を払っているのに、

誰よりもいつもそばにいる
24時間365日、離れられない
「自分」の気持ちはどうでもいいのは
なんでなの??

ってふと思いました。


今はすごく違和感があるのですが、
当時は全然気がつきませんでした。

ただ、それも無理はない。


以前の記事にも書きましたが、

小学生のころから
「○○しないで!」「私はそれ嫌い!」
と否定してくるクラスメイトの
顔色を伺って生きていました。

大事にしていたポケモンのカードでも
友達に「欲しい」と言われたら
あげてしまっていたのを思い出します。


そんな中で
勉強ができ、先生が気に入る自分であることで
クラスメイトより上に立とうとした結果

勉強していい成績をとり
進学校→大学→大学院へと進学し
大手企業に就職していく道を選ぶ中で

レールにしがみつくのに一生懸命で
自分の「こうしたい」を考えて、やっていい
という発想がなかった。


そうなってしまった理由の裏には
いろいろな思い込みがあったのですが

それを解くのに、一番大事だったのは
「自分はこうしたい」と思っていいし
それをやっていいんだ
と知ることだったように思います。


「思い込み」の詳細と
それを解く方法は
また後日ご紹介しますが、

取り急ぎ、今日の記事が
人の目を気にしすぎずに楽に生きる
ヒントになれば幸いです。


本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!