五十嵐健治記念洗濯資料館(東京都大田区・下丸子駅)
クリーニングで有名な白洋舎。その創業者である五十嵐健治は日本におけるドライクリーニングの創始者でもある。その五十嵐健治の業績を記念して企業ビルの1階に開設された五十嵐健治記念洗濯資料館。企業ビルの中にあるので入る時に少し抵抗があるけれど、そこはそれ。本当はスーツか何か着て行くとそれらしく見えるかもしれないけれど。ばっちり私服で訪問。
受付で資料館を見学したい旨を告げて見学へ。資料館自体は1区画だけなのでそこまでの広さではない。目の前すぐに飛び込んでくるのは白洋舎の創業者・五十嵐健治の業績や故人を偲ぶ遺品など。家庭の都合で三井呉服店を退職し、10年間で貯めた資金を元手に洗濯業を始めた五十嵐。その記録は三浦綾子によって小説化されたりもしている。ちなみに社歌があり、これは作詩が北原白秋、作曲が山田耕筰というゴールデンコンビによるもの。今も歌われている。
館内のガラスケース内にはアイロンの歴史も紹介されている。明治時代には焼きごて(炭火の中で熱して使う)や電気ごて、それに火熨斗(片手鍋みたいな容器に炭火を入れたまま底を宛てて使う)などが使用されていた。焼きごてなんかは拷問器具のイメージが強い。
その後は形状が現在のアイロンと同じような形になり、やはり炭火を中に入れて使った炭火アイロンや、焼きアイロン(熱した鉄板に乗せてその熱源を利用)、変わったところではアルコールアイロンなんていうのもあったらしい。
ドライクリーニングで使用していた当時の機械なども紹介されている。ドライクリーニングは通常の水洗いとは違い、燃えやすい薬剤を使用するため、衣服に静電気が発生するとそこから火事が発生するという危険も伴う。そのため静電気が発生しないように機械の内側は木製だったという。結果的にこの内側の木製は衣服を傷めにくいことから通常の洗濯機械でも採用されていた。
反射率計や不揮発分測定装置といった通常ではあまり目にしないような測定器など創業当初から模索しながらクリーニングを発展させていった歴史を紹介している。現在では日本有数の企業にまで発展している。面白いのが従業員の誕生日には銀のスプーンを進呈しているということ。こういうのは会社の業績がよくないとなかなかできるものではない。ステーショナリーグッズも豊富。トイレは無し。企業ビルの一角なので。