雑司が谷旧宣教師館(東京都豊島区・雑司が谷駅)
雑司ヶ谷といえば雑司ヶ谷霊園。都電荒川線の駅が最も近い。夏目漱石その他、多くの著名人が眠っていることでも知られている。宣教師館は雑司ヶ谷霊園を突っ切って行くかたちで進むのがスムーズなので、ついでに参拝してみるのも悪くないかもしれない。夏目漱石、竹久夢二、島村抱月のお墓が中央のいちょう通り沿いにある。
旧宣教師館はそこから住宅街に入ったところにある。標識が多いので迷うことは少ないかもしれない。
開館時間9時から間もない時間に訪れたため誰もいない。明治期に訪れたアメリカ人の宣教師マッケーレブが居宅として建て、34年間にわたって太平洋戦争によるアメリカからの撤収命令に従って帰国するまで居住していた場所。豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築で、最近になって補修工事を行なっている。
2階建ての1階は応接間と食堂がある。各部屋には暖炉があり、マントルピースの一部は当時のものがそのまま残されている。質素な生活をしており庭で栽培した野菜なども食卓に上がっていたという。豊島区にはキリスト教を機関にした教育期間が多く残っている。代表的なところでは立教大学だろうか。この宣教師館はその先駆けとなるものでかつては布教活動の一環で教育も行っていた。
階段を上がって2階には寝室が2つあり、片方はゲストを泊める部屋として使用されていたという。かつての敷地(教会や雑司ヶ谷学院)の模型展示もある。天井が竹で敷き詰められているのも印象的。西洋人にとって竹は珍しいものだったらしい。
隣の寝室では童話作家の秋田雨雀についての解説展示がある。小川未明や菊池寛と共に児童雑誌「赤い鳥」で活動していた秋田雨雀。竹久夢二や島村抱月との交流もあったそうで、雑司ヶ谷霊園とのつながりをここでも感じられる。中村屋サロンでお馴染みの盲目のロシア詩人エロシェンコとも交流がありエスペラント語を学んでいる。娘や孫、2人の妻に相次いで先立たれるなど不幸な晩年だった様子。死の直前に盛いくという女性と3度目の結婚をしているのがまた気にかかる。
2階の奥には書斎。マッケーレブが愛用していた机やベッドも残されている。庭も一部が残されており、裏手から見た宣教師館もまた白塗りで美しい。トイレはウォシュレット式。
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