ガスミュージアム(東京都小平市・小平駅)
日常生活におけるインフラ設備の中でも今やライフラインとして欠かせないものとなっている電気と水道とガス。もちろんそれぞれを紹介するミュージアムがあってもなんら不思議ではない。電気ではかつて渋谷に東京電力の電力館があったものの、東日本大震災の後は閉館し取り壊されて関東では見られない。水道ではお台場にある水の科学館や虹の下水道館、そして小平の小平ふれあい下水道館が知られている。
残りのガスはというと、これまたお台場にあるガスの科学館がすてなーにと小平にあるこちらのガスミュージアムが該当する。お台場にある各施設は子供に向けた展示が多いのに対し小平の施設は割と大人向けなイメージがある。つまりお台場と小平は親子のようなものである。母音も同じだし。ガスミュージアムは新小金井街道と新青梅街道が交わる場所にある。ちなみにがすてなーに、ガスミュージアムいずれも東京ガスによるミュージアムである。
赤いレンガに囲まれた敷地はそれだけで既に周囲から飛び抜けた存在を醸し出している。敷地内には赤煉瓦作りの建物が3棟、その前にはガーデンが広がっており、ガーデン内には一つ一つが異なる形をした歴代のガス灯が並んでおり、これらは今でも稼働している。展示室となる建物はガス灯館とくらし館で、こちらもガス灯館が東京ガスの本郷出張所、くらし館が東京ガスの千住工場計量器室を移築復元したものになっている。
ガス灯館の1階に入るとガスの歴史をひもといた展示が中心となっている。ガスは17世紀ベルギーでヘルモントによって石炭を加熱したことにより発生した気体が発見され「ワイルド・スピリット」と名付けられたことが期限となっている。その後18世紀にイギリスのムルドックがガスを使った照明を発明、またフランスのルボンがガス採取技術を開発したことでイギリスのウィンザーによって1812年に世界初のガス会社が設立されている。
日本でも爆津末には宇田川榕菴がガス採取の技術を残しており、島立甫や大島高任、島津斉彬らが石炭ガスによる照明を試みており、明治には大阪造幣局で最初のガス灯が点された。国内におけるガス事業の始まりは横浜で高島嘉右衛門によって開始され、そこから東京会議所をはじめとした東京へと広がった。ここにはフランスの技師プレグランの尽力によるところが大きく、彼は日本におけるガス事業の父と呼ばれている。
東京ガスの創始者はおなじみ渋沢栄一。東京会議所で開かれたガス事業は当初うまく軌道に乗らず、公営となってから徐々に軌道に乗りはじめると東京瓦斯会社として新出発することになる。これが現在の東京ガスで渋沢栄一は初代会長を務めた。当初のガス灯は今のような自動ではなく点火式で、点消方と呼ばれる人たちが毎晩ガス灯を点火して回り、明け方になると消して回るという作業を休むことなくおこなっていたのだという。
館内には珍しいガス灯コレクションが並んでおり、それらを眺めているだけでも楽しい。屋外灯から室内灯へとその活躍の場を移してからは装飾にも力を入れるようになる。鹿鳴館のガス灯もここに展示されている。2階の展示ギャラリーでは企画展としてこのガス灯をメインに添えた展示を開催し、1階の常設展示にさらに追加するように実に多彩なガス灯が紹介されている。ガス灯は特に灯した火をより明るくするためにマントルという道具が使われており、一般販売されていた当時のマントルも紹介されている。
くらし館の方ではガスと生活との関わり合いという点に着目して、明かりから熱源へとその使用用途が変わっていったその歴史を実際の器具と共に紹介している。珍しい形をしたカニストーブや4枚同時に片側ずつ焼くという利便性があるんだかないんだかわからない食パン焼き器などが印象的である。くらし館の中で特に注目したいのが2階にあるガスオルガン。鍵盤を押すとガラス管の中の炎が変化して空洞から空気が漏れることで音を出す仕組みになっている。
トイレはウォシュレット式。珍しいスライド式のドアーになっておりドアーの開閉に場所を取らずに済むので画期的。日が暮れるとガスライトガーデンではガス灯が点り始めライトアップがなされる。それはイルミネーションよりもはるかに厳かで美しく幻想的。小平に行ったらマストで訪れたい施設といえる。