宇都宮めぐり1(栃木県宇都宮市・宇都宮駅/栃木県立美術館「ベル・エポックー美しき時代」展ほか)
何にも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う、というのは『阿房列車』における内田百閒の言葉だけれど、特に理由はないけれど、ふと宇都宮に行ってみようと思い立ち行ってみることに。強いてあげればミュージアムがそこにあるから、といったところだろうか。まあどうせ行くならたっぷりと味わってやろうじゃないかと、宇都宮名物の餃子そっちのけでミュージアムを堪能することに。
・旧篠原家住宅
宇都宮駅からすぐ近くにある史跡として一般公開されている旧篠原家住宅は、醤油の問屋として栄えた家屋である。店舗も兼ねた邸宅は1階に番頭が鎮座する帳場があったりといわゆる商家としての機能も持っている。こちらのチケットは着物の形をしているのも特徴的だろうか。
なんといっても宇都宮市の各地に点在している建物の特徴である「大谷石」をこの住宅でもふんだんに使用しているというのが印象深い。順路は土間・帳場から始まり、台所を背にして茶の間へ上がり、奥の仏間へと続く。隣接する二つの六畳間の片方、階段の下には大きな黒い金庫もある。
そして階段を上って2階へ行けば、十畳間と客間、それに二十畳の広さを持つ座敷がある。庭には蔵が三つ残されており、そのうちの一つは内部まで見学することができる。トイレは和式。
・旧栃木県庁昭和館
宇都宮市は栃木県の県庁所在地でもあるため、街の中心地には県庁が聳え立つ。現在の県庁はいわゆる一般的な建物なのでそこまで惹かれるものはないものの、すぐ近くには昭和時代に使用されていた県庁舎が保存されており、その内部は旧栃木県庁昭和館として一般公開されているミュージアムになっている。
正面玄関から階段をまっすぐ進むとすぐに2階へ。全部で4階まであり、階段を昇降しながら進む形になる。階段の手すりが特徴的で、戦時中に供出してしまったが当時の図面をもとに復元されている。展示室としてへは3階に「近代栃木のすがた」と題して市町村の成立や歴史を紹介する部屋と、隣接する貴賓室、それと市町村情報室といった観光パンフレットの配布コーナーもある。
そしてぜひ訪れておきたいのが4階にある正庁。庁舎の中で最も優美な作りをしている空間で、当然ながら政治の中心としての役割を持つ部屋。アーチ状の天井だったり壁の装飾、やわらかな絨毯のデザインなど見どころがいっぱい。訪問時は見事に誰もおらず貸切状態という贅沢な空間を味わう。
階段を降りて1階まで行くと、中央階段のちょうど下あたりの位置には定礎礎石が飾られ、そこから奥へ行くと、この県庁舎を手がけた建築家の佐藤功一の業績を紹介する記念室がある。早稲田大学の建築学科を創設し、大隈講堂をはじめとして多くの大学校舎などを手掛けた佐藤功一。栃木県出身であるというのも関係しているかもしれない。トイレはウォシュレット式。
・栃木県立文書館
旧栃木県庁舎のすぐ近くにあるのが栃木県立文書館で、こちらの2階にもコンパクトながら展示スペースが提供されている。旧栃木県庁昭和館と連動して、栃木県や宇都宮市がどうやって成立していったのか、その歴史を文書とともに紹介しているという展示になっている。旧栃木県庁舎と合わせて行っておきたい場所である。トイレはウォシュレット式。
・栃木県立美術館
今回の宇都宮めぐりで最も手応えを感じたのはこの栃木県立美術館。県立というだけあってその規模は大きいものと予想していたものの、実際に訪れてみると想像をはるかに超える広さと、その造りの面白さにじわじわと感慨が深まって行く。まるで迷路のような面白い構造をしている。さすがは県立と名を冠するだけある。
展示室は企画展示室と常設展示室とに分かれており、まずは企画展示室から巡ることに。美術館の入口は二箇所に分かれていて、どちらから入るかで観る順番は全く違ってくる。導線がとても複雑で、隠れたところに展示スペースがあったりと、中を歩いているだけでも発見が多いのが面白い。川崎清という建築家による設計で、川崎にとっては京都大学総合博物館と並ぶ代表作とも言えるミュージアムである。
企画展では今回、フランスのパリ周辺に特化して、ボヘミアンと呼ばれる作家たちの活躍をテーマとした「ベル・エポックー美しき時代」を開催。トゥールーズ・ロートレックやジュール・シェレなどの画家を採り上げている。パリ市外の北側にあるモンマルトルの丘は若い芸術家たちの集まる場所として多くの芸術家たちが青春を過ごした。19世紀から20世紀にかけて、ちょうどムーラン・ルージュなど多くのキャバレーが立ち並び、踊り子たちをモデルにして数々のアート作品をこれら若き芸術家が手がけることとなる。特にモーリス・ユトリロの母でもあるシュザンヌ・ヴァラドンはこの界隈でも人気の人物で画家たちのモデルも務め、自身も絵画を手掛けている。
絵画の他にもエミール・ガレやドーム兄弟のガラス工芸などもこの時代を体現する美術として紹介される。文学や舞台芸術とも融合して総合芸術として華開いたのが当時のパリ。シャルル・ボードレールの『悪の華』をテーマにしてジョルジュ・ルオーやオディロン・ルドンが絵画作品として昇華し、またダンスやパントマイムなどもこの時代に隆盛した。これらの花のパリをテーマごとに紹介している。
常設展示室へは企画展示室の途中から入ることができるが、ここは企画展示を全て見てから行きたいもの。企画展示室は最後にミュージアム・ショップで終わりになるが、スタッフの方に声をかければ(企画展示室を突っ切る形で)常設展示室へも誘導してくれる。もしくはミュージアムショップの出口から屋外展示場を経て外から常設展示室へ向かうこともできる。屋外展示場にも多くの屋外彫刻があり見どころが多い。
常設展示室では「ひんやり美術館」と題したコレクション展を開催。視覚から涼しい気持ちになってもらおうと、作品に涼を感じさせるようなものが揃えられている。谷文晁や橋本雅邦、下村観山などの日本画に郷土出身の画家である菊川京三、それに濱田庄司、島岡達三らの陶芸などの中でも涼しさを感じさせるような質感の作品を、ぐるりと回る形で鑑賞する。
1階の展示室を過ぎれば階段を上った2階は回廊状になっていて、柄澤齊や岡上淑子といったモノクロームの世界、そこから西洋画へと移りシスレー、コロー、ターナーといった画家による水辺の世界が繰り広げられる。また背筋がゾッとするような感覚に陥る藤田嗣治や三島喜美代の作品も注目したいところ。最後はマイセン磁器に特化した展示室を観て終了。とにかくボリュームも多く、展示室の広さに驚きを隠せない、宇都宮を代表するミュージアムの一つである。トイレはウォシュレット式。
・栃木県護国神社資料館
栃木県を守る神社、という意味のある栃木県護国神社、天皇・皇后両陛下が全国で公式に唯一おとずれている神社で、明治維新から現代に至る戦没者や殉職者を祀っている神社である。この栃木県護国神社の境内にあるのが栃木県護国神社資料館で、特別な行事がある時に開館している。
行事が開催されている中で資料館のみを目的とする人というのもほとんどおらず、訪問時も基本的には行事ありきで境内にいる人たちも行動している。資料館の中には越後長岡藩で河井継之助とともに幕府に準じた山本帯刀が愛用していた佩刀が保管されている。これは長岡藩と宇都宮藩との幕末の関わりによるもの。
他の展示品としては、この神社の性格を色濃く反映し、現代に至るまでの戦争で没した戦没者の遺品を中心とした史料で埋め尽くされている。ガレージほどのコンパクトな資料館だが、四方のガラスケースに展示されているこれらの遺品を見る時ある種の特別な感情が生まれてくるのが自然かもしれない。トイレはなし。
・野口雨情旧居
近代における作詩の名手として名高い野口雨情。童謡『シャボン玉』や証城寺の狸エピソードに特化した『証城寺の狸囃子』、夕方になると町中に響き渡る『七つの子』に横浜のシンボルとも言える『赤い靴』など、耳を澄ませればいつでも聞こえてきそうなこれらの歌を手掛けた詩人である。この野口雨情が住んでいた野口雨情旧居もまた宇都宮市の中に残されている。
この旧居はおそらく歴史的な価値も高いのにも関わらず、ショッピング店舗や飲食店などがある敷地の隅にポツンと残されており、現在では見落としてしまうようなひっそりとした佇まいをしている。内部に入ることは基本的にできないものの、ガラス越しに野口雨情の事跡などが紹介されており往時を偲ぶのにはもってこい。かの北原白秋や西条八十と並び称された詩人である野口雨情、その気風をいつまでも残しておいてほしいものである。トイレはなし。